魔術秘密仏教

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魔術(まじゅつ)とは、仮定上の神秘的な作用を介して不思議のわざを為す営みを概括する用語である[1][* 1]魔法(まほう)とも。

人類学宗教学の用語では呪術という[3]。魔術の語は手品(奇術)を指すこともある[4]

 

目次

訳語としての「呪術・魔術・魔法」と文脈に応じたその用法

英語の magic[* 2] は「魔法」、「魔術」、「呪術」と翻訳される[5]。近代日本において、訳語を創出する必要があった「文化」などの概念と異なり、magic は従来の日本語の語彙で対応しうる言葉であった[7]魔法は古くからある日本語であり、幕末に刊行された『和英語林集成』初版(1867年)の英和の部では magic に「魔法」「飯綱」「妖術」が当てられ、同じく和英の部では「魔法」や「魔術」に magic arts, sorcery 等が当てられた[8]

宗教人類学の分野では、この訳語として呪術が定着している[9][* 3]。一方、思想史[11]や西洋史の文脈では魔術の語が用いられることが多い[12]。魔術は西洋神秘思想の一分野の呼称としても用いられる[3]

呪術研究

理論と学説

『金枝』(J.M.W. Turner)、アイネイアス神話の一場面。『金枝篇』の口絵として用いられた。

  • フレイザーの理論

人類学者ジェームズ・フレイザーは、『金枝篇』において、文化進化主義の観点から[13]、呪術と宗教を切り分け、呪術には行為と結果の因果関係や観念の合理的体系が存在し、呪術を宗教ではなく科学の前段階として捉えた。

フレイザーは、呪術を「類感呪術(または模倣呪術)」と「感染呪術」に大別した。

類感呪術(模倣呪術、imitative magic
類似の原理に基づく呪術である。求める結果を模倣する行為により目的を達成しようとする呪術などがこれに含まれる。雨乞いのために水をまいたり、太鼓を叩くなどして、自然現象を模倣する形式をとる。
感染呪術contagious magic
接触の原理に基づく呪術である。狩の獲物の足跡に槍を突き刺すと、その影響が獲物に及んで逃げ足が鈍るとするような行為や、日本での藁人形に釘を打ち込む呪術などがこれに含まれる。感染呪術には、類感呪術を含んだものも存在するとフレイザーは述べている。呪術を行使したい対象が接触していた物や、爪・髪の毛など身体の一部だった物に対し、類感呪術を施すような場合などである。

フレイザーは進化主義的な解釈を行い、宗教は劣った呪術から進歩したものであるという解釈を行ったが、エミール・デュルケームはこれを批判的に継承し、本来集団的な現象である宗教的現象が個人において現れる場合、呪術という形で現れることを指摘した。さらにマリノフフスキーは、機能主義的な立場から呪術や宗教が安心感をもたらしているいうことを指摘し、また動機という点から人に禍をもたらすそうとする呪術を「黒呪術 black magic」といい、雨乞いや病気回復など公共の利益をもたらそうとする呪術を「白呪術white magic」とした。しかし超自然的なものである呪術だとしても、意図的なものと非意図的なものがあるとして、エヴァンズ=プリチャードは前者を邪術、後者を妖術として区別する必要性を主張した。

  • ビーティ(J.Beattie)は、呪術を象徴的な願望の表現とした。
  • レヴィ=ストロースによる指摘

クロード・レヴィ=ストロースは、思考様式の比較という観点から、呪術をひとつの思考様式としてみなした。科学のような学術的・明確な概念によって対象を分析するような思考方式に対して、そのような条件が揃っていない環境では、思考する人は、とりあえず知っている記号・言葉・シンボルを組み立ててゆき、ものごとの理解を探るものであり、そのように探らざるを得ない、とした。そして、仮に前者(科学的な思考)を「栽培種の思考」と呼ぶとすれば、後者は「野生の思考」と呼ぶことができる、とした[14]

「野生の思考」は、素人が「あり合わせの材料でする工作」(ブリコラージュ)のようなものであり、このような思考方式は、いわゆる"未開社会"だけに見られるものでもなく、現代の先進国でも日常的にはそのような思考方法を採っていることを指摘し、それまでの自文化中心主義的な説明を根底から批判した。

邪術と妖術

詳細は「邪術」および「妖術」を参照

エヴァンズ・プリチャードによる南スーダンのアザンデ族の研究以来、社会人類学では邪術 (sorcery) と妖術 (witchcraft) とを区別するようになった。

邪術は、英語の sorcery に対応する日本語の文化人類学用語であり、呪術信仰において超自然的な作用を有すると信じられる呪文や所作、何らかの物を用いて意図的に他者に危害を加えようとする技術を指す。ただし、防衛のために行われる呪術を邪術に含める場合もあるので、邪な意図によるものばかりではない[15]

