機能性構音(こうおん)障害※を克服した体験記です。
私は18歳の時に東京発音教室様にて適切な矯正をうけ、この障害をほぼ完治させることができました。
この障害を簡単に説明すると、特定の音を正しく発音できない、つまり滑舌がとても悪いという症状です。私の場合、キ、ニ、シ、チ、ジ、などのイ段の発音全般がダメでした。しかし、週1回60分のレッスンを6~8回受けるだけで、ほぼ完治させることができました。
かかった費用は10万円弱です。決して安くはない金額ですが、私にとっては生涯最高の買い物の一つでした。文字通り人生が変わったからです。
この障害の特筆すべきポイントは、多くの場合は矯正できるにも関わらず、治らない症状だと広く誤解されている点です。
なんともったいないことか・・簡単に治せるのに!
私は同じ症状を持つ方と遭遇したら、(変質者と思われてもいいので)その情報をお伝えするように努めています。
記事の要点はそれだけです。
以下はケーススタディとして、私がたどった過程をシェア致します。
※2006年の時点では「機能性側音化(そくおんか)障害」との名称が一般的でした。2020年5月時点では、より適切な名称に統一された模様です。
機能性構音(こうおん)障害とは?
機能性構音障害とは何か?
大切なことは全て治療機関様のHPに書いてあるので、引用しつつご説明します。
つまり、治せるのに放置されてしまった発音下手です。
学生の頃、クラスに一人はいたんじゃないでしょうか?舌っ足らずの子が。きっとあなたの身の回りにも、現在進行系でいるはずです。未だに芸能人にも散見される程ですから(関係者の人、教えたげて!)
引き続き引用です。
多くのものは十分な自然治癒は期待できず、また家庭でも学校でも見過ごされたり諦められたりして、正しい矯正の機会が得られずにそのまま成人まで持ち越されるケースが大部分です。コミュニケーションに重大な(全般的な)齟齬をきたすことは少ないのですが、よく聞き返されたり聞き間違えられたりし、丁寧に言い直しても改善されません。
また本人に自覚があり自分で治そうと工夫しても、自己聴覚モニターの歪みのために正しい目標音の設定と評価ができず、自身だけでの改善は困難を伴います。この障害には医学的原因はありませんから医療や歯科医療で治すことができません。
またコ・メディカルの言語訓練を行っても他の種類の障害向けに一般的な基礎機能訓練や聴き取り訓練、繰り返し発音訓練などでは改善しません。小学校の「ことばの教室」でもこの種類のものは指導が難しいとされ、指導期間も長期に亘りながら殆んど実効が上がっていないのが実情です。
これらのことから一般にまた関係者の間にさえ、この障害は大人になってしまうと、一生治らないという誤解が根強く存在します。刊行本やウェブサイトの中にも早いうちに治すべきで大人になると治しにくいという記述が多く見られますが、それらはすべて古い知見によるものです。
2006年からこんな状況であり、私がお世話になった先生も状況を嘆いていらっしゃいました。
2020年5月現在でも、成人向けの矯正機関は未だ整備されていないとのことです。しかし、徐々に着手されてきたという情報もチラホラ出てきました。
今後の改善を期待しております。患者は山ほどいるのですから。
具体的なレッスン方法
私の症状であった「ニ、シ、チ、ジ、などのイ段が言えない」は側音化構音と呼ばれ、この障害の典型的な症例であるようです。
レッスン内容に難しいことはなく、録音した声を確認しながら、先生の指導に沿った発声を繰り返すだけです。一回のレッスンごとに一つずつ苦手な音を克服していき、その後は意識せずとも正しい発音ができるように慣らしていく、といった流れでした。
「もっと舌を下側に下げるイメージで」
「音を出さずに、息だけを前方に吹き出すイメージで」
などの指示を受けながら発声を繰り返すと、まれに正しい発音が出てきます。
「よし!その感じだ。今のを保って、さらに舌の力を抜くように意識して」
録音した声を効きながら、コツを徐々に落とし込んでいきます。外国語の発音練習と似ています。
なおこれらのレッスンは、専門家にとっては初歩的な訓練であるらしく、お世話になった先生は「アナウンサーへの精密な訓練と比べたら、赤子の手をひねるようなもの」と表現されていました。
実際に、こんなにあっさり治るのか!?と驚愕した記憶があります。
たった一時間で、長年言えずに悩まされていた単語をあっさり発音できた・・?
と、生まれ変わったような喜びに満たされました。
(簡単に治せるのにもかかわらず、社会的な治療体制が整っていないため、多数の患者が放置されています。素人には伺い知れない事情があるのかもしれません)
週60分のレッスン8回で治った
私の場合、全ての症状が週60分のレッスン8回、つまり二ヶ月足らずほぼ完治しました。
治るまでのスピードも標準的だったようで、早い人だと1~2回、遅い人でも10回未満のレッスンで、目覚ましい改善が見込めるようです。
治るまで1~2年要するとの情報も散見されますが、そんなことは稀です。もちろん個人差が大きいため、断定的には言えませんが。
当時先生から伺った話では、1000人近い症例の内、一人だけ全く改善を示さなかった人もいたそうです。裏返せば、改善率は99%を超えています。
ちなみに、なぜ治るのか/治らなかったのか?という問いは、専門家にも解明が難しいらしく、人間の発音メカニズムは奥深いものであると教わりました。
一例として、発声器官をロボットで再現すれば、人間の発音をマネさせることはできるものの、そのロボットの口にアメ玉を放り込むと、途端に発音がダメになります。しかし人間ならば、アメを舐めながらでも問題なく発音できます。なぜか?
