皿尾城の空の下

久伊豆大雷神社。勧請八百年を超える忍領乾の守護神。現在の宮司で二十三代目。郷土史や日常生活を綴っています。

羽生市 白山神社

2019-11-18 21:00:28 | 神社と歴史

 坂東太郎の名の通り、ひとたび大雨となれば普段の穏やかな流れが噓のように濁流となる利根川。先日の台風19号の際には危険水位となり、行田、羽生、加須と北埼玉の各地流域市町村でも避難指示が相次いだ。

 羽生市上新郷の白山神社はその利根川堤沿い、川俣関所の西に建っている。

現在では田んぼと資材工場に囲まれ、地元の人以外ではその場所すらなかなかわからないようなところだ。実際自分もたどり着くまで周辺を車で巡りながらなんとかたどり着いた。利根側堤防から社殿を見下ろすと、近年場所を移した様子が良く分かる。堤防補強工事によって明治三年にも移転しているという。川の流れに翻弄されてきた地元の歴史を映しているようだ。

 雲一つない澄み切った青空に白い社号碑が凛として建っていた。川俣関所から近いことからも、当地は忍、羽生の領から日光館林への街道筋にあたり、馬継の場所であったという。氏子新井宗治の私記の中に『白山妙理大権現縁起写』として神社創始を伝える話が残っているという。

 豊臣秀吉臣下の武将、加藤清正は賤ケ岳七本槍の一人として名を馳せ、朝鮮にも出兵し、後の熊本城主となった治水、築城の名手である。清正が家康の命により江戸に出向いた際、館林城主榊原康政を訪ねた後、江戸へと戻るとき利根川の渡し船の途中病となる。宿を探して家臣皆右往左往すると、羽生の当所で道端にて焚火をして湯を立てている老人に出くわす。その湯を飲むとたちまち正気を取り戻した清正は、江戸へ向けて出立する。

 その晩清正の夢にこの老人が現れると「我は白山権現なり。病を馬に移す』といって消えたという。翌日清正一行が屈巣村(旧川里村)に着く頃に愛馬が急に死んでしまった。昨夜の出来事は夢ではなかったと慌ててこの地まで戻ると、そこには焚火の跡もなく誰もいなかったという。清正はその老人が白山権現であったことを悟り、佩刀を納めて神社を祀り白山神社としたという。

 加藤清正の娘は館林城に嫁いでいて、この地に足を運んだ可能性は高く、伝承としてはあり得る話であるようだ。尚馬が死んでしまっ屈巣には馬頭観音もあるようだ。

御祭神は菊理姫命、伊弉諾尊、伊弉諾尊。

古くから庚申講が盛んで、昔は庚申様の軸を掛けて夜を明かしたという。また二月にはひょっとこ祭の行事があって行田の白川戸、皿尾のひょっとこ芝居が招かれたという。尚上新郷の鎮守は愛宕神社である。

移転前の旧社殿に纏わる写真が「埼玉の神社』に残っている。

 氏子の参拝について述べたもので、先ず神社に参り一拝する。続いて右回りに社殿一巡して表に出た後、半回りして社殿裏に回ると笹の葉を取って壁に差し込み、トントンと壁を二回叩いて再び表に戻る。更に一巡して表に来て一拝する。平素から行われる参拝形式で、古くからの在り方を伝えているという。通常神前での参拝方式は「二拝二拍手一拝」というが、これは戦後推し進められたもので、古くは神前で静かに手を合わせることも多かったという。

 


コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 七五三と千歳飴 | トップ | ドン・ドン・ドン! »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

神社と歴史」カテゴリの最新記事