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すべての仮説は検証しないと古代妄想かも知れません!新しい発想で科学的に古代史の謎解きに挑戦します!

女性天皇は「記紀神話」の呪いだった(;´Д`)

2020-09-15 00:15:32 | 古代史
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前回、見ようとすれば「正史」のウソを見抜ける!でお話ししたように、古代史が今までよくわからなかったのは現存する日本最古の正史「日本書紀」が正しい歴史だと思い込んでいたからなのです。

簡単に言うと、他に正史ではない歴史書があっても、稗史(はいし)を正しいとする根拠が見あたらないので、一方的に正史が正しいとするのでしょう。日本建国の歴史の真相は、平安時代、鎌倉・室町時代辺りまで人々に語り継がれていたと思われますが、千年以上も時間が経過すると正史「日本書紀」と基本的にそれに倣った「古事記」だけが正しい歴史として残ることになってしまいました。

Wiki「国学」によれば、「江戸時代中頃には、それまでの『四書五経』をはじめとする儒教の古典や仏典の研究を中心とする学問傾向を批判することから、日本の古典を研究し、儒教や仏教の影響を受ける以前の古代の日本にあった、独自の文化・思想、精神世界(古道)を明らかにしようとする学問である国学が起こる。『大日本史』の編纂を始めた徳川光圀の水戸学や『万葉集』を研究した荷田春満らの影響を受け、賀茂真淵 が学問として体系化し、その門人の 本居宣長が『古事記伝』を完成させた。本居宣長没後、平田篤胤が宣長の『古道論』を『復古神道』に発展させた。」とあります。

天照大神が男性神であると突き止めていた荻生徂徠などの文化人・知識人は居ましたが、「復古神道」の思想は江戸時代後期の尊皇攘夷思想にも影響し、国粋主義や皇国史観にも影響を与えました。その影響を受けた明治政府が神仏判然令(神仏分離令)を発したことにより、外来の仏教などを排斥する廃仏毀釈運動が各地で起こり、神宮寺が廃止され、地方によってはかなり激しい伝統文化の破壊が起こり、貴重な神仏習合の遺産が相当大量に失われた模様です。

明治政府はさらに、西洋列強の植民地化に抵抗するために「記紀神話」に基づく国家神道を創設し、神話を歴史と見なす国民教育によって「正史は正しい」という誤った考え方を定着させました(正史は正しい歴史なのか?)。

大東亜戦争に日本が敗れた後に、日本国民の強力な結束力を怖れた米国などの戦勝国の占領軍GHQは、日本の弱体化の目的で1945年(昭和20年)12月15日には国家神道を解体しました。さらに1947年(昭和22年)に、将来的に皇統を廃絶する目的で11宮家51名の皇籍離脱を命じました。

しかし、国民統合の象徴である天皇陛下のご存在は、日本国民の心に深く浸透しているので、日本神話について学校教育は行われなくなっても、一般国民の神話への愛着は強く残っています。

GHQによって公職追放された愛国者たちの後釜として、GHQが去った後に日本を支配した国際金融資本系とソ連・中凶共産主義系のスパイだった二つの反日リベラル勢力は、実は戦前、戦争を煽った真のA級戦犯(平和に対する罪)だったにもかかわらず、全て軍部の責任にしてしまい(林千勝「近衛文麿 野望と挫折」ワック 2017)、日本の愛国者を右翼・ファシストと貶め、インチキ平和主義で国民を洗脳しました。

彼ら反日リベラル勢力は、教育機関とマスメディアを握り、国民を騙して日本の伝統的な文化破壊を徹底的に行う姿勢を現在も見せています。次の世代の唯一の皇位継承者である悠仁親王殿下のご存在があるにも拘らず、皇位継承者が少ないので皇室を護るという見せかけのバカな理由から女系天皇を容認する女性天皇を立てることにより、皇統の万世一系の男系男子によって二千年近く受け継がれてきた天皇家を破壊する運動を展開しています。

