夜寝る時
ふと「お父さんのこと覚えてる?」
とけーくんに聞いてみました。
まーくんが死んだのは
けーくんが3歳の時。
彼の中で
お父さんはいるのだろうか。
ふと疑問に思ったから聞いたけども
聞いてから
胸がしめつけられました。
この子は
覚えてるか覚えてないかなんだ…
まーくんも
覚えられているか覚えられてないかなんだ…
どんな人だったとか
何をしてくれただとか
思い出をどれだけ覚えているかじゃなくて
存在そのものを覚えているか。
いたのに。
確実にいて、時を一緒に過ごしたのに。
子供達の中には存在してない。
それが切なすぎて悲しすぎて
胸を締め付けました。
あ、存在はしていました。笑
「覚えてる」って。
とはいえ、どこまで…
後付けの記憶や思い出がそう思わせているのかもしれない。
純粋に覚えているお父さんの記憶はあるのだろうか。
そして
そんなまーくんが悲しくて。
あんなに子供を可愛がってたのに
成長を楽しみにしてたのに
キミは今、存在証明の危機だよ。
ばかだなぁ。
早く死ぬから。
もうちょっと思い出に残ってからにすればいいのに…
一緒にお父さんを語れるくらいさぁ…
…って、語ってもらいたかったよね。
何よりもまーくんが。
語りべとして引き継いでいくよ。
●まーくんが死んだ時の『始まり』から読む→こちら
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コメント
コメント一覧 (16)
上は2歳1ヵ月、下に至ってはお腹の中の時の死別。何とか上の子に少しでも覚えてて欲しくて、毎日「パパが~」と話しているけど、どこまで覚えてるのかなぁ。
下の子は相変わらず、ダッフィーに向かって「パパ」と言ってます(笑)
たまに、葬儀場の近くを通ることがあって、その時は上の子が葬儀場を指さして「パパ」って言うんですよね…きっと、2歳ながらに強烈な印象が残ってるんだろうなぁ…
子供が小さすぎると、パパはこうだったよね~って話ができる人がいないから辛いですね。。。
せせらぎ
がしました
それでも、私も知らないようなパパトリビアを時々披露してきます。
年数関係ないな、と。
覚えていて欲しいし、一緒に話したいですけど。
でも、娘は覚えてないと言うことが多いです。
故意かもしれませんけど。
もうっ💢
私にも子供達にもこんな思いさせてるんだから、ほんっと ちゃんと守ってくれなきゃ困りますよ。
せせらぎ
がしました
家族のきずなエッセイ、書くことがない~という5年生長男にもれなく父親の思い出を書かせました。
読書感想文も『かみさまにあいたい』という本の感想に父親のことを。
友達には書けない、我が子だから書けることがあるはず。
ある意味、父親が亡くなったという境遇を自分の力にして生き抜いて欲しいですね。
せせらぎ
がしました
今はまだ、夫がフザケてたり、私に怒られてたことも鮮明に覚えてたりするのに。
まだ小さかったから、いいとこだけ残っていくのかなあ。
将来の娘の結婚相手も大変ですわ、お父さんを超えなきゃいけなくて。
せせらぎ
がしました
そうですよねえ。
うちの場合ー子どもたちにとって死んだ夫は「カッコいい最高の父」「死に方までカッコいい」「お葬式には500人も来てくれた」「こんな時お父さん居ればなあ〜」……私だけが知ってるカッコ悪いとこはもうなかったことになっている。
いいんだ。これでいいんだ。
でもでも、残されて気が狂いそうな、それでも這うように生活している私は「変なオバさん」なんて…なんか、なんか…納得いかんわ💢
だけど「カッコいいお父さん」が残っているのは幸せなことだな。
それに、夫が会えなかった孫たちに「ばぁば大好き‼️」と言われるのは私だけだからそれでいっかーと負け惜しみの毎日です(笑)
せせらぎ
がしました
それはそれはステキな父ちゃんだったと
語り継ぎましょうね。
当時5歳だった長男は、ふざけている事しか覚えてなくて
彼の中の父ちゃんは変な人!! それでいい!!
せせらぎ
がしました
せせらぎ
がしました
いつも「パパのお陰で生活出来ている」という説明は必ずしています。 私は今、存在しているけど、鬼ばばみたいな感じ。だけど、遺影のパパは怒らずに微笑んでいる。もうこれだけでもスゴい差!(^^;;
せせらぎ
がしました