にほんブログ村 テレビブログ テレビドラマへ にほんブログ村 テレビブログ 大河ドラマ・時代劇へ

 

 

 

 

 …NHKBS4Kにて一般視聴者に初披露された『麒麟がくる』、視聴者にはどう映ったのであろうか。

 

 忌憚なくここに書き記しておくと、第1回目、しかも75分に拡大した意義が伝わらない、インパクトの弱い初回、だったと言わざるを得ない。初回だけで言えば、2017年の『真田丸』、2018年の『おんな城主直虎』と比較しても、いまひとつインパクトの足りない初回であったと…そう、私は思っている。

 

それは、いったい何故なのだろう。

 

 確かに、放送日が例の沢尻エリカから川口春奈への交代劇に端を発する遅延を生み、例年以上に番宣を繰り返し繰り返し見せられたことの影響も、無いとは言えない。折角の各配役のセリフも番宣にて切り取られまくり、新鮮味を失ってしまった影響も多少はあるだろう。

 

 でも、それだけで片付けてしまっていい話なのか?

 

 明らかになっている史実が少なく、原作もない池端俊策オリジナルの脚本。だからこそ、いちばん最初は明智光秀を描く意義を、前半生から強く印象付ける必要があるだろうと私は考えていた。子役も使わないのであれば、何故に青年期から光秀のストーリーを始めなければいけなかったか・・・その納得いく理由の説明も含めて。

 

 よもや長谷川博己が主人公だから子役時代を描かなくていいとか、そんな安直な発想ではないとは信じたいけれども…けれども、もしかすると本当に制作スタッフがそんなことを考えていてもおかしくないとすら、あの初回を記憶から呼び起こすにつけ、思い直さずにはいられなかった。

 

 

 

 ストーリーは至ってシンプルだ。室町時代末期の動乱期において、斎藤利政(道三:本木雅弘)の美濃配下にある明智領。ここを今日も野武士の集団から守れなればならない明智十兵衛光秀(長谷川博己)は、野党の親玉が使用していた見たこともない火器(種子島。ドラマ内では「鉄砲」と言い切っているが…)がキッカケとなり、おじの明智城主(名代)・明智光安(西村まさ彦)の頭越しに斎藤利政に直接、堺・京に旅してみたいと願い出る。誰得かを問う利政に、病に臥せっている正妻の小見の方(片岡京子)を診れる医者を探すこと、鉄砲を購入してくることを条件とし申し出て、許しを得た光秀は旅立つ。

 

 

 堺にて鉄砲を扱う商人に交渉するが、数が少なく、数か月は先にならないと輸入されてこないのだという。そこにたまたま居合わせた松永久秀(のちに弾正:吉田鋼太郎)は光秀と親しくなるが、酔った光秀が寝ている隙に、利政から与えられた金を久秀に抜き取られてしまう。が、売ったつもりなのか、鉄砲一丁も光秀の手元に置かれていた…。

 

 

 次に光秀は京に名医を探しに行くが、京は堺と比較出来ないほど荒れており、住まいを焼かれ路頭に迷う民衆があふれている。そこで駒(門脇麦)と出会い、噂に聞いた名医である望月東庵(堺正章)の助手をしていることを知る。光秀は東庵に美濃への招聘を願い出るが、断られる。

 

 やがて民家に火事が起きる。野党と思われる武士が放火したモノだが、そこから光秀は幼い女の子を助け出す。


 駒は、自分も武士から火事の炎の中から救出されたことを語り、またその武士から、平和な世をもたらす者の登場するところに伝説の「麒麟」が現れる話を聞かされたことも語る。

 

 東庵は自らの診療所兼住まいを焼かれたこともあり、また光秀の心根に心を動かされたこともあって、美濃行きを決意する。かくして光秀は、美濃に帰って来ることが出来た。

 

 しかしながらその頃、尾張の織田信秀(高橋克典)が多数の軍勢を率いて、美濃に侵攻を開始しようと迫っていた…。

 

 

 散漫な印象を持ってしまった理由は、自分なりにそこそこ説明がつく。

 

 斎藤高政(義龍:伊藤英明)、母・牧(石川さゆり)、三河の農民・菊丸(岡本隆史)、松永久秀(吉田鋼太郎)、帰蝶(川口春奈)…のちの光秀と関係値を築く面々が次々に登場するも、いったいこの先どうなってしまうのであろうという、不安にも似た関心が呼び起こされない。

 

 これは恐らく、第1回のエピソードとしては転機となるに相応しいと、誰もが納得できる要素に欠けていたせいではないであろうか。転機ということであれば光秀が美濃を出たというより、初めて領国の外で知った、戦国の世の実情…これを知り、光秀は駒が言うところの「麒麟がくる」国を目指さなければならぬと開眼する。


 しかしそれも、終盤近くに光秀と駒のやり取りの中で一気に語られるだけで、その過程がいま一つつぶさに描かれていないばかりに、唐突な印象を覚えてしまう。

 

 この、光秀の心情が語られているのが今回最大の見せ場の「火事のシーン」・・・というのも、戦国という舞台に展開する物語としてはカタルシス不足と言えまいか。

 

 

 折角市川海老蔵(2020年5月に十三代目・市川團十郎)をナレーターに据えておきながら、光秀の心情を補う語りも、光秀の置かれた背景の説明も足りなかった。感情移入出来る要素が思いのほか少なかったのは、この辺りのバランス…演技する側とこれを外から語る要素の配分にあったのではないかと、今私は思っている。

 

 最後に。良かった面も触れておきたい。

 

 それは、近年の大河ドラマで私がやや問題視していた、過剰なBGMの鳴り響き。演技者のセリフも、場面の余韻も掻き消さんばかりの空気の読めていないBGMの氾濫は、少なくとも『麒麟がくる』には無かった。この辺りがもしかすると、「古き良き大河ドラマ」復権のカギとなるのかも知れない。

 

 

『池袋ウエストゲートパーク』 2000年4月14日~6月23日 金曜日21:00~21:5(初回放送) TBS
原作:石田衣良 脚本:宮藤官九郎 監督:堤幸彦 プロデューサー:磯山晶
オープニング:Sads「忘却の空」

 
出演:
長瀬智也、窪塚洋介、
渡辺謙、山下智久、佐藤隆太、阿部サダヲ、加藤あい、妻夫木聡、高橋一生、坂口憲二、古田新太、西島千博、須藤公一、矢沢心、小雪、きたろう、森下愛子、小栗旬 他