伝統国家の日本を完全解体する仕上げの最終段階とも言えます。

女性天皇は、GHQによって不法に押し付けられた(偽)日本国憲法上の職務は問題なくできたとしても、

女性が天皇の宮中祭祀を執り行うには支障があり、

祭祀王としてのヤマトの大王(天皇)にはなれないのです。

これは女性差別ではなく役割の問題なのです
(注1)。

歴史上8名の女性天皇が存在していると反論するでしょうが、

実は女性天皇は藤原不比等の謀略だったということが分かってきました。

持統天皇の前の推古・皇極(斉明)の二人の女帝は、

持統天皇が皇位を奪ったことを正当化するために創作された架空の女帝なのです(注2)。

アマテラス女神の神話も全くの作り話なのです。

持統天皇の前の二人の女帝は前例を創るトリックでした。

持統天皇の後の5名の女性天皇も、

上述のとおり天皇の職務を完璧には行えない不完全な存在だったのです。

くどいようですが、

本来、女性天皇は天皇と呼ぶべき地位ではなく、

古代宮中祭祀において伊勢斎王と同様の皇族巫女なのです。

未婚の皇女は伊勢神宮などの斎王になるのです。

卑弥呼や台与と同様の太陽神に仕える姫巫女なのです。


幸いにして、持統天皇以後の女帝は天皇の皇女であって、

結婚しても、子を儲けてもいませんから、

現在までのところ皇統は男系で継承されています。

天皇は皇統の万世一系の男系男子が即位すべきだというのは、

厳然たる歴史的事実なのです。


初代天皇(応神天皇)が父の大国主久々遅彦(狗古智卑狗)の祭祀をするようにとの大物主大神(大国主)の神託によって即位した史実から始まったと突き止めました(古代史の謎を推理する)。

大国主久々遅彦は、初代倭の奴国王の天御中主の血を引く第十八代王素戔烏尊(スサノヲ)の息子イタケルの直系の子孫です。スサノヲは奴国宮廷楽師師升らのクーデターで倒れ、約五百年続いた奴国は滅亡しました(【検証9】奴国時代の話(その1)(その2))。

スサノヲ大王と両親(第十七代奴国王伊弉諾尊と縄文海人ムナカタ族の姫伊弉冉尊)を同じくする弟ニギハヤヒもイタケルと同様にムナカタ族の支援で出雲・米子方面に逃亡し、その後イタケルは半島南部の鉄素材を沖ノ島経由で手に入れてニギハヤヒに鉄製武器などを供給しました。ニギハヤヒはそれによって吉備を平定して、ヤマト政権の基礎を築きました。

天照大神尊ニギハヤヒは楯築王墓で葬られています。

楯築神社の御神体「亀石」が人面蛇体なのを発見しました。


天照大神尊ニギハヤヒが天皇伏羲の血を引く人物だと分かります。


つまり、天皇の呼称は中国神話の三皇(天皇伏羲・地皇神農・泰皇女媧 )に由来します。倭国初代王の天御中主は春秋の呉王族で太伯の後(周の先王古公亶父の血筋)というのは正しかったと思います(陳寿は「魏志倭人伝」で意図的に無視した模様です)。伏羲は黄河文明よりも前の長江文明の担い手で(原始夏人系Y染色体DNA O1a旧O1)、洪水で生き残った人々が黄河中流域で二里頭文化を作りました。中国最初の夏王朝です。

三世紀末に即位した応神天皇はスサノヲ・大国主直系ですが、大国主系氏族とニギハヤヒ直系の物部氏との主導権争いが七世紀までつづき、大国主直系の天武天皇(蘇我氏だと推理しています)が壬申の乱に勝利するのですが、崩御した後に、上述のとおりその皇后鵜野讃良(持統天皇、天智天皇皇女)と藤原鎌足の子不比等が謀略で権力を握りました(中大兄・鎌足コンビの復活)。しかし、八世紀の孝謙(称名)女帝の後にニギハヤヒ系の中大兄(ナーガ神国の大王の嫡子)の孫の光仁天皇が即位してから現在の天皇家まで続いていると考えています。

つまり、今上天皇は天照大神尊ニギハヤヒの直系の子孫だと推理しています。

前回の記事で、「日本書紀」で登場する三百歳を超える武内宿禰の正体が大国主久々遅彦だと示しましたが、サルタヒコの正体も大国主です。サルタヒコのペアのアメノウズメは大国主の妃の台与で、サルタヒコとアメノウズメは実在人物の大国主と台与を隠すための分身だったのです。サルタヒコを祭神とする佐太神社の「佐陀大社縁起」によると、室町時代末期に佐陀大社で神在祭が行われていましたが、蛇の夫婦が異国から現れると書かれています(注4)。

大国主も三輪山の蛇(オロチ)ですからサルタヒコと同一神ということです。

大国主の妻の台与がアメノウズメなのです。

蛇の夫婦は伏羲と女媧に対応しています。

本来、女性は天皇(ヤマトの大王)の妃には成れても

天皇には成れないということなのです!

