ゆったりゆう日記

嵐さんとピザが好きなヲタクのひとり言

考察する自由の行使

2019年8月4日、現時点での心境をここに綴っておこうと思います。

 


と言いますのも、先程SMAPファンの母と5×20初回2の特典ディスクを鑑賞したからです。

(さりげなく自担のボキャ借りる)

 


嵐とSMAPに関しての意見は、一旦はここで書くのを避けておきます。私が書きたいのは嵐についてなので。

先輩と同じ轍を踏まないために、先輩のファンである母の思いの込められた一言を素直に考えていました。とは言っても私が先輩だと表現するのは烏滸がましいし、主語が嵐本人なら成り立つ文なのに自然とそうなってしまうのもまた、それほど彼らのことを愛しているからでしょう。

 


そう、私は嵐を愛している。

 


これは紛れもない事実です。だから私はそれだけでいいだろうと、甘んじていました。別にいいんです、その時の感情を完璧に覚えていなくても。でも私はこういう回りくどい表現をするほどねちっこい性格なのはそろそろ自覚してきましたので、将来の私に「なんで備忘録を残しておかなかったんだ」と叱責を受ける前にバックアップをとっておきます。

 


あのuntitledのライブの記憶をバックアップしておかなかった失敗。あれはもう2度としたくない。

(untitledの感想を綴ることのないまま一年が過ぎて、正確な思い出を文字に起こせなかった雪辱を2019年の夏になっても引きずっているのです。)

 


さて、前置きが長くなりましたが現時点での心境とやらをいちファンの私が、8月4日日曜日の私がここに残しておきます。

 


大きく分けて2点あります。

 


まず一つ目は、ええ、2点話すと言っても先に話しておきたいこと、優先事項のひとつめ、これは最重要項目でもあります。

 


「嵐は必ず戻ってくる」ということ。

 


この字面だけ見れば、①もちろん戻ってくる、②ただの願望にしか過ぎない、③それは誰にもわからないのではないか、④考えたくない、これらの感情が同時に湧き上がってきて精神が削られていきます。

 


精神が削られてしんどいですね。

 


鍛えようBody & Soul 、です。

 


願望であることに間違いはありませんが、願うことが全て絵空事とは限りません。願いから生まれる現実もまた、あってもおかしくないのです。在る可能性が有るのです。

 


確かに誰にもわからない。嵐本人だってわからないかもしれない。でも、わかってもわからなくても現実は無情にも目の前へ迫ってきます。なら何が迫ってくるのか、私の、あなたの、嵐の目の前に何が見えているのか。ここが大事なのです。

 


考えたくないというのは、非常に自然な思考状態です。ヒトが辛いことを受け入れる手順として、アメリカの精神科医であるキューブラーロスは次のように解明しています。「否認→怒り→取引→抑うつ→受容」の順です。

(キューブラーロスじゃない学者の意見を伝えたかったのですが思い出せない)

 


つまり否認状態にあるわけです。いずれこの壁を超えたときには受容が待っているのですから、あとはスピードを速めるか落とすかのどちらかを選択すればいいのです。私個人の意見としては、安定した精神状態で彼らに笑顔で「また会おうね」と手を振るためになるべく急いで最終段階に入るべきだと思いますが……現実は難しい。

 


では戻ってくる確信をどこで得たのかという話になります。

 


最近私は狂ったように嵐のライブDVDを見ています。前から狂ったファンであることに変わりはありませんが……モチベーションは以前より強いと自覚しております。

 


彼らはとにかく素晴らしい。自担は言いました、「嵐を宝箱に閉じこめたい」と。まさに宝箱の中身のようにきらきらと輝いているのです。そして何よりも本人達が幸せそうなのです。幸せそうな人達が、周りのファンを幸せにし、幸せそのものの空間を作り出す美しさ。この輝きを自担は守りたいと願ったはずです。

 


良いものは続くべきであり、この持続は永遠である。

 


本当でしょうか。一見すると当たり前な気がしますが、これは盲信でしかありません。シビアすぎる意見だと思うので、全員これを無理に賛同しろとは思いませんが、幸せを突き進むにしても何かしらの原動力は必要であると私は思うのです。

 


ひとやすみ、充電期間、それらがないと張りつめた糸がプツンと切れてしまうように思えるのです。

 


抽象的に表現しましたが、「糸が切れる」のはつまり、直喩すると、彼らの心が壊れるのではということを言いたいのです。

 


彼らの活動が大好きで、その活動が永続してほしいと切に願っています。でも、一番大事なのは彼ら自身なのです。

 


「大切なものは足跡なんかじゃない

歩く俺たちの足だそうだろう?」

 


皮肉にも、歌割りは最高権力者の彼なのです。

彼が優しい人間で、繊細な感性を持っていて本当に良かったと思います。自分自身の苦しさに気付ける繊細さがあるのは、嵐という組織を維持するために必要なセキュリティであると思います。その意味での安堵を日々感じております。そして今日はもう一つの安堵についても記しましょう。それが二つ目の項目である、引き際についてです。

 


安心してください、引き際と書きましたが退き際とは思っていません。

 


さて二つ目のお話を始めましょう。

 


リズムを刻むとき、普通のリズムと裏のリズムの2種類があります。私は音楽研究家ではないので知識が乏しく、3つめがあると言われたらちょっと困ってしまいますが、2つしかない前提で説明させていただきます。

 


退き際は、もう完全に退いてしまって2度とスポットライトの下に戻ってこないイメージ。恐ろしいですね、想像したくもありません。

引き際は、裏のリズムを打つタイミングです。は?とか言わないでください、ちょっと待って、あと少しで理解させてみせます。はい聞いてください。今が表のテンポなのです。21年が裏のテンポ。つまりそれ以降に表のテンポに戻ることを私は言いたい。

 


He has gone.で居て欲しいんです。He is gone.なんてさせたくない、きっと彼からまず相談を受けた自担はそう願ったはずです。そして5人同時に立ち止まることを選んだ。

 


引く人は、退く人と違ってあの美しく輝く空間を金輪際取り戻さずに死んでいこうだなんて思うはずがありません。あの空間を何よりも彼ら自身が愛していることは、美しい汗と涙が証明しています。疑う人はDVDを見てください。あなたは再生機器を起動して2時間足らずでこのことに深く頷くでしょう。

 


予報士たち堪えうつむく

 


そう嘲笑って前へ突き進む自担に予報士の真似事をしたいとは思いませんし、「どんな情報が流れても俺らが直で伝えることだけ信じて」と愛の言葉を紡ぐ彼らを見ながらも、私の主観で考えをここに書き散らすことを許して欲しいのですが、彼らの積み上げてきた歴史が全てを物語っていると私は信じて疑いません。

 

 

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