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妹達が家にいない母に慣れ始めた頃に
母も頑張り保険の契約が少しづつ取れるように
なりました。
父もダンプで砂利の運搬は不安定だと思い
元の力仕事に戻ろうかと考えていたのです。
真冬の凍えるような寒い日も
真夏の倒れるような暑い日も
母は保険のセールスを頑張り営業所で
約1年で2位になったのです。
20人ぐらいの営業所ですが、
長年セールスをされている方たちを追い抜き
新人の母が2位になったのです。
少し給料が増えると母は2位の成績では
満足しません。
当然のように1位を目指すのです。
その為には一人でも多くのお客さんの所を
まわる為に電車とバスでは駄目だと考え
原付バイクの免許の試験を受けたのです。
僕は2度目で合格しましたが
頭の良い母は一発で合格です。
確か合格すると直ぐに50CCのシャリーと言う三段ギアーの単車を
買ったと思います。
家に単車が運ばれて来ると 父にコーチしてもらい
約一週間で乗りこなせるようになったのです。
ギアーもなんなく使いこなし
よし!頑張るぞ!と夜ご飯の時に急に言ったのです。
しゃもじを持つ手が単車のアクセルを操作するように
クイクイ動いてました。
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