小池都知事が、
令和2年3月30日に言った言葉です!
『エンターテイナーとして楽しみや笑いを届けてくれたことを感謝したい。
最後に悲しみとコロナウイルスの危険性をしっかり届けてくれた。
その功績、最後の功績も大変大きいものがあると思っております。お悔やみ申し上げます』
この言葉を言ってしまう小池都知事に、言葉に出来ないものや闇を感じてしまいます!
志村けんさんがお亡くなりになりました。
人の死を利用したり、
冒涜するのは大嫌いです。
しかし、
あなたが亡くなったとき、
僕が死んだ時、
このような表現をされたら嫌じゃないかなぁ…。
悲しいなぁ…。
志村さんは、
このような時は、
感染対策のために、
親族にも誰にも看取られず、
ご遺体に接する事も親族は出来ないまま、
ある状態で(記述は控えます)、
旅立たれたと思われます。
辛いなぁ…。
言葉は、
小池知事の思っている事通りに、
人に伝わっていないと思います。
言葉は難しい。
言葉として歩き始めた時、
その言葉は思っている気持ちと違う様に歩む事があります。
しかし、
その言葉をチョイスしてしまうという事は、
やはり何か…何か…なのだと思ってしまいます。
そして、
言葉の問題以上に小池都知事は、
行いとして、
マスクと防護服の献上権限について、どこまで法的にセーフだったのか、アウトなのか精査されなければならない事があります。
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