人間の発声器官というのはフレキシブルな、相互補完的な仕組みで働いており、全容を解き明かすのは至難の業、ということらしいです。
苦手が音が名前に含まれているケースが多い
先生曰く、不思議なことにこの症状を持つ人は、自分の名前に苦手が音が入っているケースが多いようです。因果関係の証明は困難ながら、何かしら関係があるかもね、、とのことです。
私のケースでも、苦手だったイ段の音が、名前に3つも入っています。
だから当事者として断言できるのは・・
自分の名前すら言えないなんて、そりゃーもう・・・無力感を感じますよ。
この症状を持つ人は、言えない音が含まれる単語を、別の単語に置き換えるスキルが発達するものです。しかし名前の場合は、その方法で逃げることもできません。
だから自己紹介が嫌で仕方がありませんでした。
私(ワタシ)も自己紹介(ジコショウカイ)も趣味(シュミ)も誤魔化せます。でも
名前だけはどうしようもありません。
私(ワタシ) → 僕(ボク)、俺(オレ)
自己紹介(ジコショウカイ) → そもそも言わない
趣味(シュミ) → マイブーム、ハマってるもの
名前 → ・・・・(泣)
似た症状であり吃音(どもり)の場合も似ています。
映画化もされた名作漫画、志乃ちゃんは自分の名前が言えないでは、大島志乃(オオシマ・シノ)という女子高生が、高校入学時の自己紹介にて、この壁に跳ね返されるシーンが出てきます。
彼女の場合は、「発音自体は問題ないが、母音(アイウエオ)を冒頭に発声できない」という症状を持っていました。しかし名前は「オオシマ」ときています。
この作品内でも、担任教師に「自分の名前ぐらい、言えるようになろ?」と悪意なく(!)励まされ、行き場のない悲しみを抱える姿が描かれています。
同時に、彼女が障害を乗り越えていく経過も、王道に沿った美しいものです。
機能性構音障害とは異なり、吃音は完治しないことも多い症状ですが、障害の根本は話せないことではなく、自分を否定し続ける精神にある。
そう教えてくれる名作です。
元当事者として伝えたいこと
結論として言いたいのは、別に上手に話せなくたっていいじゃん?
ということ、これに尽きます。
ほぼ症状が解決し、自由に話せることが楽しくて仕方なくなった私は、後に会話力が求められる営業を志望するようになりました。
大人数を前にプレゼンすることも苦ではなくなり、むしろ楽しみすらなった頃に、同じ営業をするとある人物に出会いました。彼は以前の私と同じ症状を持っていました。
しかし彼は、堂々と間違った発音で顧客と会話して、何の問題もなく仕事を遂行していました。
営業成績も上位であり、発音の問題などどこ吹く風です。
でも考えてみれば当然でした。
顧客からすれば、言っていることがわかれば、何の問題もないのですから。
逆に発音がキレイであっても、有意義な取引ができない相手ならば、付き合うメリットがありません。
更に、一度信用を獲得したあとは、滑舌の悪さなど痘痕も靨(アバタもエクボ)です。名前や顔を覚えてもらいやすいし、当初の悪印象を覆したギャップ効果も作用します。
もちろん何を言っているかわからない場合は困りますが、機能性構音障害の場合、そこまでのケースは稀でしょう。アナウンサーや役者になるのでもなければ、大きな支障はないはずです。
キレイに発音することよりも、100倍は重要な要素がそこにはありました。
この経験は、その後に英語を学ぶ際に役立ちました。
私はLとRの使い分けができませんが、英語で日常会話をすることができます。
それはつまり、細かい発音を気にするよりも、何を言いたいかの大枠さえ伝えられれば、コミュニケーションは成立することの証明です。
英語話者にはノン・ネイティブスピーカーが7割を占め、訛りまくった発音も当たり前です。そして厳格なビジネス現場でもなければ、特に問題は起きません。
細かい発音どうこうよりも「メッセージを理解すること」、「相手を理解すること」が何よりも重要だからです。
だから、
別に上手に話せなくたっていいじゃん?
先人に学ぶ
当事者の実感として、この障害を「ただ発音が悪いだけ」と受け入れるのは辛いものでした。
会話をする度に、自分は出来損ないであることを突きつけられた気がして、多くの人は人前で話すことが億劫になります。そして治せないと誤解して、諦めてしまうケースも少なくありません。
がしかし、
大人になれば状況が変わります。
思春期には症状をからかわれ、気に病むことも多いですが、大人になると周囲はそれほど気にしないものですよ?
「ああ、この人は滑舌が悪いんだな。」
で終わりです。本人が引きずりさえしなければ。
重要なのは自分を否定しないことです。
芸人の諸見里氏のように、キャラとして活かす人物もいるくらいです
吃音の先人たちを見ても、同じことが言えそうです。
吃音を乗り越えてアナウンサーになった小倉智昭氏は例外として、吃音をテーマにしてアカデミー賞を獲った英国王のスピーチ、プッチンプリンのおじさんこと、吃音を逆手にとったスキャットマン・ジョンなどなど、表現の原動力として昇華された例もたくさんあります。
特に歌詞が素晴らしいです。
こんな内容の曲を、世界中でヒットさせていたのか・・。
→ 吃音症シンガー・スキャットマン・ジョンの歌詞はとっても深い。
先人たちは口を揃えてこう言います。
別に上手に話せなくたっていいじゃん?
なんだって誰しもどもる事はあるんだから
もちろん、機能性構音障害や吃音が治るのは喜ばしいことです。
当事者だからよくわかります。
しかし、もし治らなかったとしても、素晴らしい教訓を得ることができます。それもまた喜ばしいことではないでしょうか?
月並みな言い方ながら、この障害は私の人生を豊かにしてくれたように思います。
If the Scatman can do it brother so can you.
スポンサーリンク
コメント