「中秋の名月」by S
不惑:物の考え方などに迷いのないこと。
子曰はく、「吾、十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑はず。五十にして天命を知る。六十にして耳順ふ(したがふ)。七十にして心の欲する所に従へども、矩(のり)を踰えず(こえず)」と。
令和元年。
明日、一つの大きな人生の節目を迎えます。
今日は中秋の名月。
我が人生を少しばかり振り返るには、ちょうど風情があります。
すっ転んで、擦りむいてばかりの人生でしたが、
精一杯生きてきたと思います。
私は周囲からの見た目と、
実情はかなりギャップがあるようですので、
「おいおい、大袈裟な」
と思われるかもしれませんが、
「よく生きてきた」
と、私は今日褒めてあげたいと思います。
それほど必死で生きてきました。
10代から20代までは野人の様に生き。
20代から30代は、社会の中で生きてきました。
私は正直なところ、
社会生活などまともに送れるはずがないという事を自覚していました。
私の親、兄妹も、そう感じていた様です。
しかし、蓋を開けてみれば、
周囲にも驚かれた程、
意外にも家庭を持ち、社会の役割を担って生きてきました。
私が人並みの生活を送れていた事が、今でも信じられません。
その喜びも大変さを経験をさせて頂いた事に心から感謝をしたいです。
家族も苦労した事でしょう。
私の性質上、
もし、社会的役割を持たなければ、
どこかの道端で野垂れ死にしていた可能性が高いです。
いや、結構マジで思います(笑)
それほど、私の中にはコントロールが難しい、
常軌を逸する「何か」を抱えていたからです。
そんな野人の様な私が、
社会生活で特に「組織の中で働く」という事は大変苦痛な事でした。
20代~30代の社会人生活は、本当にしんどかったなあ。
そんな印象があります。
家族を持つ事で、そこから逃げ出す訳にはいかず、
沢山の困難と向き合う事で、私を育て、強くしてくれました。
私は、極端な人間でしたので、
求められる「役割」に徹する事が出来ました。
この社会人生活は、
事業所の立ち上げ、危機的な運営の改善、
職員間、法人間の調整役という役割をずっと求められていました。
仕事は苦難の連続でしたが、
必ず素晴らしい仲間達が配置されていました。
いや、くそ野郎も必ず存在していましたが(笑)
私はこの数十年間、
法人(全体)にとって良き方向性を目指すという事を、
第一義にに考えていましたので、
自分の意見を押し殺すという事など朝飯前でした。
自分の個人の意見など、重要ではありませんでした。
もちろん、それを平気で行えた訳ではありません。
言いたいことも、悔しい事も、傷ついた事も星の数ほどありました。
必要があれば、反吐が出そうな相手にも、
膝を屈して、相手に歩み寄りました。
組織下で人と人の間に立ち、和を図る為には、
自分の意見など邪魔なだけでした。
それは、とても
苦しい事でしたが得た学びはとても多いです。
それは私の財産になりました。
しかし、ですね。
「その役割はもう充分」
「その役割はお腹いっぱい」
もう充分膝を屈めたから、
もう大ジャンプしてー。
と私の心は最近、そう叫んでいる。
もう、自分の意見を殺す事なく、
「己の思うままにやっていきたい」
という強い想いが大きくなっているのを感じます。
自分の足で立って、批判や反発なんぞ、
蹴散らしてやりてー
という想いに駆られています。
生きる事に、迷いに、迷い。
そんな私の半生でしたが、
私もようやく「不惑」の年となりました。
期待してるぜ!
本日の一コマ。
いやー美味しかったね!!
御馳走様でした。
野人の生命を支えてくれた、
家族、仲間、相棒に心から感謝します。
私は今朝感じました。
自分がどんなに大変なつもりでも、
私は生まれ落ちた瞬間から、
今現在まで、一分の隙もないほど、
神様の御手によって、
護られ続けた事を。
私は神様の愛の中で、
苦しみ、もがかせて頂いていた事を。
さあ、不惑の時代は、
命を燃やして生きるぞ!!
なんてね。