三笑会

三笑会は、平成30年6月1日~陶芸活動と陶芸教室、喫茶室、自家野菜販売、古美術・古物商経営を総合的に活動していきます。

「真相を知りたい」

2019-07-15 19:26:30 | 日記
「真相を知りたい」

 北朝鮮によって拉致された被害者として17人が政府に認定されているが、そのうち帰国したのは5人、死亡とされているのが8人、そして未入境とされているのが4人で、平成14年9月の日朝首脳会談からこの局面は動かないでいる。この死亡とされた8人の中には横田めぐみさんが含まれており、その安否につては多くの国民が関心を寄せているところだ。横田めぐみさんは生存か、死亡か、ここで二人の見解をご覧いただきたい。
 まず一人目は、救う会全国協議会の西岡力会長の見解である。西岡氏の「北朝鮮が拉致でついた二つのウソ 「死亡」の8人は生きている」(iRONNA掲載)論文における、「8人生存の第2の根拠は、確実な生存情報があることだ。」という項目の中で、「救う会も確実な生存情報を持っている。その大部分は非公開だが、以下の情報はすでに公開している。」として、「 横田めぐみさんについて北朝鮮は「94年に死亡した」と通報したが、救う会は2001年まで平壌の龍城区域の七宝山(チルボサン)招待所で暮らしていたという複数の情報源から得た情報を持っている。1987年に順安区域招待所に移り、そこで金英男氏と会って同居し、結婚した。1993年に夫との不和で離婚した。94年4月、義州の49号予防院に入院させられたが、1日後に呼び戻され平壌の49号予防院に入った。94年9月、対日工作員と再婚、96年11月に、男子を出産した。」と、めぐみさん生存の根拠を掲げている。
 次に二人目は、元駐英北朝鮮公使で本年6月に来日して講演をした太永浩(テ・ヨンホ)氏の見解である。太永浩氏は、自らの著書である「北朝鮮外交秘録」(発行:文藝春秋)の185Pに北朝鮮外務省の日本担当課職員の説明としてこう記述している。「横田めぐみは精神疾患により49号病院で死亡した。拉致問題が日朝会談の争点として取り上げられると、党はその遺骨を探せと指示してきた。しかし49号病院には彼女についての正確な記録がなかった。死亡者が発生しても病院の裏山に葬儀もせずに埋葬していた時期だった。病院側としても苦しい立場だった。関係者の記憶だけに頼って彼女を埋葬したと思われるあたりを探し、遺骨を1体発掘した。横田めぐみのものと確信し日本に送ったが、DNA鑑定の結果、偽物だと判定された。」とある。
 真相はどこにあるのか?私には分からない。しかし、その理由が何であれ一度死亡した人間が生き返ることがない以上、我々は勇気をもって全ての拉致被害者の生存・死亡の情報を北朝鮮に求めるべきである。拉致被害者全員を一括して取り戻すことに固執するあまり、事実を知るということを先延ばしにすればするほど、拉致被害者及び特定失踪者の家族・親族は死んでも死に切れないと思う。まずは、事実に基づいた正確な生存・死亡の情報を一刻も早く家族・親族に伝えることを政府に要望したい。

令和元年7月15日

救う会徳島 代表 陶久敏郎

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