福知山の大河ドラマ館「光秀ミュージアム」が新型コロナウイルス感染症の影響で入館禁止だったため、予定はしていませんでしたが、京都府亀岡市の「京都大河ドラマ館」を訪れました。
ここ亀岡には明智光秀が天正6 年(1578)
亀山城にはその後、小早川秀秋や前田玄以などが入りますが、大坂の陣直前の慶長15 年(1610年)譜代大名・岡部長盛が城主のとき、家康は城づくりの名手・藤堂高虎に縄張りを命じ、天下普請により亀山城の大修築を行います。
このとき本丸には5重の日本初の層塔型天守が建設され、明治に取り壊されるまで威容を誇っていました。
このとき本丸には5重の日本初の層塔型天守が建設され、
亀山城は、明治維新以降廃城処分となり、所有者が転々としますが、某宗教法人が入手し現在に至ります。普段は受付で見学を申し込むと本丸付近の石垣を見学することが可能だそうです。
ところで、なぜお城の名前が「亀山城」で、町の名前が「亀岡市」なのかという当然の疑問が湧きますが、1868年(慶応4年)の戊辰戦争で同じ地名の伊勢の亀山藩が新政府側につき、丹波亀山藩は幕府側についたため、敗れた丹波のほうが「亀岡」へと改名させられることになったそうです。
中は撮影禁止の展示がほとんど
ドラマを紹介するパネルや映像、出演者のサイン色紙、
「麒麟がくる」
(訪問日2020年3月7日)