関ケ原古戦場記念館オープン!! | おおとり駆の城日記

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先月オープンしたばかりの「岐阜関ケ原古戦場記念館」に行ってきました。

場所はJR関ケ原駅から徒歩10分ほど、今は陣馬野公園とよばれる「徳川家康最後陣跡」のすぐ隣に物見櫓をモチーフとした外観が特徴的な真新しい建物が建っています。

関ケ原町で最も高い建造物だとか・・・



事前予約制で入館は30分おき、人数も一回につき30人までと制限されているので、休日でもゆったり見ることができます。

1階ではまずその回の入場者全員がグランドビジョンの映像を見ることになります。
床面の巨大スクリーンに関ヶ原の戦いに至るまでの家康と三成の対立の過程が映し出されるほか、関ヶ原の戦いと同時期に全国各地で勃発したいくつもの戦いや国内の動きなど、合戦当日に向けた武将達の動きが分かりやすく日本地図上に投影されます。

続いて通された大型シアターでは、これまた大きな曲面スクリーンに、大迫力の映像が映し出されます。
兵士の目線で、合戦に紛れ込んだかのような臨場感ある演出がなされています。
椅子が振動したり、風が吹いたりするテーマパークによくある映像アトラクションと思っていただければよいかもしれません。
体調の悪い人やお年寄りは途中で気分が悪くなることがあるかも。
グランドビジョン、大型シアターとも上映時間は7-8分ほどです。

2階にエスカレーターで上がると、ロビーにはこの記念館アンバサダーの女優・竹下景子さんのメッセージ映像が流れています。(ちなみに館長は静岡大学名誉教授の小和田哲男先生です。オープン記念公演はオンラインで視聴しました。)
展示室には関ヶ原の戦いに関連する甲冑や肖像画、古文書などが展示されています。
ほとんどが複製品ですが、撮影は不可となっていました。
メイン展示となる「関ヶ原合戦図屏風」は色鮮やかで間近で見ることができます。
東西両軍の各隊の武将や馬標が詳しく描かれ、関ヶ原の戦いの名場面も随所に描かれています。


隣の戦国体験コーナーでは関ケ原に関するクイズや兜や陣羽織を付けて記念写真が撮れるコーナーなどがあります。(こちらは撮影可)



刀剣や火縄銃といった武具のレプリカに実際に触れ、重さや質感を体感できます。

最後にエレベーターで5階へあがります。
ここは360度ガラス張りの展望室になっており、全体を見渡すことができます。この記念館一の売りでしょう。





石田三成の陣地・笹尾山、毛利秀元の南宮山、黒田長政が陣を張ったという岡山烽火場、小早川秀秋が陣取った松尾山などが一望でき、各陣ごとの距離感などを実感することができます。



これは記念館の裏口ですが、参陣した武将の幟旗が風にはためいていて壮観です。

また、隣接したお土産ショップやカフェでは記念館オリジナルグッズや岐阜県の名産品などを購入することができます。


ついでに古戦場ポイントをいくつか回りましたのでご紹介します。
城跡ではないので、遺構などはありませんが、関ケ原はまだまだ宅地化されているところが少ないので、地形などは当時とかわっていないと思われます。



徳川家康最初陣地跡(桃配山)
関ケ原の東端、国道21号沿いの小高い丘の上にあります。
東軍・徳川家康が最初に本陣を置いたといわれる場所です。
桃配山とは、日本古代史上最大の内乱「壬申の乱」で大海人皇子(天智天皇の弟)と大友皇子(天智天皇の子)が皇位継承を巡って争ったときに、大海人皇子が必勝を期して、配下の兵たちに山桃を配ったことからその名が付けられたと伝えられています。
大海人皇子は見事に勝利を収めて天武天皇として即位。天皇を中心とした中央集権制を推し進めていくことになったことから、家康も験を担いでここに陣を置いたという説もあります。




石田三成陣地跡(笹尾山)
一方西軍・石田三成は関ケ原盆地北西に位置する笹尾山に本陣を置きます。山頂からは関ケ原盆地が一望でき、北国街道を抑えることもできました。
麓には「三成に過ぎたるもの」といわれた島左近の陣地跡もあります。
現在、馬防柵や竹矢来が復元され、毎年10月に開催される関ケ原古戦場祭りでは鉄砲隊の演武などが行われます。


決戦地

当初は西軍の勝利が有利に展開されたこの戦いですが、小早川秀秋の寝返りによって状況は一変、東軍が優勢となり西軍は劣勢となります。この決戦地は、東軍が笹尾山の石田三成の本陣を狙って最大級の激戦が繰り広げられた場所と言われています。



徳川家康最後陣地跡(陣場野公園)

開戦間もなく、東軍・徳川家康は、本陣を桃配山から関ケ原の中央への移動させます。
文字通り陣頭指揮をとり、小早川秀秋を裏切りへと仕向けるため、松尾山を目がけて家臣に発砲を命じました。
約6時間にわたる激闘の末、勝利した東軍の将・家康はこの場所で諸将をねぎらい、敵方の首実検を行ったと言われています。