悪所狂いの身の果ては

走り書き、謡の本は近衛流、野良帽子は若紫、悪所狂ひの身の果ては、かくなりゆくと定まりし

- 近松門左衛門

釈迦の教へもあることか
もとはと問へば、分別の、あのいたいけな貝殻に、一杯もなき蜆橋 

と続く「心中天網島/道行名残の橋づくし」の歌い出しの一節である。

45歳でアルコール依存症と診断された私は、その病に至るまでに悪所に通いつめた時期がある。場末の小さなカラオケのあるスナックだった。そこにはお婆さんのママとその娘と常連客がいた。私は酒が飲みたいだけでその店に通っていたわけではなかった。酒、ギャンブル、歌、喧嘩...こんな生活が続けられるわけがないのに、すでに借金にまみれていたのに、気がおかしくなっていたのに。その果てにはアル中で自分の身体、ひとの心をぼろぼろにした。
大昔から、快楽に入れ込み過ぎると必ず破滅するといわれていたのに。

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