#304 私の落語家列伝(4) ―拙ブログ#296参照― | 鑑賞歴50年オトコの「落語のすゝめ」

鑑賞歴50年オトコの「落語のすゝめ」

1956年に落語に出逢い、鑑賞歴50余年。聴けばきくほど奥深く、雑学豊かに、ネタ広がる。落語とともに歩んだ人生を振り返ると共に、子や孫達、若い世代、そして落語初心者と仰る方々に是非とも落語の魅力を伝えたいと願っている。

●私の落語家列伝(1)#296

 

 

●私の落語家列伝(2)#298

 

 

●私の落語家列伝(3)#300

 

 

 

 

15二代目 桂小文治(1893-1967 かつら こぶんじ)

(オダマキ)

着物の衿を抜いて後ろに反るように座るいわゆるお婆ちゃんスタイルで稽古所の女師匠を演じた所作が絶品の噺家であった。踊りも一級品で寄席を華やかにした名人であった。初代春団治とは兄弟弟子に当たる上方落語家であったが故あって東京落語界で活躍したという変わった経歴の持ち主である。それでも、戦後、上方落語界が消滅の危機に陥り、三代目米朝らが復興運動に乗り出した際にはしばしば道頓堀の寄席へ来演してバックアップしたそうである。得意ネタは音曲噺と芝居噺とにあり、「稽古屋(#241)」「紙屑屋(#264)」「蔵丁稚(#14)」「質屋芝居(#292)」「鳥屋坊主」が挙げられる。

面倒見が良く、行き所のない落語家を次々に受け容れて行ったそうだ。為に門下生は大きく膨らみ、五代目古今亭今輔二代目桂枝太郎十代目桂文治、フリーとなってマスコミの寵児となった桂小金治などの優れた弟子を輩出した。その弟子たちがさらに弟子を呼んで、二代目小文治一門は現在では一大勢力となっている。

なお、初代という説もあるがここでは大勢に従って二代目とした。当代は三代目である。

 

16七代目 林家正蔵(1894-1949 はやしや しょうぞう)

昭和の爆笑王初代林家三平の父として知っていた位で私はほとんど彼の高座を聴いたことがない。情報によると、時事ネタを多用し、ギャグを連発し、拳を頭に当てるなどの仕草をして爆笑落語を通した人気者であったようで、正に初代三平そのものであることを知った。勿論、三平が真似をしたのであるが。芝居や怪談噺を得意とした歴代正蔵の中では異端児と言えよう。SPレコードが多く残されているそうだからその爆笑高座を聴くことも可能のようだ。

初代三平の超人気で正蔵名跡は見直された感があると私は思うが、当代は九代目で七代目の孫・林家こぶ平が継いでいる。

(マリーゴールド)

 

17二代目 桂春團治(1894-1953 かつら はるだんじ)

(モッコウバラ)

初代の型破りの人気に圧倒されてかすんでいるきらいがあるが、滑稽噺を得意とした爆笑型の上手で、初代を凌ぐ人気があったようだ。実子の三代目はぼそぼそとゆっくり喋るタイプであったが、二代目は早口でポンポンと喋るタイプであった。もっとも、録音時間に制約があった為に早口になるきらいがあったと思うが、同じDNAを持つ者でも違うものだと感じさせられる。

朝日放送ラジオ局が二代目の独演会13席の貴重な音源を残しており、10席がCD化されている。「青菜(#211)」「阿弥陀池(#46)」「按摩炬燵」「祝いのし」「打飼盗人(#289)」「近日息子(#288)」「壺算(#259)」「二番煎じ(#104)」「猫の災難(#95)」「豆屋(#172)」の10演目で、二代目の得意ネタと言えよう。

 

18三代目 三遊亭金馬(1894-1964 さんゆうてい きんば)

(ユキヤナギ)

私の好きな落語家十指に入る一人である。明瞭な口跡による淀みない喋りと博識が何よりの魅力であった。落語は笑って楽しむと共に人生訓を得る話芸だと知ったのは彼の高座からであった。“楷書で書いた落語”と評する向きがあるようであるが、誰でも親しめる分かりやすさでは群を抜いた高座であった。読書家で博識家であることは誰もが認めるところで、著書も多い。だが、落語家を超越した博識ぶりに専門の評論家から煙たがられたと言う。

色々と確執があって寄席よりもラジオやレコード中心の活動をした。しかしそれが幸いしてか、全国的に老若男女から幅広い人気を得ることになった。SPレコード(1930年代中心と思う)は150枚以上もあるようで、他の追随を許さないものであろう。中でも「居酒屋(#86)」は爆発的に売れたそうで、伝説の1枚となっている。

持ちネタは人情噺、滑稽噺、芝居噺など幅広いレパートリーにわたって多数あり、代表作を選ぶのが難しい。どれを聴いても楽しめる名人であるが敢えて言うなら、「孝行糖(#56)」「藪入り(#119)」「茶の湯(#245)」「佃祭(#209)」「道灌(#192)」「唐茄子屋(#19)」「二十四孝(#238)」「紀州(#3)」「目黒のさんま(#4)」といったところであろうか。

噺は上手くて博識であるのにへりくだり過ぎるところが返って嫌味だと嫌う人もいると聞く。確かにマクラの部分で落語家を下層階級に置き、客を上流階級に持ち上げることが多く、へりくだりが過ぎると逆に自分を自慢しているように聞こえるものである。気を付けたい。もっとも当時の落語家は、今と違って義務教育を終えたかどうかでこの道に飛び込んだ人生の落伍者が多かったのも事実であるが。

 弟子の育成でも、“歌笑純情詩集”で一世を風靡した三代目三遊亭歌笑、大御所となった二代目桂小南四代目三遊亭金馬(当代)それに二代目桂文朝を育てた功績は大きい。

 

19二代目 三遊亭百生(1895-1964 さんゆうてい ひゃくしょう)

(ナノハナ)

上方の落語家であったが戦後東京へ移籍し、上方落語に拘ってこれを広めた功績が高く評価されている。“これぞ上方落語だ”というものを彼の高座から知ることが出来よう。従って得意ネタは上方噺全般というところであるが、“NHK落語名人選”には「天王寺詣り(#152)」「貝野村」「船弁慶」が収録されている。この辺りが最も得意にした演目で、他では、二代目枝雀が教えてもらったという「宿替え(#149)」それに「菊江の仏壇(#48)」もお薦めである。

 

にほんブログ村


落語ランキング