まさか日本でカルチャーショックを!

日本で技術者→中国広東省にて日本語教師→日本で技術者復帰→技術者+?
旧題名:まさか私が日本語教師に!(NO.3)

孫よ

2020-07-04 17:50:17 | 日本での生活
近場にも安い店はある。
だが、一軒で済ませたいと思った土曜休みの午後。
少し遠い大型スーパーへ。

まずはいつも通りのケチケチ買い。
次いで食品売り場を一周し、普段なら買うのに値段を考えてしまうものまでを無造作に買い物かごへ。

県内で一人暮らしをしている(私から見た)甥が2か月ぶりに「泊ってもいい?」と(甥から見た)お祖母様に連絡したのが木曜日の夕方。

それはそれでお祖母様だけでなく、遺影のお祖父様も喜ぶことではある。
ただ、孫に持たせる食料のストックが不足していたお祖母様と伯父様(の私)・・・。

本日午前、お祖母様は伯父様の運転でお買い物。
当然お祖母様は孫に持たせる物食料も買っている。

と、ここまで記して面倒になり、孫の呼称を甥にし、お祖母様の呼称を母親にし、伯父様の呼称を私にする・・・。

甥は子どもの頃から自分で料理をしていた。
この春から働いているのだが、昼のお弁当も自分で作って持って行く。
であるから、食材さえ手に入れば、十分生きていける甥。

だが、(一応3Kのカテゴリに入る業界でもあり)甥も相当疲れるに違いない。
であるから、私は疲れていても簡単に準備できる物を用意することが多い。

午後は私一人の買い物。
それが第二段落の内容であった。

自分のことで申し訳ないのだが、私も料理はできる。
そして、外国で一人暮らしをしていたこともある。

夜仕事がある場合など、昼休みに夜用のお弁当を作って持って行くこともあったのだが、当然外で手早く済ますことのほうが多かったと思う。

しかし、それ以外は外食よりも自分で作ることのほうが多かった。
人間の手で愛情を込められて作られた料理。
それが自分に対してであれば、なおさら身体に良いと自分勝手に思っている。

しかし、当然仕事で疲れることもある。
また、私は頻繁に熱を出す。

そのような場合に備えての準備はしておく。
(と言いながら、帰りにふらつきながらも葉物レタスと冷えたビール大瓶1本を買い、自宅で大鍋に2袋の紅焼牛肉麺を放り込み、茶碗にすくいながら、ビールで流し込み、洗い物だけして、就寝ということもけっこうあったのだが・・・。)

甥も大変だと思う。
今はまだ十代であるので、夜間勤務は少ないと思うのだが、昼勤でも朝が早い世界に彼はいる。
私自身交代勤務は経験したことがあるのだが、最後まで慣れなかった。
(慣れなかったのは当時あれこれ同時に行っていたせいでもあるのだが、結局最後は倒れたというオチ付き・・・。)

疲れていても、熱があっても、忙しくても生きていくためには食べなければならない。
しかし、高卒の彼の給料は同じく高卒で働き出した私には予想がつく。
おまけに奨学金の返済もある。

となると、割高になる手軽に食べられるものを手に入れるのは大変であろう。

私には実の子どもがいないのだが、普段自分は「買おうか買うまいか」長く考えて買わないことが多いようなものでも、遠慮なく買い物かごに入れる自分を客観的に見て、目に涙が浮かんでしまった・・・。

これが親心というものであろう。
甥のおかげで私も自分の親の私への愛情の一部がわかった瞬間であった。


父親が灰になる数か月前に私に言った。
「ばあちゃんと孫を頼んだぞ」と。

しつこいようだが今春甥の母親は異動が決まり、遠地に移動した。
彼が帰省できるのは彼のお祖母様と伯父様の住んでいる家。
(「自分で自分に”様”を付けて恥ずかしくないんかい・・・」と思った方を推定すると、読者様の50%であろうか。)

お祖母様の年金はお祖父様に比べてば格段に下がる。
そして伯父様の給料も一般的なものであり、なんとか生きていける程度。

それなのに、孫のためを考えるとお祖母様と甥のことを考える伯父様がここにいる。

今晩彼は自分のねぐらに戻る。
結局はいつも通りたくさんの「エサ」を車に積んで。

私は頑張るという言葉が好きではない。
だからこのように表現しておく。
「○○○、けっぱれよ」
(私は静岡県生まれの愛知県育ちであるし、甥は愛知県生まれで、今のところずっと愛知県在住であるのだが・・・)
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