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【当社のご近所紹介】災害と恵みの川、二級河川高橋川に迫る

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おはようございます!マネジメントオフィスいまむらの今村敦剛です。

一部のマニア?に好評のB級歴史暗渠探索ブログですが、今日は当社ビルの真横を通る高橋川を紹介します。この川、昨年(2018年)の台風21号で氾濫をしています。どうも昭和42年の阪神地域水害以来のことのようです。そんな身近な川を探索してみます。

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高橋川とは?

高橋川とは、東灘区に流れる二級河川です。二級河川であることは、この記事を書くために調べていて初めて知りました。「近所のドブ川」だと思っていましたが、高橋川に失礼でしたね?ちなみに二級河川の定義は「一級水系以外の水系で公共の利害に重要な関係があるものに係る河川で、河川法による管理を行う必要があり、都道府県知事が指定(区間を限定)した河川」(国交省ホームページより)です。

二級河川だけあってか、資料も豊富です。兵庫県の資料を下記に示します。ご覧のように、たくさんの河川が、阪神深江駅のあたりで集合しているのがわかります。2018年台風21号による氾濫ですが、低気圧による高潮被害と、大雨による上流からの水量とがあわさって、氾濫し浸水被害がひろがったとみられているそうです。

もともと、耕作用として芦屋川の派川がこのあたりにはたくさんあったのですが、それらが高橋川を海の出口にしていた、ということでもあるようです。

下記の写真は、朝日新聞からの引用です。旧西国街道にかかる深江橋(だと思います)です。(上記の地図右下の赤い点のあたり)。複数の河川が集合するところであり、海の近くのこの場所で、川があふれたのでしょう。

https://www.asahi.com/articles/photo/AS20181016005178.html

河口から鳴尾御影線まで

43号線を南へ下ったあたり、神戸大学の東側に小さな漁港があります。ここが高橋川の河口ですね。昔から深江は漁がさかんな村として知られていたそうです。「深江」という字からも港があったことが推し量れますよね。本当かどうかはわかりませんが、源義経がここから船に乗ったという伝説があったり、鳥羽伏見の戦いで傷ついた薩摩兵がここから帰国した(深江の村人が手助けをした)という話もあるそうです。

写真では、ちょうど浚渫(しゅんせつ)工事をやっていました。(泥さらいのようなこと)

43号線のすぐ北側から見る高橋川です。左手に水門が見えますね。この水門の方向は、かつての西国浜街道と同じ方向を向いていますので、昔は何かがあったんでしょうね。

そして当社ビルから徒歩10秒のところにある「大日橋」です。大日という名称は、近所の大日霊女神社からとられているのでしょう。

深江橋のたもとにあるお地蔵さん群です。西国浜街道筋に点在していたお地蔵さんをここに集約したようですね。ところで、上記の氾濫写真はこのあたりで撮られたものだと思われます。

阪神電車の北側にある出合橋から高橋川を望みます。この奥(薬王寺橋付近)で、高橋川(直進)と要玄寺川(左側)へと分岐をします。

薬王寺橋から北側を望んでいます。かつての地図によると、ここから右手に四ツ松川という川があったようですが、今では埋め立てられてマンションができています。また、かつての要玄寺川(横川)も、ここから数十メートル北側から左に分岐をしていたようです。河川改修工事で要玄寺川は付け替えられたのでしょうね。

ではここで明治初期の地図を見てみましょう。横川、串田川、四ツ松川の集合する場所がこの薬王寺橋のあたりです。

大きな河川改修があったか?御影鳴尾線から2号線まで

どうも深江地区の住宅地化にともなって、大きな河川改修工事が昭和初期に行われたようです。そして、その痕跡はほとんど見つけられません。このあたりからこの写真の方向に対して、旧横川が流れていたはずなのですが、今ではマンションになっていて面影もありませんね。横川は現在の位置に付け替えられたので、旧河川は完全に埋められたのでしょう。

四ツ松川も同様です。大正時代までは、高橋川から北へ向かって右手に分岐して、今の稲荷筋を流れていたと思われます。ちょうど写真の地点あたりで稲荷筋に出てきたと推測されるのですが、なにもありませんね。

ちなみに深江のこの写真の一体には、戦後に市場のようなものがあったようです。その名残なのか、今でもこのブロックに小規模商店が密集しています。ごく普通のマンションの1階に精肉店があったりしますからね。

さて、話を高橋川の本に戻しましょう。高橋川はここで分岐します。本流は右斜め前方に行くルートですね。ここから稲荷筋のほうへ向かい、旧四ツ松川に合流します。

今でこそ斜めに流れていますが、以前はもっと人工的というか、直角に曲がっていたようです。戦後間もないころまで下記の写真のような流れだったようです。

ちょうどこのあたりにある本庄町公園に、土地区画整理事業の記念碑がありました。おそらくこの一連の工事に関連するものだと思います。深江の歴史は土地改良の歴史と言ってもいいですかね?(大げさ?)

稲荷筋に合流するあたりから、高橋川は暗渠になります。この写真の右上奥に、ちいさく「赤鳥居」が見えるのがわかりますか?2号線の交差点の名称にもなっている「赤鳥居」です。

ところでこの場所の反対側(東南角)には、第二日の出湯という銭湯がありました。今は工事中ですが、実は銭湯と河川・暗渠は切っても切れない仲です。水の排出に便利だからですかね。こういう風景も、また「川の名残」の一つなのだと思います。

国道2号線以北森稲荷神社まで

さて国道2号線以北から、高橋川は住宅地を流れる川からちょっと表情を変え、扇状地における川っぽくなってきます。まずは赤鳥居から。この下を暗渠になった高橋川は流れています。ちなみにこの赤鳥居は、戦時中に爆撃地点の目印にもなっています(川西航空機甲南工場への目印)。赤い構造物だったので、高高度からでもスコープなどを使えば見えたのかもしれませんね。(見えるかな……)

JRの鉄橋下の高橋川です。傾斜がきつくなっているのがわかりますね。

こちらは阪急のガード下です。湾曲した奥で暗渠になっているのがわかります。

森稲荷神社のあたりから、川面が見えるようになります。こういうフィールドワークをして気づいたことですが、六甲山のふもとのあたりでは、寺社の周りに河川や暗渠があるというケースがしばしばみられるように思います。なんか理由があるんでしょうね。

森稲荷神社の脇には水位観測所があります。無論、水量の監視をして水害に備えているんですね。こういう施設があることからも、高橋川は氾濫可能性を秘めた川であるということが再確認できる思いです。

この水位観測所から北側(山側)を見ると、高橋川で最も海側にある砂防ダムが見えます。(厳密に言うと、このあたりは宮川と呼称するようでもある)。ここからもうすこし上に行くと、ハイキング道で有名な魚屋道(ととやみち)になりますね。

高橋川の源流となる谷筋にある魚屋道は、六甲山東部を横断する最古のルートの一つで、江戸時代には深江で採れた魚を有馬温泉へと運ぶ密輸ルートだったようです。なぜ密輸ルートかというと、幕府公認ルートは西宮から宝塚を経るルートだったのですが、わざわざそんなところを大回りしたくないという深江の人たちが、この道を使って運んでいたのだそうです。

高橋川は、時には氾濫をもたらす警戒すべき川ですが、田畑に潤いを与えた川でもあり、村の収益源のために魚介類を運ぶときに歩いた川でもあったのでしょうね。今はこれらの役割を終え、ただ水をよどみなく海へと運ぶことだけに専念をしているかのようにも見えます。

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