先に述べておきます。
これは対応した人や当事者を責めたりする意図はありません。
その様な事はこの問題の本質から全く離れると思います。
どちらかというと、対応者をバッシングすることによって、
問題の本質から目を背ける事が人間の心の企図としてこれから始まり、責任や人道という操り言葉で、自身の心の中にあるものを対応者に転嫁して考えない状況に置く心象作業を多くの日本人は行うでしょう。そして当事者以外は嵐が終わり、この問題から心を遠ざける空気が始まります。
それも人の業。
だからここでは対応者の問題では無く、
自身の心の問題として記したい。
ショックで動揺してなんとなく考えが表現できないが…。
都内某区において、
路上生活者が、
避難所に行ったが受け入れを拒否されたという話が出ている。
理由としては、
住民票が無いから……。
また、
観光客用に設けられた避難所でも拒否されたとの話もある。
理由は、
観光客でないから……??。
もし仮に、
観光客でないから……??。
もし仮に、
これが本当の話なら避難所とは何だ?
路上生活者は、
路上生活をしている人であり、
死ぬために外で生活しているのでは無い。
そこで生きている人々です。
生きている人々が生きるために行動する事が、
路上生活者だから許されないのか?規制されるのか?
住民票が無くかつ旅行者ではない人は、
本人の生きる意志を持つ事は許されずに、
生きる事を希求することを許されないのか?
権利や人権云々以前の問題として、
人間の快不快というマジョリティの心象推察により、
共通心象の表象として、
人間の選別を行ったことにならないか?
生きなくてもいいという結論を出した事になってはいないのか?
この様な事がおこった現実に、
あってはならないことだと思う自身の気持ちの発露で終わりにするのではなく、
そこから考え始める。
対応者の問題では無くて、
僕も含め、
日本人として、
人間としての問題として、
重い重いテーマだと思う。
考え抜く。
考えると逃げ出したくなる。
でも考えたい。
絶望を乗り越えるために。
これを考えないと人間は人間として生きていけなくなる。
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