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家曜日~うちようび~

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2020.03.31
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大丈夫か?


仕事中に、妻から突然のライン。


大丈夫か?

志村けんが命をかけて教えてくれたんだ!

コロナ予防!手洗いしっかりとやれ!


それで、

知りました。


志村けんが死んじまった。

・・・あっけない。

・・・あっけなさ過ぎる。

コロナ、おま、なんてことすんだよ。


僕は、チビッ子の頃から、志村けんの大・大・大・ファンだ。
例え、志村が故人になったとしても、
四十五歳のチビッ子にとって、「志村さん」という仰々しい言葉は、なんか違うのだ。
志村は志村だ。志村けんだ。

ええい、クソう。

もし、ウイルスが目に見えたなら。

日本中のチビッ子が、大声で教えてやったのに。

志村あああ! 後ろおおおおおおおお!

って。

子供の頃から、志村けんが大好きだった。
志村けんは、絶対だった。
いつだって、問答無用で面白かった。
大人になり、結婚してからも、変わらず大好きで、
たまの特番は欠かさず見たし、DVDも大人買いして、
長女が二歳の時から、笑いの英才教育としてドリフのコントを見せた。
長女と二人で「志村魂」も見に行った。
二部構成の一部は、定番爆笑コントや津軽三味線、二部は藤山寛美の喜劇を志村流にアレンジした舞台。
最高だった。まじ、笑い死にするかと思った。
容赦ない馬鹿、容赦ない貧乏、容赦ないボケ老人、容赦ない変人。
そんな言わば社会的弱者ともいえるキャラを、何故か見る者に差別心を一切感じさせず、志村は豪快に演じることが出来た。
それでいて、幼いチビッ子が見ても、どこかノスタルジックな哀愁を感じるような、不思議な魅力があった。
志村けんが、大好きだった。
志村けんは、絶対だった。
そんな僕を妻は「あんた、志村けんが死んだら、絶対泣くよね」と、いつもあきれ顔だった。

仕事が手につかなくなるのが怖くて、家に帰るまでニュースは見なかった。

帰宅して、自宅の駐車場で、恐る恐るスマホで訃報を読んで、

涙をこらえて風呂場に逃げ込み、

妻の予言どおり、膝を抱えて、泣きました。



志村、あんまりだよ。

このコントは、笑えないよ。




とは。



とは。

言うものの。

いつまでも悲しみに暮れているわけにもいかねっす。

僕らは、志村けんの屍から、学ぶべきだっちゅーの。

人がこの世にそれぞれ使命を持って生まれてきたのだとするなら、

志村けんの使命は言うまでもなく「人々に笑いを与えること」であった。

だとすれば、今のこの情勢を一日でも早く笑いに変える為に、

志村けんが、身を捨てて僕らに警告をしてくれたのかもしれない。

この世界がコロナウイルスを乗り越えて笑うために。

いつか、みんなが、笑える日のために。


僕の笑いの原体験は、紛れもなくドリフターズの志村けんだった。

そしてその笑いの核のようなものは、すでに僕の遺伝子に組み込まれていて、

その笑いの核は、僕たちの子供へ、孫へ、そのまた子供へと、きっと永遠に遺伝することだろう。

だから、志村けんは死なない。

たまたま、肉体は地上から消え失せてしまったけれど、

彼が残した笑いの核は、日本人の感性に永遠に遺伝し続ける。

志村けんは、日本人の心に永遠に生き続けるのだ。


もしこの先、娘たちが嫁に行って、子供が生まれたら、

僕は、生まれたばかりの孫から、大爆笑をとる自信があるぞ。

僕は、娘や婿や孫の前で、このように踊るのだ。


変なおじさん~。

変なおじさん~。

変なおじさん~。

だから~。

変なおじさん~。


僕の遺伝子レベルの志村けんで、

きっとみんな、大爆笑だ。




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最終更新日  2020.04.12 07:30:26


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