2019年12月9日月曜日

“Adapting human thinking and moral reasoning in contemporary society”刊行 (2)―モラルについての自然実験


 11月末に刊行された Adapting human thinking and moral reasoning in contemporary societyでは、私は2つの章を執筆している。これは、編者特権ではなく、章が足りなくなると出版できないということで、慌てて1章を追加した次第で、共に編集に加わっていただいたVeronique Salvano-Pardieuさんも2つの章を担当された。

 そのうちの一つである4章は、Morality and contemporary civilization: A dual process approachというタイトルで、「スロー」なモラルが「ファスト」な衝動を制御することができるのかどうかという問題を、歴史の自然実験で検証しようと試みたものである。拙著『「生きにくさ」はどこからくるのか』では、「ファスト」のモジュールの中に現代の繁栄の基礎があるということに主眼が置かれていたが、この章では、モラルの向上の問題に焦点が当てられている。

 1027日の「法と心理学会」で話したこととはこれを基にしているが、この章では、歴史の自然実験として、18世紀のヨーロッパの戦争・暴力・残虐性の減少と、第二次世界大戦以降の戦争・殺人・犯罪・暴力の減少と人権意識の高まりという2つ事例が取り上げられ、それがどのような意味で「スロー」による「ファスト」の抑制なのかという問題が論じられている。概して、「ファスト」は、「怒り」や「恐怖」など強い感情と結びついている。したがって、「ファスト」と結びついた残虐性、例えば魔女に対する恐怖に駆られて行われる拷問等は凄惨を極め、「スロー」では修正されにくい。いくら「スロー」が魔女は迷信に過ぎないと理解しても、恐怖を消すのは困難なのである。現代でも、仏滅について、「スロー」は迷信だと判断してくれるが、「ファスト」はタブーを破って仏滅に結婚式をすることの恐怖を引き起こす。

 しかし、自然実験の結果、魔女狩りが消滅したことは事実である。私は、スティーヴン・ピンカーに同意して、これを、「スロー」による「ファスト」の直接の制御というよりは、「スロー」が「ファスト」の「心の理論」あるいはメンタライジングを制御することによって、拷問を受ける魔女への共感や同情を呼び起こした結果と解釈している。つまり、「ファスト」の恐怖がもたらす感情を、共感がもたらす「かわいそう」という感情で飼いならしたわけだ。

 この解釈は、犠牲者同定効果と呼ばれる現象とも一致する。この効果は、犠牲者が明示的になると、その犠牲者への同情が大きくなるというもので、たとえば、災害があったとき、そこの特定の犠牲者がクローズアップされると、寄付が集まりやすい。メンタライジングによって、犠牲者の悲しみを共有することが可能になり、強い感情が引き起こされて、行動を喚起しやすくなるわけである。これは、いいかえれば、「1人の死は悲劇だが、100万人の死は統計」という言葉に表わされる。乱暴かもしれないが、これをモラル判断に適用すれば、1人の死は直感的な義務論的判断に、100万人の死は熟慮的な功利論的判断に相当する。 前者はカント、後者はベンサムによる主唱で、カントが好きな人には申し訳ないが、直感による義務論的判断は、行動へのエネルギーはあるものの危なっかしい。社会全体にモラルが浸透するためには、功利論的な規範に向けての、義務論的判断のエネルギーによる人々の行動が最も適しているというのが結論である。


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