発見!秀吉の幻の城 | おおとり駆の城日記

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コロナ一色の最近の新聞、歴史ファンにとって心躍るニュースが飛び込んできました。


豊臣秀吉(1537~98年)が死去する前年に造営したと伝わる「京都新城」の遺構とみられる石垣や金箔瓦が、京都 仙洞御所(京都市)内で見つかった。
京都市埋蔵文化財研究所が12日発表した。大坂城、伏見城などを手がけた秀吉の最後の城で、公家の日記などに記述があるが、わずか30年ほどで解体された「幻の城」とされ、遺構は未確認だった。中井均・滋賀県立大教授(考古学)は「存在の確実な証拠が見つかったと言え、近年の城郭研究で最大の成果」と話している。
京都新城は1597年、秀吉が幼い息子・秀頼のため、京都御所の南東に築いた城郭式の邸宅。
正室・ 北政所の屋敷として使われたほか、秀頼の元服時も利用されたと伝わる。文献には「 太閤御所」「新城」などと記され、敷地は東西約400メートル・南北約800メートル。
秀吉が関白の権勢をふるった聚楽第よりやや規模は小さいが、現在の京都仙洞御所を上回る規模だった。
関ヶ原の戦い(1600年)の直前、京都新城は門や石垣が壊され、その後の仙洞御所の造営で姿を消したとみられている。管理する宮内庁によると、これまで京都仙洞御所内で発掘調査が行われたことはなかった。
確認された石垣は高さ1~1・6メートル、南北に長さ約8メートル。安土桃山時代の自然石による工法「 野面積み」が用いられている。金箔瓦は秀吉が用いた 桐紋入りだった。同研究所は文献の記述と照らし合わせ、「新城の存在が考古学的に裏付けられた」としている。(時事通信社)


他のネット記事では「今世紀の最大の発見」の見出しもありました。
研究者の間では高松塚古墳発見に匹敵する衝撃だそうです。

秀吉が京都に築いた城といえば、聚楽第が有名です。次々回の私のブログでも紹介しようと思っていますが隠居城として築いた伏見城もよく知られたところです。
また、城ではありませんが、「御土居」とよばれる京都を囲む土塁も以前ブラタモリなどでとりあげられていましたので、地元では昔から知られていたと思います。
しかし、この幻の城については「〇〇城」という正式名称もなく、私も今回の報道で初めてその存在を知りました。

残念ながら新型コロナウイルス感染症の影響で現地説明会や一般公開の予定などはなく、埋蔵文化財として調査が終了次第埋め戻されるそうです。秀吉はこの城を築くことでどんな夢を次に描いていたのでしょう。ロマンがかきたてられます。

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