*物語の内容についても触れています
お読みの際はご注意下さい
この物語は最後の少女のひと言を聞くために全てがあるといっても過言ではない
そのひと言は上下巻のこの長い長い物語を、この上ない気持ち良さで完結させてくれる
逆に言えば上巻下巻と丁寧に全部を読んだ人にのみその気持ち良さは訪れるのだ
長いといっても安心してほしい、何故ならこの物語には読んでいる者を退屈させるような場面がただの一度もないからだ
底知れない怖さを持った親方の姿や行動、少年クラバートの不安や怖さに満ちた心理、共に働く水車小屋の仲間達一人一人の姿
そのどれもが自分の頭の中でハッキリと作られていく
怖いだけじゃない親方の魔法
恋と魔法のバランス
子どもだった少年の心の葛藤と成長
クラバートの世界にすっかり魅了された心は次の展開をきっと胸をはずませて期待していくだろう
物語の中心に置かれている水車小屋。水車小屋にいる親方と十一人の粉屋職人。親方は魔法を使い、弟子である十一人の職人達も魔法を使う。物語は14歳の少年クラバートが、不思議な夢の中に現れた声に誘われ、その水車小屋にやってくるところから始まる
親方は強く圧倒的な存在感で職人達を働かせる。クラバートも初めは仕事についていくのがやっとだったが、一人前になると立派な職人として働けるようになる。魔法も習う事になり、色々なものに変身できるようにもなった
しかし、信頼を置いていた仲間の死をきっかけに、クラバートの心が揺るぎ始める。
この物語で魅力的なのは、魔法はもちろん、どんなものを食べ、そしてどんな風に食べているか、出てくる飲み物も、装飾品も服装も乗り物も、美しい風景も、全てが頭の中で具体的に映し出されるところにあります
旨そう、食べたい、良い眺め、美しい、危ない、辛そう、良かった、安心した、そしてもちろん恐怖。その描写力にはまさに魔法がかけられていると言ってもいいほど読んでいる者の想像力にダイレクトに、鮮明に訴えかけてくる
これほどの描写力を生み出す裏側には作者が長い月日をかけて、舞台となる地方の風習や歴史的背景、伝説などを丁寧に調べた下地があってこそのもの。作者自身が11〜12歳頃にこの物語の素材となる本と出会い、その20年後に新たな話しが加えられたその本に再び出会い、途中中断を余儀なくされながらも長い年月をかけ完成に至ったのです(本の末尾にある解説より)
宮崎駿監督が「クラバート」に影響を受けたという話しをあるインタビューの中で知り、それがきっかけでこの本を読むことになったのだが、その事を頭の片隅に置きながらこの本を読み進めてみると、影響を受けたというそれが垣間見える場面がいくつか登場する。これはあの映画のあの場面に変化させたものだろうか?これは、これは、、、といくつかそういう所があって、もちろん宮崎監督はまったく違う世界を作り上げているので、影響を受けながら宮崎監督の世界に新たなものとして生み出しているのは感動のひと言に尽きる
宮崎駿監督はアメリカでのあるインタビューで、次のようなお話しをされていました
「自分たちの仕事をクリエイティブな仕事というよりもリレーのように考えています。僕らは子どもの時に誰かからバトンをもらったんです。そのバトンをそのまま渡すんじゃなくて、自分の体の中を一度通して、それを次の子ども達に渡すんだっていう、そういう仕事だと思っています」
これはアメリカのジャーナリストが、ディズニーの新作アニメのベイビーターザンが宮崎監督のキャラクターに見えたという問いかけに対して、宮崎監督が答えたものです
宮崎監督は様々な児童文学に影響を受けたとまた別のインタビューでおっしゃっていましたが、この「クラバート」もその中のひとつなのだと、それをこうして自分も読めた事をとても幸運に思います
上下巻とも読み進めるうちに、この物語はいったいどんな終わり方を残しているのだ?という疑問が不安が頭をよぎる。残されたページはあと数枚。しかし、読み終えた後に感じる至極の爽快感は、残りたった数ページで十分だった。本を読み終えた後、思わず拍手をせずにいられない貴重な体験ができる。そんな本ではないだろうか