アフターコロナ社会を思い巡らす(1)
今回の新型コロナウイルスの蔓延は全世界に広がり、世界史に残るような大きな出来事となっています。
今回の出来事は今後文明的な変換をもたらすでしょう。
その中で多くの人が新型コロナウイルス後の世界を想像し始めています。
朝日新聞ヨーロッパ総局長の国末氏はtwitterで『サピエンス全史』の著者ハルリのコメントを以下の通り紹介しています。
『サピエンス全史』ハリリのコロナウイルス論。中国は、徹底的な個人行動の追跡と管理でウイルスを封じ込めた。しかし、「咳の居場所を突き止める技術は、笑いを突き止めることもできる」。この手法が今後の世界の基軸となり、人々の振る舞いを監視し統制するのか。(続) https://t.co/7JSiwjXAjW
— 国末憲人 Kunisue Norito (@KunisueNorito) March 20, 2020
アフターコロナに思いを巡らすにあたり、一つの視点として、監視社会と自由社会という対立軸があります。これはつまり中国と米国との対立に置き換えられることがあります。今回のコロナ騒動後の国際政治経済においてどこの国が覇権を握っているかということです。現在の状況だけから判断すると、中国は回復基調にあり米国はますます混乱しています。なので、中国が有利のように思える状況と言えます。これは、データ(デジタル)テクノロジーの普及と大いに関係しています。
ただ、データ(デジタル)テクノロジー化については、デンマークやスウェーデンでも進んでいるので、データ(デジタル)テクノロジー化がすべて監視社会になるとは言えないでしょう。監視社会にならないでデータ(デジタル)テクノロジー化を進めていくことは可能でしょう。
データ(デジタル)テクノロジー化に関しては、テレワークやオンライン会議、オンライン教育の経験がかなり進んだと思います。これによって、いらない業務のようなものがかなりあぶりだされてきていると思ういますので、サービスのオンライン化が進むものと思われます。
また、大きな対立軸としてはローカル主義とグローバル主義があります。今後はグローバル化が世界経済にとって良いことだとは単純に思えなくなるでしょう。外国人嫌いなど偏狭主義としてのローカル主義が力を持ってくると思います。
そのほかの対立軸としては若者と年寄りの世代間対立も先鋭化してくるであろうし、都市生活と田園生活という価値観の揺らぎも生まれるでしょう。
今回の出来事は文明の地層を大きく揺るがし、しばらくの間は余震のように様々な軋轢や議論が起きてくると思います。
ただ、このコロナショックにおいて日本は(今のところ)本当の危機に陥っていないという点が(幸いではありますが)問題だとも指摘できると思います。ヨーロッパやアメリカのようなショックを経験せずに、表面的に取り繕うことで破滅的な社会へのダメージを避けていると言えます。
つまりは、今回は抜本的に社会を変革できるチャンスであるのに、アフターコロナも表面的に取り繕った前世紀の制度やシステムが残ったままの社会が続く可能性があります。
アフターコロナを議論しているわけではありませんが、NewsPicksで『シン・ニホン』の著者 安宅和人氏が落合陽一氏と対談で日本の再興について対談しています。
安宅氏は政府の委員をいくつもやっているが、官僚・政治家は動かないので、民意を変えるために本書を執筆したと前書きで書いてあります。安宅氏はたぶん相当な危機感をもって執筆したことでしょう。
そこで、彼はこれからの社会では異人が必要であり、科学技術・教育をはじめ「もう少し未来に投資しよう」と主張しています。
では今後の日本をどうすればいいのかという議論では、一般的には「教育を変える」という結論になりますが、落合氏は安宅氏との対談の中で、その処方箋は教育ではなく、「認知を変える」ことだと言っています。確かに既存の制度の枠組みの中で教育を変えてもしょうがないと考えます。
想像から構想されたものに対して共感が集まり、創造につながります。新しい社会を構築するために、まずどのような社会を作りたいのか未来を想像することから始ていきたいと思います。