さよならの早咲き桜 | 風のたまごを見つけた   

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この惑星はなんて不思議!

 

桜を探して

新宿御苑に向かった。

 

 

初めて、自分以外の誰かのために、

早咲きの桜を撮る。。

 

 

意識が新しくなって

景色が変わって見えるほど、ワクワクするとき、

そのエネルギーが大きいほど

とんでもなく悲しいことが起きて、愕然。。という

パターン。。

これは、きっと自分が作っており、

もう卒業できた、と

思っていたのだけど、、

 

 

今回は、叔母が急逝した知らせ。

 


 

桜が好きで

桜前線とともに旅したこともある叔母。

 

 

 

しまい込んでいた喪服を箪笥から出し

多々、支度をしつつ、景色が涙で曇り、、

 

 

もう少しで桜の季節だったね。。と

ひとりごとを言った。

 

 

 

親族の中で、私はあまり

一般的、常識的な女子ではなかったと思うが

なぜか、そんな私のことを「シアワセの子」と

よんでくれ、いつも優しい目で見つめてくれた

大好きな叔母だった。

 

 

まだ魂が、

こっちの世界にいるかもしれないから

楽しみにしていた桜の花を見せてあげようと

叔母へ捧げる気持ちで

撮影した。

 

 

普段、お花見で観る桜と

表情が違う。

 

 

不思議だけれど

桜は、私の思いに共鳴してくれて

叔母のエネルギーを体現してくれているような

気がして仕方がない。、

 

 

元気な頃は、おいしい料理や、やさしい心遣い、

いとこたちとのつながり、、たくさんたくさん

ありがとう。

 

 

叔母は信仰の人で

コミュニティの小さな教会での式は

とても心温まるものだった。

 

きっと全力で、

家族や、地域の人々の力になってきたのだと思う。

 

お疲れさま。

そして、、

 

 

卒業おめでとう。

 

 

魂になったあなたは、

自由で平和になった地球に

再び誕生することを選ぶの?

もう、肉体は卒業して、天使的に

人々をサポートするの?

 

 

 

母は、妖精のごとく自由な気質だったけれど

叔母は対照的に、

日本の母親らしく、

真面目に、あるべき姿を求めた女性だった。

 

 

質素で、芯が強く

牧師さまは、その謙虚さを称えておられた。

 

 

このベルちゃんに横顔に、若き日の叔母が重なるのです。

 

 

。。。ちなみに母はティンカーベルだろか。

 

 

ヨガでは、魂は不滅という。

私は、いわゆる宗教人ではないけれど

あたりまえにそう思っている。

 

導師、アンマの慈悲心、共感の大きさは

はかり知れない。

大きな喪失や傷を抱えた人々が

その腕に抱かれて、思いやりの深さに打たれ

癒やされる。

けれど側にいると

それは決して、悲しみや苦しみと同化した情ではないとわかる。

 

そうした感情は、いのちの本質ではなくて

人間のこしらえた幻想であることをクリアに見据え、

そして、まるで磨き抜かれた鏡のように、その幻想を

身を挺して、はっきりと映し出される。。

それはすさまじいほどの、慈愛の力で、、

 

そう、

瞬間、叔母のエネルギーになった

あの、桜のよう。。。

 

 

「カメラになってはいけない。

鏡でありなさい」

 

 

アンマは、そうおっしゃる。

 

感情を受け入れ、

刻み込まず、瞬間、瞬間、映し出す。。

どんな状況でも

すぐに、いのち本来の喜びに戻れるように。

 

 

厳しい、厳しい、お試しの時期。

 

 

からだの動きは

覚えてしまうと、ずっと動けるものだけど

ヨガのメンタルな教えは

愛が深いぶん、とても厳しい。。

 


 

 

 

撮影のあと、帰宅して

なんとなく引っ張り出したノートが

昔の取材ノートだった。

何か気になって、ぱらぱらめくっていると

 

「人生とは、

何かを達成しようと動いていない時間のこと」

 

というメモ書きに目がとまった。、

 

複数人の対談の後半部だけのメモで、

誰の言葉かは明確でないのだけれど

おそらく養老孟司さんの言葉ではなかったろうか。

(見当違いだったらゴメンナサイ!曖昧な記憶での

推察をお詫びします)

 

人はさまざまな計画を立て

目標達成に向けて懸命に生きる。

けれど、そうした時間は、たいして人生を生きてはおらず、

むしろ、無意識の時間、あるいは、

目標達成に意識を向けられないような出来事が

突然、降りかかり、

日記が空白になってしまうような、

意味あることができない時間の中に

人生の本質が宿るのだ、という話だったと

思う。

 

 

深い。。。

 

 

少し視点が異なってしまうけれど、

亡くなった人が遺してくれる大切なものも

やっぱり

業績やモノゴトの、外にあると感じる。

 

そのひとの本質は、

行為そのものよりも、無意識の思いに宿っていて

それは香りのように、形なく

遺された人の心に伝わってくる。

 

私は、いつもそう思う。

 

自然な思い、、内から湧く動悸。。

 

 

 

 

とも、呼ぶもの。

 

 

それだけは、永遠に消えない力。

 

 

 

 

気の利いたことは何ひとつできなくても

願わくば

よい香りが残る人生にしたい。

 

 

今回はとても個人的なブログとなってしまいました。

すみません。汗

 

 

季節はイースターへ向かいます。

 

 

みなさまの春が、

香り豊かに開かれてゆきますようにキラキラキラキラ

 

また、満月のスープでお会いしましょう。

 

 

夕暮れの新宿御苑にて。

 

 

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