妖術とは、学問的には、文化人類学で定義されるウィッチクラフト(witchcraft)のこと。エヴァンズ・プリチャードは、アフリカのアザンデ人の研究において、ザンデ語において「人間が意図していなくても危害を加えてしまう力」として使われているマングの訳語としてwitchcraftという造語を用い、日本ではその訳語として妖術が定着した[16]

調査研究

呪術では、何らかの経験則に沿って呪術の様式が体系化されており、これが民族間の交流で他文化に影響を与えることも多い。これらの民俗学的調査により、民族間の交流や移動の経路などが判明することもある。また考古学的な観点からは、過去の遺物より呪術の様式を解明し、当時の文化や交易の経路を追跡して調査することも行われている。

世界の呪術文化

呪術道具

呪術には特定の呪術道具があり、狩猟具漁具を使用する場合もある。ギリシア文明や日本、東南アジアなどでは弓矢が、神聖なものとされ、や神の力が宿ると考えられ、呪術の道具として使用された。狩猟民族の社会において弓矢は世界的に普遍的な、呪術の道具であったと考えられている。これは、弓矢が敵対する社会集団との戦いに用いられたことも大きく起因する。

また弓矢はその後、弦楽器の多くの起源となり、音楽楽器に呪術的側面を持たせることにつながった。

日本においては漁具の釣針、弓矢のも「サチ」とよばれるマナであるとされ、サツヤ(獲矢と書かれる)とよばれて信仰され、後、銃による狩猟が出て後も、獲物に当たった弾丸を鋳直して持つ「シャチダマ」という習慣があった。

呪術と医療

呪術が医療として機能していたことは民間医療などにもその痕跡がみられる。温泉冷泉治療なども経験的な医療効果が信じられヨーロッパや日本などでも利用され、特定の信仰と結びつき呪術的要素を持っているものもある。特に日本においては、「詣で」と宿場温泉地が結びつき、湯治はもちろん宿泊入湯払いであった。沖縄には蕁麻疹、かさ(皮膚病)、魚骨が喉にささったときの、ハブ除けの、悪霊が付いた時の、くしゃみの時の呪術があった。くしゃみをすると霊魂が外に出るという考えがあった。

アフリカの一部の国では、(植物にかぎらない)の生成と薬草の使用は生活の上で重要な位置を占め、それに伴いその知識を独占的に持つシャーマンが存在する。シャーマンは、現在、呪術医として分業するものも多く、薬草においては、"呪術"に使用されていた物品を科学的に検討してみたところ薬理効果があることが、実証されているという事例もあり、その知識と薬草の提供に対し、提携し契約している製薬会社も存在し実際に新薬の開発に貢献している。

東洋医学における漢方薬なども近代科学とは別の由来を持つという意味では同様の事例である。東洋医学においては歴史的に蓄積されてきた薬草の知識や陰陽五行などの思想体系が背景にある[* 4]

また、心理学的な作用が結果として効果を発揮していると見られるケースや、行為者が意識的に心理効果を狙っているケースもある。暗示や催眠によるものなどである。このような心理効果の活用例には「プラセボ」と呼ばれる薬を用いた治療方法が挙げられる[* 5]

占いと祈祷

預言者サムエル(右)

呪術は基本的に神霊が祈祷師に憑依し、神託としての予言預言啓示、託宣を垂れることをいい、これは、ユダヤ教キリスト教イスラム教などでも同様に観察される。ヘブライ語で預言を垂れる、という意味のヒッティーフは、元「(涎を)垂らす」の意であり、『サムエル記』では忘我状態で神の言葉を述べる聖者を指して使われるが、日本の神社神道(かんなぎ)といわれる神主巫女が、神の憑依体(依り代)となって神の御言を述べる。同様に神託を伝える儀式として亀甲占い年始神事、その簡易としての「おみくじ」等の占いがある。なお柳田國男は、年始に行う花札百人一首のようなカードゲームを、「占術の零落した物」とする。同様にサムエル記上14章41節では、預言者サウルが胸ポケットに入れたウリムトンミムと呼ばれる物を無作為に取り出して、神意を問うシーンがある。結局は原始宗教、宗教または、それによって律せられる土着の習俗において、神霊を信じ、その神霊に祈る(祈祷)ことで神頼みをし、その啓示を人生の指針として身をゆだねるというのは、占いと変わらないともいえる。このように現在の宗教の多くは原始宗教からの「機会」を神の啓示とする呪術的要素を備え継承している。

呪術と社会