令和に出会ったレイラ | 風のたまごを見つけた   

風のたまごを見つけた   

for pilgrims on this planet.
この惑星はなんて不思議!

 

虹

 

令和になって初めての新月です。

そして今日は、子どもの日。

今日は特別な気持ちで、

書いて過ごす毎日への

感謝の思いを胸に

とても静かに、過ごしています。


10日間もの連休で、日本の組織の動きが

大きく休止しました。

社会が足を止める、こういう空白の時間には

ひとりひとりの心の中の

一番大切な活動が行われ、

静かに、新しいページをめくる準備をしているのだ、

と感じます。

 

みなさまも、きっと何かしら

心に残る出来事があったのではないでしょうか。

 

 

 

このブログの更新、今は

新月と満月の、月2回という

マイペースな更新であるにもかかわらず

多くのみなさまに訪れていただき、

そして 『満月のスープ』に、

嬉しいご愛読メッセージも

いただいて、ありがとうございます。

 

 

私には、自分自身もふくめ

大人も子どもも、みんな子ども

この星の子どもなのだ、

という、ひとに語らない意識があります。

 

ブログだけでなく

仕事でも、たぶん

たぶん、ひとづきあいでも

同じなのだと思います。

 

 

この春は予期せぬ別れがあり

今日はどういうわけか、過去、現在をとおして

自分の人生につながってくださる

人々に感謝が湧きあがりました。

 

人とつながりあって、いのちを生きる。

そこに上下などはなく、信頼と

響き合いがあるだけだと、感じながら。。

 

 

過去の自分の荷物も

この連休中に、たくさん手放しました。

 

部屋を整理して、、

引き出しから、ごっそり出てきた

もう、ぼろぼろになった自分へのメッセージノートが

100冊以上。。なにやら一冊づつタイトルをつけているのが

かなり恥ずかしいのですが、、こればかりは、

どうにも捨てられません。

 

 

ノートを書く前の自分は

かなり外の状況に振り回される人生を

送っていたように思います。

「社会のため」という意識が強い時代でしたが

振り返ると

明暗、光と闇がとても濃い時代で

内面的にはかなり辛い時期だったと記憶しています。

だからこそ生まれた、ノートだったのでしょう。

 

 

マスメディアの仕事はやりがいのあるものでしたが

影響力が強いぶん、大きな制約もあり

「本当の世界を生きたい、見たい、伝えたい」

そんな思いが鬱積していました。

苦しい時代でしたが、おかげで光を求め

今では考えられないさまざまな魂の出逢いを生み、

瞑想もはじめ、

少し高い視点で、この現実と自分を見るようになり

いつも、自分を守ってくれる

慈愛ある声に気づき、

救ってもらったのでした。

 

あえて取材ノートと同じサイズの、

A5ノートを買って、

いつでも書きとめたり、見返したりできるように

鞄に入れていました。

あるときは乱筆だったり

およそ日本語とは思えない(笑)ような文字も。。

 

不思議なことに、改めて読み返すと

当時では感じ取れなかった言葉の意味が

新しい視点で入ってきます。

 

すべて、自分への言葉ですが

「天恵日記」に、「瞑想のあとで」と題して

シェアしたこともあり、

読者の方とのシンクロが

驚きでした。

 

今の自分を導いてくれた

こういう目に見えない力にも

改めて、心から感謝しています。

 

 

この静かな静かな10連休。

ひとりだけ、旧友に会いました。

 

メールの差出人名にあったのは

もう何年も会っていない、懐かしい名前。

職場が外資系企業で、買収問題に

翻弄されているということでした。

 

友人の少ない私は

茶飲み話をすることも皆無で

何を話したらよいものかと、案じたのですが

実際に会ってみると、ただ「逢えた」ことが嬉しく

不思議に、気の利いた話題などなくても

花が開くように、こころが開いたのでした。

 

会っていない間に

お互い色々ありはしたのですが

なぜか、一番印象に残ったのは

 

互いに「風が好きなんだ」

という、ささやかな発見(笑)

 

旅行で訪れた

ギリシャに吹いていた風がよかった、とか

故郷の海の風が染みるとか、、

 

