世界は
合うもの、合わないものが混在している
身近な所でも
物理的にも、エネルギー的にも騒音ばかりでウンザリしていたので
内に入ろうと身体の内側を本質とイメージして入ろうとしていた
が入れない
そんなときに
ふと
内側も外側もなく
もう既に「ここ」が
本質の内なのではないかと
世界が騒がしいので、そこから逃れる為に必死になって内に入ろうとしていたが
その行為は逃避でしかなく
必要なのは
物理的世界を変えるでもなく、そこから逃げるでもなく
そこに対する
エゴ的な意味づけや想念を、重荷を落としていくことなのではと観じた
そして
物理的にも、エネルギー的にも騒がしいく、世界の騒がしさは変わらない
であれば
そこに対するエゴの意味づけやそこに対するエゴの囁きに惑わされ、囚われ、悲観的な思いになっていることに気づいていて、そこを落としていく事が必要なのではと
「エゴの動きに気づいたら
エゴの意味づけ、囁き、それらはエゴに起こっているものであり
私(本質)のものではないと切り離し
深刻にならずに
「だから何?」と問うて取り合わない」
ここは昨日思いついて実践し初めたやり方です
創造物の中で生きている
創造者で在る「私」が
本質なのだから
エゴの意味づけを真に受けず、エゴの囁きに惑わされず、エゴと同一化せず、これらを落とし
自分が何者なのかを知り
あらゆる物に気づいていて
内も外もなく
全てを受け容れ
ここが
既に
本質の中で在ると知る