一年経って、泣ける場所が減ったなと感じます。
一周忌までは、いつでもどこでも泣いてました。
それが許されていたし、仕方ないと皆んな受け止めてくれている様に感じてました。
自分でも止めることは出来なかったんですけどね。


今もきっと、泣いたって許される。
でも、自分の理性の方が勝ってきてしまいました。


泣いたら困るだろうな。
空気が悪くなる。
泣いたって仕方ないしな。
引きずり込んだらいけない。

心の中で泣いて、涙を流さないことも増えてきました。

20181207_1


私は何も変わらず辛いのに
「一年経ったんだ」という周りの響きが「そろそろ立ち直ってきたんじゃない?」に感じます。



子供達の前では極力泣かない(お父さんがいないことを悲しいことにしたくない)

家族の前でも泣かない。(前向かなきゃ!の家族の前ではそもそも泣いたことない。)

義実家の前でも泣かない。(辛さは共有できるけど、だから大丈夫な時には引きずり込んだらいけない)


胸の中に押し込めて
顔は笑えるようになりました。

20181207_120181207_1
20181207_120181207_1


外ではどんなに頑張っても
本音をこぼせる場所
それがあるだけで全然違う。
誰も分かってくれなくても、本当の自分を知らなくても、ココがあるから大丈夫だという場所。
ほっと自分を出せる場所。

あぁ、それが伴侶っていう存在なんだ。
…いなくなっちゃったよ。伴侶…

人生で一番しんどい思いを抱え、ここ1番に助けて欲しいのに
いない事実が更に余計に苦しめる。

どこにもないよ。本当の自分を全部わかってくれる場所。

20181207_2



以前に弟子仲間だったタッチが言ってくれていた
「いつでも、いつまでも、一緒に泣けるから」
という言葉が意外と支えだったりします。(『生じるずれ』

何年経っても、ここだったら泣いていいと思える場所。
頼りにしてるよ。

20181207_3

 応援をどうぞ!さあ!

ランキングに参加しています。 
クリックしてもらえるとランキングが上がっちゃって
更新と生きる励みになります。
  にほんブログ村 家族ブログ 死別へ 


↓更新すると通知が届きますよ。 line_sab_serihu_20171107_mini
line_sab_20171107_mini

『せせらぎ通信』はいかが?

サイドブログを立ち上げております。
癒された曲や、手続きの話など
死別時に役に立てたらいいなという情報やらを書いています。(情報サイトです。)

seseragitsushin_title


文字多めで難しい話もありますがイラストも描いています。
わかりやすく説明している。つ・も・り。
よろしかったらのぞいて見てください。