2019年9月10日火曜日

抗がん剤治療の辛さはなぜ思い出しにくいか―ミエリン化の有無


 私は、認知心理学者を名乗りながら、脳や神経系には全く詳しくない。それでも時々はその種の本に目を通すのだが、それによって思いがけず、18年前に抱いた疑問が解けた。この18年前の疑問とは、抗がん剤治療の副作用についてのものである。副作用はおそろしく辛かった。抗がん剤は細胞分裂が活発な箇所を攻撃するので、副作用には、髪が抜けたり、爪がフニャフニャになったりといろいろあるのだが、やはり最も辛かったのは、どうにもならない気分の悪さと疲労感である。ただし、医学的に怖いのは、骨髄抑制による白血球の減少が引き起こす免疫力の低下と、消化器官神経系の不全による腸閉塞のようだ。私の場合、白血球は少なくなったが、幸い、腸閉塞は起こさなかった。

 点滴で抗がん剤を入れた後は、3日ほどグロッキー状態が続き、形容するなら「吐いても楽にならないひどい二日酔い状態」が最もフィットしている。また、最も辛い状態が終わっても、治療期間中は、胸に常に三角定規が引っかかっているような感覚があり、指先の痺れは慢性的に続いていた。

 ところが、このグロッキー状態をうまく思い出せないのである。気分が極めて悪かったのは確かなのだが、では、「はて、どんな感じ?」と思い出そうとしても、苦しさが茫漠としていて鮮明性に欠けるのである。私は、家の中を裸足で歩くとき、よく足の小指をドアなどにぶつけるのだが、あの痛みは実によく覚えている。向う脛を打ったときの痛さも、思い出そうとすると鮮明によみがえる。この違いは何なのだ?

 こんなことを、今まで知らなかったのかと呆れかえられるかもしれないが、この違いは、求心性の神経の違いにあるようだ。つまり、足の小指などの外的な傷害による組織の損傷と、内臓疾患などによる損傷とでは、伝えられる神経が異なるというわけである。前者の損傷は、進化的に新しいミエリン (髄鞘) 化された神経線維を経由し、鮮明な痛みを感じさせてくれる。一方、後者の損傷は、ミエリン化されていないC繊維などによって中枢に伝えられ、どこがどんなふうに痛いのかは曖昧なままなのである。ミエリンとは、神経科学において脊椎動物の多くのニューロンの軸索の周りに存在する絶縁性のリン脂質の層を指し、 ミエリン鞘ともいう。コレステロールの豊富な絶縁性の髄鞘で軸索が覆われることにより神経パルスの電導を高速にする機能があるわけである。一方、ミエリン化されていない神経線維だと、幅広く異常を拾い上げるということは得意なのだが、その異常を的確に痛みとして中枢に届けることができない。

 ミエリン化されていない神経線維は、進化的に古い。しかし、これを全部ミエリン化するにはコストがかかり、結局はミエリン化されないままに現在に至っているようだ。外科の医療等が進んだ現在なら、ミエリン化されて的確に痛みを生じさせることができれば生存に有利かもしれない。しかし、医学らしきものがほとんどないような野生環境では、足や皮膚の傷はそれを治すことができるので、はっきりとした痛みは適応的である。しかし、内臓から鋭い痛みの信号を受け取っても、それに対処することができなければ、ミエリン化のコストがかかるだけなのだ。

 かくして18年来の謎が解けたのだが、同じような理由で、二日酔いの辛さも鮮明に思い出されにくいのだろう。あれだけ辛くても、懲りずに繰り返す人が多いという事実は、それを雄弁に語っている。

0 件のコメント:

コメントを投稿