子供が「自分で生きること」が、わからなくなってしまうのは? | 心も身体も生き返る 気持ちを解放するエモーションフリー

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「こころ」精神やマインド・感情などの付き合い方。
不要なトラウマ、思い込みを
一瞬でなくすことで、
人生を好転させていきます。

エモフリ講師matsukoです。

 

 

今日の、メルマガで

『人の気持ち』なんて

わからなくていい。

 

 

と配信しました。

 

 

 

そこで、ご質問があったので

書いていきますね。

 

 

 

更に、本日の記事の関連記事もあります。

人の「気持ち」を察して『やること』が悪いことなのか?

 

 

 

 

 

私が、

心理カウンセラー講座で学んだことは、

 

「自分の気持ち」を伝えよう。

です。

 

 

アイ・メッセージ

なんて言うやつでした。

 

 

 

私は、こんな風に思ってる。

って、きちんと伝えましょう。

家に帰ったら、

家族にやりましょう。

 

 

なんて…。

 

 

 

 

その時の私は

「言えなくなっていたから」

 

 

 

「言え」と言われることが

辛かったのです。

 

 

 

 

自分の気持ちを言うなんて…。

 

きっと

昔は「言ったこと」もあった。

でも、聞いてもらえなかった。

バカにされた。

 

 

 

それ以来

言うのを辞めた。

んだと思う。

 

 

 

そして、

「自分の思い」や「気持ち」を

言うことが

 

「自分勝手なこと」

だという思い込みが出来上がって行った。

 

 

 

 

友人関係は、表面上で付き合えば

なんとかなる。

 

 

 

でも、ちょっと踏み込むと

「思いもよらないことが起こる」

 

 

 

結婚後は、

日常生活で自分も、家族も、

・イライラしてしまう

・暴言・暴力という「表現」しかできなくなる

・黙り込むことしかできなくなる

・我慢して相手に合わせることしかできなくなる

・わがままになる

 

 

 

自分の中では、

自分をディスリ・誰かをディスリ

 

それを言っても、わかってもらえない。

 

それどころか

相手を、ますます「だめ」にする。

 

 

 

 

今なら「わかる」

それを聞いた人の「気持ち」が…。

 

 

 

 

それが、また嫌で

自分が、嫌いになっていく。

 

それが

『不感症』

幸福感もない。

 

 

自分の中に「感情」が、あるなんて

わからなくなっていた。

 

 

 

 

でも

「人の気持ち」は、わかっていた

つもりでいた。

 

 

 

けど

それは、全部「自分の中の鏡」から見ていただけの光景

 

 

 

 

本当は、

相手が何を望んでいたのか?

わかっていなかった。

 

 

「相手の望み」ではなく

本当は、

自分がしてもらいたいこと

を、やっていただけなのだ。

 

 

 

 

 

それまでの

『美徳』は、

誰かの「気持ち」を察して、

行動することだと思い込んでいた。

 

 

 

自分は

「その人のためにできている」

と思い込んでいた。

 

 

 

お友達に喜んでもらうように。

子供を悲しませないように。

お姑さんに嫌われないように。

母親がイラつかないように。

 

 

 

 

夫だけには、わかって欲しかった。

 

 

 

 

「自分勝手」に、

相手の『感情』を、

 

 

喜怒哀楽・好き・嫌い・心地よい・不快

 

 

 

 

自分だけの「フィルター」から決め込んで、

 

 

 

かわいそう

機嫌悪い

傷ついちゃう

悲しいだろう

これが喜ぶ

 

 

 

押し付けてきた。

 

 

そのことの方が

よっぽど「自分勝手」なことだと

気づかなかった。

 

 

自分の「感情」を

満たすためにしていたのだから。

 

 

 

だから、

誰も喜んでくれない。

むしろ文句になってかえってきたりして。

 

 

それが「当たり前」になっていくから。

 

 

 

何より、自分が

嬉しくない。

 

 

 

我慢して、苦労して、

ずっとある「欠乏感」「自信がない」

それらを埋めるために

頑張り続ける「負」のループ。

 

 

 

自分が、

子供のことを

こんな風に育ててしまったという「罪悪感」

を持ちながら

 

 

 

「自分の気持ちを言いましょう」

なんて出来るわけがない。

 

 

 

相手のことを察して行動することが

『美徳』だと思っていたから。

 

 

それを、やってくれない人に

イラつく。

 

 

 

今では、

相手の「意思」「気持ち」を聞いてから

行動するようになった。

 

 

 

・お腹すいた

・車で迎えにきて

・肉が食べたい

・勉強やりたくない

・疲れた

・お弁当作って

・これ、頼んでおいて

 

 

オッケーと引き受ける。

 

 

 

更に

私も、相手に「同じことが出来るようになった」

 

 

 

・息子に車で迎えにきてもらう

・今日はお弁当作りたくない

・夕飯作りたくないから外食に行こう

・眠いから眠らせて

 

 

相手も、オッケーと引き受けてくれる。

 

 

 

 

子供を育てていく上で、

 

相手の「意思」「気持ち」

「聞かず」して

先に「やってあげること」は、

 

 

子供は「社会」で

言えなくなる。

 

ことに、繋がってしまう。

 

 

 

何より

自分自身が、

先にやってあげることが「美徳」だと思っていると

 

 

子供自身の「声」が聞こえなくなってくる。

 