話していると、本当にこころに心地よい

風が吹き、、、

深い近況報告をするでもなく、

お決まりのパンケーキなど頬張りつつ

ただ、風が吹き抜けるように

では、また会いましょうね、という(笑)

 

他愛もない、けれど愛おしい

あっと言う間の風時間を共有しました。

 

 

混雑する原宿駅で、手を振りながら

ぼんやりと思ったのは、

 

彼女も私も、

たぶん、情報よりも

音で心を交流するタイプであろう、

ということ。

もしかすると、今ではなく

遠い昔から言葉より音に、相手の真実を

感じとってきたタイプじゃないだろうかと

勝手な思いを馳せ、、

優しい1日が暮れました。

 

 

 

 

 

長くなりましたが、

もうひとつ余談があります。

 

帰路で乗った、街を走るコミュニティバス。

 

ベビーカーに赤ちゃんを乗せた

旅行中のようなカップルが乗ってきました。

お母さんが赤ちゃんを抱っこし、

お父さんがベビーカーを支えて着席。

 

ところが

赤ちゃんが泣き出して、お母さんは困惑し

外国人のお父さんは通路を占めるベビーカーを気にして

いたたまれない様子でした。

 

大丈夫ですよ、というつもりで

「かわいい赤ちゃんですね、どちらから?」

と、笑顔で話しかけてみたら、

 

二人ともほっとした目になって

旅行ではなく、元々お母さんが東京で暮らしていて

旦那さんはパリから移住してきたのだと

お母さんが、教えてくれました。

 

 

話をしながら

お母さんが、脇を支えて

膝に赤ちゃんを立たせて

窓の外を見せると

赤ちゃんは泣きやんで、

吸い込まれるように、外を見つめていました。

 

とても好奇心の強そうな瞳です。

 

すると突然、赤ちゃんはこちらに向き直り

外を見ていた目で、私を凝視し始めました。

困ったお母さんが、気をひこうとするのですが

何が珍しかったのか

お母さんの手を払いのけ

どうしても、私から目を離そうとしません。

 

私が笑いかけると、

赤ちゃんは、片方の口角を上げて

「へっへっへ」(という感じ!)

の笑みをたたえて、私を見るのです。

 

「ごめんなさい」

とお母さんが謝ると、お父さんが

私に、赤ちゃんの名前を何気なく告げました。

 

「レイラちゃん。

レイラといいます。女の子」

 

目を丸くしている私。

 

「レ・イ・ラ」

と、元号を重ねて、微笑むお母さん。

 

まだ私を凝視しているレイラちゃん。

ちょっと時間がとまった私。

 

シンクロですね!

私が書いてる作品の主人公の名前です。

『満月のスープ』っていう物語です。おばあちゃんの、、、

などという説明を始めたところで

誰もしらない電子空間の作品です。

二人とも困り果てててしまうだけ。

 

驚いたまま

「素敵な名前ですね、また逢えますように!」

 

と言って、リアルレイラちゃんに

バイバイをして、バスを降りました。

 

あの好奇心いっぱいの瞳と

不遜な笑み(ご両親、すみません!)が

今も頭に焼き付いています。

 

リアルレイラちゃんが、レイラの歳になるのは

2030年代、、その時彼女は東京にいる?、

それともパリに?

その頃の世界はレイラちゃんに優しい?

 

なぜ神様は今

私にレイラちゃんを会わせたのだろう?

 

もちろん、

答えなど、あるはずはないのですが。。

 

 

まだきちんと言葉をしゃべれない

リアルレイラちゃん。

あなたはとても強い音を出していましたよ。

ちゃあんと、ハートから。

私には聞こえました。

 

 

 

過去と、未来が交差するような

五月のひととき。

 

今日は久々に胸襟を正すというか、、

少々、語調も変わってしまったような(笑)

またまた、長文につきあっていただいて感謝します。

 

樹木の写真は、代々木公園内の

お気に入りの場所です♡

 

 

令和の時代が

調和と平和と、そして、ひとりひとりの

自由な魂の歌がハーモニーしあう、

美しい時代になりますように。

 

みなさまの、新しい時代の幕開けが

喜びとやさしい奇跡に満たされますように、

応援しております。

虹

 

 

令和元年。 さくらま  

 

 

 

 

 

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