テーマ:ささやかな幸せ(6727)
カテゴリ:Q輔とU子と「この場をお借りして」
大丈夫か? 仕事中に、妻から突然のライン。 大丈夫か? 志村けんが命をかけて教えてくれたんだ! コロナ予防!手洗いしっかりとやれ! それで、 知りました。 志村けんが死んじまった。 ・・・あっけない。 ・・・あっけなさ過ぎる。 コロナ、おま、なんてことすんだよ。 僕は、チビッ子の頃から、志村けんの大・大・大・ファンだ。 例え、志村が故人になったとしても、 四十五歳のチビッ子にとって、「志村さん」という仰々しい言葉は、なんか違うのだ。 志村は志村だ。志村けんだ。 ええい、クソう。 もし、ウイルスが目に見えたなら。 日本中のチビッ子が、大声で教えてやったのに。 志村あああ! 後ろおおおおおおおお! って。 子供の頃から、志村けんが大好きだった。 志村けんは、絶対だった。 いつだって、問答無用で面白かった。 大人になり、結婚してからも、変わらず大好きで、 たまの特番は欠かさず見たし、DVDも大人買いして、 長女が二歳の時から、笑いの英才教育としてドリフのコントを見せた。 長女と二人で「志村魂」も見に行った。 二部構成の一部は、定番爆笑コントや津軽三味線、二部は藤山寛美の喜劇を志村流にアレンジした舞台。 最高だった。まじ、笑い死にするかと思った。 容赦ない馬鹿、容赦ない貧乏、容赦ないボケ老人、容赦ない変人。 そんな言わば社会的弱者ともいえるキャラを、何故か見る者に差別心を一切感じさせず、志村は豪快に演じることが出来た。 それでいて、幼いチビッ子が見ても、どこかノスタルジックな哀愁を感じるような、不思議な魅力があった。 志村けんが、大好きだった。 志村けんは、絶対だった。 そんな僕を妻は「あんた、志村けんが死んだら、絶対泣くよね」と、いつもあきれ顔だった。 仕事が手につかなくなるのが怖くて、家に帰るまでニュースは見なかった。 帰宅して、自宅の駐車場で、恐る恐るスマホで訃報を読んで、 涙をこらえて風呂場に逃げ込み、 妻の予言どおり、膝を抱えて、泣きました。 志村、あんまりだよ。 このコントは、笑えないよ。 とは。 とは。 言うものの。 いつまでも悲しみに暮れているわけにもいかねっす。 僕らは、志村けんの屍から、学ぶべきだっちゅーの。 人がこの世にそれぞれ使命を持って生まれてきたのだとするなら、 志村けんの使命は言うまでもなく「人々に笑いを与えること」であった。 だとすれば、今のこの情勢を一日でも早く笑いに変える為に、 志村けんが、身を捨てて僕らに警告をしてくれたのかもしれない。 この世界がコロナウイルスを乗り越えて笑うために。 いつか、みんなが、笑える日のために。 僕の笑いの原体験は、紛れもなくドリフターズの志村けんだった。 そしてその笑いの核のようなものは、すでに僕の遺伝子に組み込まれていて、 その笑いの核は、僕たちの子供へ、孫へ、そのまた子供へと、きっと永遠に遺伝することだろう。 だから、志村けんは死なない。 たまたま、肉体は地上から消え失せてしまったけれど、 彼が残した笑いの核は、日本人の感性に永遠に遺伝し続ける。 志村けんは、日本人の心に永遠に生き続けるのだ。 もしこの先、娘たちが嫁に行って、子供が生まれたら、 僕は、生まれたばかりの孫から、大爆笑をとる自信があるぞ。 僕は、娘や婿や孫の前で、このように踊るのだ。 変なおじさん~。 変なおじさん~。 変なおじさん~。 だから~。 変なおじさん~。 僕の遺伝子レベルの志村けんで、 きっとみんな、大爆笑だ。 にほんブログ村 ↑ポチッと一枚! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020.04.12 07:30:26
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