 

 

そして、子供は、

 

 

「言っても無駄」

を、覚えていく。

 

 

「わがままになればやってくれる」

を、覚えていく。

 

 

 

 

それが、

その子の中に「無意識化」されていく

 

 

 

 

そんなことを言うと

「なんでも・かんでも言う人」になる

自分勝手な人になる。

 

と、思うかもしれない。

 

 

 

けど、

違う。

 

 

 

言える「状態」を作っているだけで

その場に合わせられるようになってくるのです。

 

 

 

『人』は、誰でも

『場』に合わせる力も、持っているから。

 

 

 

言いたいことが言えない「状態」は

いつも

「言えない」と言うこと。

 

 

 

「言えている状態」は、

自分自身が、満たされているから。

 

 

 

 

むしろ、

自分の「感情」「気持ち」が

自分で「わかっている」からこそ。

 

自分で「処理」できているからこそ

 

自分で自分のことを大事にできているからこそ

 

 

 

相手のことを「尊重できる人」になっていく

相手のことを「幸せに出来る人」になっていく

 

 

 

 

相手が「そう」してくれなくても

瞬間的に

許すことが出来るようになっていく

 

 

 

自分自身も苦しくない。

 

 

 

 

自分の「感情」

自分の「気持ち」

を、

 

 

満たすために

 

自分の「欠乏感」「達成感」「罪悪感」

 

を、満たすための「行動」は

エモーションフリーで消化できます。

 

 

 

自分の存在を、

誰かで、埋めようとしているのは、

 

 

 

一人

一人

 

ではなくなるから。

 

 

共依存

執着

同化

母子一体化

 

などと言う「言葉」がうまれるのです。

 

 

 

 

『問題』がない人には

存在しない「言葉」なのです。

 

 

 

 

 

メルマガで、

とある人の

子供の頃の「トラウマ」にアプローチしたお話をしました。

 

 

 

幼少期に「親が離婚」をして、

その数年後に、親が再婚をした時のこと。

 

 

 

その人の「トラウマ」は、

再婚した時

に、あった。

 

 

親が再婚した時に、

家ではおとなしく。

幼稚園で暴れていた。

 

 

らしい。

 

 

 

エモフリをした後に、

自分で「その時」のことを思い出し

整理できた。

 

 

その時は、

ただ、みんなが「敵」に見えていたとのこと。

 

倒せなかった奴が一人だけいたのも覚えている。

だって(笑)

 

 

 

人には「多面性」があるのです。

 

 

親には、外弁慶と呼ばれていた。

 

 

 

外で「問題」を起こしては

連絡が来ていたから。

 

それは形を変えて

学生時代も、大人になってからも、

ずっと、続いていたからね。

 

 

 

 

でも、

エモフリ後、兄と語り合った時

兄は、親が出て行った時の方が

辛かったとのこと。

 

 

親の「傷」は

いつだろうか?

 

 

 

同じ事柄で、同じ家族だったとしても

 

そのくらい

「感じ方」「捉え方」

違うのです。

 

 

 

たとえ

親だから、と言っても。

 

 

「子供の気持ち」を勝手に決めて

何かをしてあげるよりも

 

 

 

一緒に喜んだり

一緒に悲しんだり

 

 

 

することが

「できること」

それが『家族』

 

 

相手の「感情」は

その人にしか、味わうことができないのだから。

 

 

その「肉体」の中でしか

起こらないことなんです。

 

 

 

「感情」を味わうことを

奪ってしまうと、その人自身

 

わからなくなってしまうんです。

 

 

 

過去の私みたいに

『不感症』に…。

 

 

 

だから

大人が『先』に、

満たされていくことが出来ると。

 

 

本当に

「その子のため」になること

が、

手に取るようにわかるようになってきます。

 

 

 

手を貸す時

親でも、その子に甘える時

親が喜びたいからやる時

子供が乗り越えるまで待つ時

子供が喜ぶ時

子供が痛みを感じる時

 

 

いろいろ、あるのが「当然」なんです。

 

 

 

それができていたら。

ほとんど

口出しは「必要ない」

 

しかも

『現実』で子供は、

きちんと見せてくれる。

 

 

 

 

自力で

「社会から、自分の喜びを掴み取ってくる」

を、見せてくれるのです。

 

ここに年齢は関係ない。

 

 

 

 

小さな男の子でさえ

お母さんのことを守りたい

と思っていたりする。

 

 

本当は、

お父さんのことで苦しんでいる母親なのに

 

 

 

自分が、

守れていないと言う錯覚を持ったりして。

自分を責めたりもするんだよ。

 

 

 

もっとこうしなさい。

と言われるほどに、

 

自分はできていないんだ。

ダメなんだ。

自分がお母さんを苦しめちゃうんだ。

 

 

 

って、思ってしまうんだよ。

 

 

 

子供だからって

「何も思わない」わけではない。

 

 

 

子供の方が

「親のこと」をよく観察している。

 

 

 

自分も「そう」だった。

でしょ?

 

 

 

 

だからね

「親」にエモフリすると

親子関係の信頼は、すぐに回復する。

 

だって

 

子供の方が、

絶対的に、親のことを信じているから。

 

 

 

 

それを

親が、裏切ったら。

 

 

本当はやりたくなくても

 

子供の方から、

いつか。

親を切らないといけなくなってしまうから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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