丹波亀山城と京都大河ドラマ館 | おおとり駆の城日記

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福知山の大河ドラマ館「光秀ミュージアム」が新型コロナウイルス感染症の影響で入館禁止だったため、予定はしていませんでしたが、京都府亀岡市の「京都大河ドラマ館」を訪れました。


ここ亀岡には明智光秀が天正6 年(1578)に丹波攻略の拠点として築いた丹波亀山城があります。丹波平定後もそのまま光秀の丹波統治の拠点となり、天正10年(1582年)の本能寺の変の際も、光秀はこの城から1万3千人の兵を率いて出陣し、京都へ向かっています。

亀山城にはその後、小早川秀秋や前田玄以などが入りますが、大坂の陣直前の慶長15 年(1610年)譜代大名・岡部長盛が城主のとき、家康は城づくりの名手・藤堂高虎に縄張りを命じ、天下普請により亀山城の大修築を行います。
このとき本丸には5重の日本初の層塔型天守が建設され、明治に取り壊されるまで威容を誇っていました。
亀山城は、明治維新以降廃城処分となり、所有者が転々としますが、某宗教法人が入手し現在に至ります。普段は受付で見学を申し込むと本丸付近の石垣を見学することが可能だそうです。

ところで、なぜお城の名前が「亀山城」で、町の名前が「亀岡市」なのかという当然の疑問が湧きますが、1868年(慶応4年)の戊辰戦争で同じ地名の伊勢の亀山藩が新政府側につき、丹波亀山藩は幕府側についたため、敗れた丹波のほうが「亀岡」へと改名させられることになったそうです。

明智光秀銅像
亀山城の内堀跡が残る南郷公園に最近建てられました。滋賀県の坂本城跡に建つ銅像と異なり、貴公子然とした光秀です。

某宗教法人の入口
普段はここから中に入って石垣を見学させてもらうことができるそうですが、
新型コロナウィルスのため見学不可の大きな張り紙が出ていました

施設の真ん中に本丸や天守台の跡が残っているようです。返す返すも残念。
あきらめて駅の反対側にある大河ドラマ館へ向かいます。



「麒麟がくる京都大河ドラマ館」は京都サンガスタジアムの中にあります。
Jリーグ京都サンガF.C.のホームスタジアムです。

光秀は何者か
記録が残っていない光秀の前半生をドラマでは想像を膨らませて描かれていますね。




写真撮影用の等身大パネル
一人で行ったので恥ずかしくて並んで撮れませんでした。

中は撮影禁止の展示がほとんど
ドラマを紹介するパネルや映像、出演者のサイン色紙、衣装や小道具などです。

「麒麟がくる」の大河ドラマ館は岐阜県内に3か所と昨日の福知山、そしてここ亀岡と計5か所もあります。小道具や衣装などの展示物などはローテーションで回しているとか。どこの自治体も大河ドラマを町おこしに使いたいんでしょうね。
(訪問日2020年3月7日)

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