マタイによる福音書
◆山上の説教を始める
5:1 イエスはこの群衆を見て、山に登られた。腰を下ろされると、弟子たちが近くに寄って来た。
5:2 そこで、イエスは口を開き、教えられた。
以前から5章から7章までを「山上の垂訓」といいました。
しかし、新共同訳では「山上の説教」ですし、ルカによる福音書では6章であり、
イエスの説かれた福音の教えの重要な部分を占めています。
この山上とはどこなのかですが、その場所は特定されていません。
福音書でイエスが布教を行ったとある、ガリラヤに高い山はないが、
ガリラヤ湖の西には小高い丘がいくつかあります。
聖書学者は湖の北端、カペナウム近郊がその場所であると推測していますし、
私の聖地旅行の時、ガイドの方がこの辺りだと説明していただいた場所に行きましたが、
確かにそうかなという小高い丘で、ガリラヤ湖が見渡せる場所でした。
そのような場所はいくつもあってその丘の一つは、
祝福の山(英: Mount of Beatitudes)と呼ばれ、
丘の上には「山上の垂訓教会」が建てられていました。
この教会はイスラエルのガリラヤ湖北西岸のカファルナウム近くにある
カトリック教会とガイドブックにはありました。
ガイドブックには次のように説明されています。
・・・ビザンツ帝国時代4世紀にこの地に、
イエスが「至福の教え」を語った地とされていた記録がある。
当時そこを巡礼したエゲリア(Egeria)がその巡礼記に
「パンと魚の奇跡の教会のそばにベアティテュードが語られた丘に洞窟がある」書いている。
現在の教会はこのビザンツ帝国時代の遺跡の地に、
1936年~1938年に平面図が八角形の近代的な教会堂が建てられた。
祭壇の前には、八つの祝福を意味するモザイクが床に埋め込まれている。
ザインは他にも様々な教会をデザインした
イタリア人のアントニオ・バルルッツィ(Antonio Barluzzi)による。・・・
さてイエスは「5:1 イエスはこの群衆を見て、山に登られた。」とあり、
そのまま読めば群衆を見ながら山を登られたということになります。
4章後半にありましたように、イエスは多くの癒しをなさったのですが、
どうやらイエスの後に従ってこの小高い丘についていった群衆は、
そう多くはいなかったと見るべきでしょう。
しかし、イエスの弟子たちは従っていきました。
するとこの5章から7章までの山上の説教は、
弟子たちだけに語られたものであるということになります。
つまりイエスを信じて従う者への教えということになります。
私たちクリスチャンとしての生き方を教えられたのだと
受け止めていかなければならないのです。
◆山上の説教を始める
5:1 イエスはこの群衆を見て、山に登られた。腰を下ろされると、弟子たちが近くに寄って来た。
5:2 そこで、イエスは口を開き、教えられた。
以前から5章から7章までを「山上の垂訓」といいました。
しかし、新共同訳では「山上の説教」ですし、ルカによる福音書では6章であり、
イエスの説かれた福音の教えの重要な部分を占めています。
この山上とはどこなのかですが、その場所は特定されていません。
福音書でイエスが布教を行ったとある、ガリラヤに高い山はないが、
ガリラヤ湖の西には小高い丘がいくつかあります。
聖書学者は湖の北端、カペナウム近郊がその場所であると推測していますし、
私の聖地旅行の時、ガイドの方がこの辺りだと説明していただいた場所に行きましたが、
確かにそうかなという小高い丘で、ガリラヤ湖が見渡せる場所でした。
そのような場所はいくつもあってその丘の一つは、
祝福の山(英: Mount of Beatitudes)と呼ばれ、
丘の上には「山上の垂訓教会」が建てられていました。
この教会はイスラエルのガリラヤ湖北西岸のカファルナウム近くにある
カトリック教会とガイドブックにはありました。
ガイドブックには次のように説明されています。
・・・ビザンツ帝国時代4世紀にこの地に、
イエスが「至福の教え」を語った地とされていた記録がある。
当時そこを巡礼したエゲリア(Egeria)がその巡礼記に
「パンと魚の奇跡の教会のそばにベアティテュードが語られた丘に洞窟がある」書いている。
現在の教会はこのビザンツ帝国時代の遺跡の地に、
1936年~1938年に平面図が八角形の近代的な教会堂が建てられた。
祭壇の前には、八つの祝福を意味するモザイクが床に埋め込まれている。
ザインは他にも様々な教会をデザインした
イタリア人のアントニオ・バルルッツィ(Antonio Barluzzi)による。・・・
さてイエスは「5:1 イエスはこの群衆を見て、山に登られた。」とあり、
そのまま読めば群衆を見ながら山を登られたということになります。
4章後半にありましたように、イエスは多くの癒しをなさったのですが、
どうやらイエスの後に従ってこの小高い丘についていった群衆は、
そう多くはいなかったと見るべきでしょう。
しかし、イエスの弟子たちは従っていきました。
するとこの5章から7章までの山上の説教は、
弟子たちだけに語られたものであるということになります。
つまりイエスを信じて従う者への教えということになります。
私たちクリスチャンとしての生き方を教えられたのだと
受け止めていかなければならないのです。