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 …2020年、今年の大河ドラマの最大の特徴とは何であるか…皆様はどの様にお考えでしょうか。
 
 (戦国時代)大河ドラマ初の4K映像?否。
 
 明智光秀が初めて主人公となったこと?否。
 (道三、信長、光秀の複数主人公でならば、既に『国盗り物語』で実現していますが…。)
 
 帰蝶(濃姫)を演ずる沢尻エリカの麻薬取締法違反の末の降板か?否。
 
 2020年大河ドラマ最大の特徴とは、「東京オリンピック延期」と「新型コロナウイルス」です。
 
 いかなる作品といえども、その作品が制作される土壌、社会背景、時代背景…これを無視して理解することは片手落ちなのである。それが時代劇であろうとも、決してこの前提から逃れることは出来ない。
 
 念のために…本当にこれは念のためにだが、いまのこの社会背景がいかに『麒麟がくる』に影響を与えているのかの証しを、ここに列挙してみたい。
 
 「東京オリンピック延期」と「新型コロナウイルス」。実質的にこのふたつは実体がひとつであり、本来分けて考えるべきモノではないのだが、与える影響は正反対なのだ。「東京オリンピック延期」は競技中継またはニュースに割り当てられていた枠を空白にし、元はといえば例年より4話ばかり減少されていた話数は、制作本数追加(違う…あるべき本数に戻す)ことが可能になったということだ。
 
 単に減少されていた本数が例年通りの本数に戻った…それだけでは済まないのは大方の皆様にはお分かりだろう。作品制作全体の計画、脚本の再構成、俳優の拘束時間増加、NHKの「働き方改革」との整合性…これらは当然の話として、ストーリーの質にも影響を与えかねない。単に話数が多いから良作などと、そんな単純な話にはなり得ないのである。
 
 
 しかし今回の「禍」は、上記に相反する要素をもたらした。
 
大河と朝ドラで撮影休止 NHK、コロナ感染予防で
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO57508050R00C20A4CR8000/

 (日本経済新聞 2020/4/1 15:54)
 
 4月12日にまで及ぶ撮影中止。しかも中止はここまでで、本当にその後は予定通り撮影再開可能であるなどという見通しはない。
 
 1年というスパンを考えたらこの期間は短い期間であろうか?私はそうは思わない。撮影中止は制作側のモチベーションを高揚させることはないし、何より影響を受けるのは、1年以上に渡り、(良心的な俳優であればあるほど)配役を引き受けてその役に同化し、役として生き続けようとするキャスト達なのだ。水を差されては集中力も目的意識も削がれるのは当然だろう。
 
 残念ながら凡作いや駄作に堕ちてしまった『スカーレット』を思い起こして欲しい。当初のコンセプトに沿えずに何重にも及んだ路線変更は、内容に露骨なパッチワーク感をハッキリ残し、不自然な脚本、説得力に欠けた展開、希薄な現実感、後付けとしか思えないテーマ…どこをとっても救い難い代物に変容したではないか。
 
 ましてや先述の通り、本来予定になかった約4話分を考慮すると、ただでさえ時間が足りなくなっている可能性がある。ひょっとすると1分1秒でも惜しい状況下にあったとしても、少しも不思議ではない。
 
 ここまでは非常に良い展開と言っても良い『麒麟がくる』…近年稀にみる良作の可能性を秘めた『麒麟がくる』も、首都閉鎖ではないが今まさに「ギリギリの水際」で持ち堪えているのだと私は思っている。
 
 どうか関係者の作品への想いが、不可避な社会情勢に耐え得る「本物」であって欲しいと願うばかりだ。
 
 
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 今回、11話まで積み重ねられてきた柱となる2つの要素が、次のステージに転じた回と言っていい。
 
 ひとつ目の要素は、美濃・斎藤利政(道三:本木雅弘)の周辺。十兵衛光秀(長谷川博己)は結局妻木煕子(木村文乃)と結婚するが、「十兵衛の嫁」のタイトルには違和感を覚える程に、話の中で占める割合が多くない。

 土岐頼芸(尾美としのり)は利政(本木雅弘)を暗殺せんがために贈った鷹の爪に毒を仕込むという大胆な策を実行してしまう。これを受け利政は、武力をもって決着をつけ頼芸を美濃から追放せんとする。高政(伊藤英明)はこれを機に父・利政への反逆を企て、十兵衛にも利政失脚を共に進める様促す。

 もうひとつの要素は、織田信秀(高橋克典)の死。いよいよ床に臥せる様になった信秀は土田御前(檀れい)、信長(染谷将太)、信勝(木村了)、平手政秀(上杉祥三)、佐久間盛重を末森城の自らの病床に呼び寄せる。
 
 そこで信秀から知らされたのは、自らに万一のことがあれば信勝に、この末森城を与えるという「遺言」であった。
 
 更に信勝には、家老の佐久間盛重も柴田勝家(安藤政信)も与えるという。そして信長にはこれまで通り、那古野城で力を尽くせという。だが信長は、この言葉の背景に母・土田御前の横槍を感じ取り、この曖昧な後継の采配に悔しさを滲ませる。
 
 
 帰蝶(川口春奈)は何とか信秀の病床に近づき、その真意を聞き出す…といった内容であった。
 
 のちの成り行きを考えると興味深い場面だが、やはり白眉は、父母に対する承認欲求に飢えて、隠すことなく喜怒哀楽の感情を露わにする染谷信長だろう。
 
 
 どうやら信長の、かの有名な信秀の葬儀に仏前で抹香を投げつけるシーンは今の段階では見られそうもない。これは残念だが、次回・4月12日の「帰蝶のはかりごと」では、誰もが待っていた斎藤利政との対面…婿と義父が初接触(にして最後の遭遇か)するシーンは実現しそうだ。染谷将太がモックンにどれだけ位負けしないか、これは見ものではないか。
 
 # 忘れないうちに書いておくと、次回は佐々木蔵之介の藤吉郎も初登場の様だ。
 
 …今回の最後のシーンは、信秀が病床にて望んだ、望月東庵(堺正章)との双六勝負であった。京での医療を賄うべく、駿河に下る途中で尾張に立ち寄る東庵。信秀の待つ末森城の間に出てみると…既に信秀は身罷っていたというシーンであった。いかにもドラマチックなシーンだがどうしても心配でならなかったのは…虫の息の信秀と間に二人きりの東庵が医者であるとはいえ、脈を取る位近づいて暗殺の嫌疑はかけられなかったのかと。まぁこれは、色々策を弄して信秀の床に近づいた帰蝶にも言える事なのだけれども。そこは人質とはいえ、信長の嫁であり利政の娘というVIPであるが故に大目に見てもらえたのかも知れない。

 だが東庵は…せめて脈がない時点ですぐに近習に大声でもあげて知らせないとマズイだろう…。
 
 上に述べたのは、すべて時代考証に対する心配事である。ドラマとしてより引き込みを意図した演出はいい。けれども大河のコアな視聴者の大方は、こういったリアリティに厳しいのだ。
 
 『麒麟がくる』制作陣には、この辺りをもう一歩踏み込んで再考していただけると幸いである。