突如変貌を遂げた赤い火の鳥

◎赤い火の鳥は・・・

 

昨日、赤い火の鳥は、その色を赤と黒交互に替えながら空中を漂っていました。

 

そして今日、その姿は真っ赤な西洋のドラゴンに変わっていました。

 

目つきは鋭く、黒い龍とはまた異なる印象で、厄災のなかでもさらに凶暴な雰囲気を漂わせています。

 

火を噴きながら空中に浮かぶ光景が見えてきました。

 

これからどこかに降り立ちそうな感じがしています。

 

当初、欧米に向けられていたものが、いまは日本に意識が向けられてきているので、日本はこれから相当に大変になっていくかもしれません。

 

前回のブログの余談のところで、『来週もさらに混沌がましていく』と書きましたが、株価にそれが現れてきているようです。

 

株価と私たちが実生活で感じるものとでは違うようですが、それでも経済的なことの一つの現れとしては、それなりに通じる面もあるそうです。

 

様々な思惑が絡み合いながら、これから激しく乱れていくようです。

 

 

 

◎最近書いている内容について

 

以前、意識レベルを上げる取り組みの中で、天変地異などの話は大して意味がないと書いていました。

 

しかし、ここ連日意識レベルを上げることとは異なる内容を主に書き続けています。

 

それはなぜかというと、このブログを見ている方のレベルをあちらの存在たちが見定めるためなのです。

 

これまで学んできたことを踏まえて、いまどうするか。

 

理解できている内容に応じて、それらは自ずと取り組みや気持ちのあり方に反映されます。

 

そこをいま見られているのです。

 

見られている、ということを知ってどう反応するのかも見られています。

 

 

 

◎接触への畏怖

 

コロナウイルスの感染拡大が騒がれている中で、人や物への接触について、嫌悪感や忌み嫌う風潮が高まっていきます。

 

そのことについて、

 

 

 

今この機会に際し

 

否定的に捉えていくのではなく

 

自らに目を向ける機会を得ている

 

そう考えるといいよ

 

 

 

と言われています。

 

なにかあると周りのせいにして、自分から目を背ける口実にしてきた人たちにとって、またとないチャンスとなります。

 

なにかを否定するのではなく、自らを成長させる機会としてどこまで活かせるのか。

 

身の丈以上に恵まれた環境で恵まれた生活ができていたことに気づけるか、さらに、気づいたところからさらに愚かな自分から抜け出すように行動に移していけるか、そして行動に移してからあきらめないで抜け出すところまでやりきれるか。

 

また、そこまでやれなかったら今後どうなるのか。

 

なかなか自分に向き合えないでいた人たちにとっては、半ば強制的につくられたチャンスです。

 

方向性をだし、あきらめないでできるか、それによって自らの運命を決めていくことになります。

 

 

 

◎あきらめない人

 

「あきらめない人」とはどういうことか、考えてみてください。

 

私たちは、エゴの特性として何度か書いたように、一つイヤなことがあるとつい、それを全体化して考えてしまうことがあります。

 

いまのコロナウイルスの騒ぎにしてもそうです。

 

重症化する人に対して、軽症で済んだりかからない人もいます。

 

しかし、取り乱している人は、この重症化や亡くなるケースに目を奪われて全体化してしまい、どれくらいの人が軽症で済んでいるのか、考えることを忘れてしまっているのではないでしょうか。

 

(報道が極端に偏るのは、そういう特性にはまりこんでいるから、ということがあるそうです。)

 

この世界は二元性という言葉で表されることがあります。

 

物事の片面だけでなく、両面見て自分がどうしたいのか納得いく判断をして生きていくことで、二元性を越えていくことができるようになっていきます。

 

それを中庸といい、心ある道、後悔のない生き方、などの言葉で表現されます。

 

よりよく生きていこうと思ったとき、よりよくできることに気づけないと、それを選びとることができません。

 

できないことに目を奪われていては、あきらめるのも当たり前です。

 

できることややってきたこと、そうしたことにきちんと目を向けられるようになっていくと、できそうなことにも気づけるため、簡単にあきらめなくなるのです。

 

よりよく、という方向性を出していないと、こうした気づきはなかなか得られないため、今後の取り組みに際し、よりよく生きるという方向性だけでも、まずはしっかりと自覚して取り組んでいってください

 

 

 

◎思い通りに生きられたら幸せ

 

せっかく全肯定という言葉を知り

 

考え方に触れ

 

これまで学んできたのであれば

 

それらを今こうした時期に活かさないと

 

もったいないよ

 

 

 

と言われます。

 

生みの苦しみという言葉ではありませんが、進化していく過程における苦しい時期があります。

 

こうした時期を越えていくにあたり、せっかく手にしたものがあるのなら、それを使ってはどうでしょうか。

 

あるものを上手に使う、ということは、あるものをあると認めているからこそできることです

 

そうした発想が出てこないうちは、あるものに気づけていなかったり、あるがままに見えていないため、よりよく生きるということもなかなか実践できていないのではないでしょうか。

 

つまり、ブログを読んでも、話を聞いても、字面だけおっていて理解できていない、ということです。

 

天変地異やウイルスのような内容に振り回されすぎず、自分がどう生きていきたいのかに意識を向けて取り組めているなら、それだけ理解できているということです

 

これまでの取り組みの結果を、このようにこれからも自分の目で見続けていくのです

 

アホが嫌なら賢くなるように頭を使って考えることです。

 

嫌だ嫌だと言い続けているだけで行動を変えていない人は、アホのままでいたいのでしょうから、それはそれで思いどおりに生きられて幸せです。

 

しかし、まだエゴに主導権を握られたままですので、それはエゴの思いどおりということであり、これからも現状維持でい続けようとし、よりよく変わっていこうとする全体とは乖離した生き方が強くなっていくことになります。

 

理解できていない方というのは、そういう方向性で生きている人たちなのです。

 

 

 

◎余談

 

昨日は新月でした。

 

一つ節目を越えて、深いところでの動きが現象化し始める日となったそうです。

 

まだこれからいろいろなことが起きていくようですので、とりあえず3月半ばくらいまでは、気持ちをしっかりもって過ごしていただくといいと思います