日本の天皇は祭祀王であって、

征服王である外国の王位とは性格が全く違うのです。

若い悠仁親王殿下の精神的なご負担を深く考慮して、

皇位継承可能な旧宮家の男性八名の方に皇族復帰して頂けばよいのです。

女性天皇も女性宮家も全く必要ありません。




(注1)Wiki「女性天皇」宮中祭祀によれば、以下のとおり女性天皇は祭祀王としての神事を完全には行えません。伊勢神宮または賀茂神社に巫女として奉仕する斎王(斎院)の制度がありましたが、未婚の皇女は斎王(斎内親王・斎女王)になれますが既婚女性はなれませんでした(wiki「斎院」参照)

女性は皇族と言えども宮中祭祀を行うヤマトの大王、

つまり皇祖神の霊と一体となる祭祀王にはなれないのです。


宮中祭祀においては今なお伝統を重んじ、「何人たりとも常に清浄な状態でなくてはならない」とされる。

賢所で祭祀に携わる内掌典は、外出時には下界の「穢れ」を宮中に持ち込まないよう専用の衣服に着替える[10]。死も「穢れ」とされるので、内掌典は拝命時、身内が危篤に陥った際にはまだ命のあるうちに宮中を離れるようあらかじめ厳命される[10]。身内の訃報を宮中で聞いた内掌典は「穢れ」となるので、着ていた着物などは全て処分しなければならないという[10]。そして、女性特有の出産や月経も、神道においては「穢れ」である。月経は「まけ」と呼ばれ、最も穢れた状態とみなされる[10]。

さて、天皇は「祭祀王」であり、歴史的に見るとその最も重要な務めは神事であったとされる。しかし、女性であるがゆえの「穢れ」が定期的に生じるのを避けられないがために、江戸時代の女帝たちは、天皇の本質的部分である祭祀を、不安定、不十分な形でしかおこなえなかった[11]。

女帝に「御障り」がある際には、代行できるものは摂政や神祇伯が代行した[12]。しかし、天皇自身がおこなわねばならない祭祀は中止された。明正天皇は、在位中に四方拝や小朝拝をおこなわなかった[12]。後桜町天皇は、四方拝にも新嘗祭にも出御しなかった[11]。後桜町天皇の大嘗祭は、当日が「御障り」になった際には後日おこなうという二段構えの計画が立てられた[11]。

こうした事情を踏まえると、仮に(皇室典範を改正して)女性天皇が今後実現した場合、日本国憲法に規定される象徴としての世俗的な公務については何ら問題なく果たせるであろうが、伝統的な宮中祭祀に関しては問題が生じることが予想される。代理による執り行いが不可能な祭祀は延期・中止にせざるをえず、代理による執り行いが可能な祭祀とて完全に委任することはできない。実例として、昭和天皇は大正時代後期(当時:皇太子裕仁親王、1921年 - 1926年)に摂政として代拝をおこなったが、「天皇同様の祭祀行為はできず、新嘗祭では供物奉納までしかできなかった」という[13]。


大国主の豊葦原の瑞穂の国はここだった?

(注2)万葉集研究家の渡辺康則氏の「聖徳太子は天皇だった」(大空出版)を参照。

(注3)出雲大社・御朱印のホームページのURLを書けませんでした。
キーワード「出雲大社に龍神」で検索してください。

出雲大社-御朱印.jinja-tera-gosyuin-meguri.com/...
出雲大社に龍神と蛇神が祀られていた?!「龍と蛇の秘密・謎と由来・意味・歴史 」11月(旧暦では10月)は出雲大社の最大の行事であり、最大のイベントがあります。その最大のイベントとは、何かお判りになりますでしょうか?ちょっと考えてみてください。


(注4)以下の話はすでに古代史のカギを握る神々の正体?で述べました。

佐田神社の祭神が武内宿禰・素盞鳴尊・大山祇命とあります。同じ神社名の出雲国二之宮佐太神社では猿田彦他十二柱を祀っています。

実は、室町時代にまとめられた「佐陀大社縁起」によると佐陀大社で神在祭が行われていたとあります。そして異国から来た二匹の龍の夫婦を祀っていたとありました。(2020.9.14 縁起には蛇と書いていますが、龍のことです。)

すでに、大国主はトビヘビだった(^◇^)で述べたとおり、出雲における龍蛇信仰の起源のような場所なのです(注3)。二匹の龍の夫婦は大国主狗古智卑狗と女王台与であり、なぜ、ヤマトの大王を天皇としたのか?( ^)o(^ )で紹介した中国神話の人面蛇体の伏羲・女媧と一致します。伏羲は三皇の最初に出てくる天皇です。天照大神尊ニギハヤヒも大国主狗古智卑狗もどちらも天皇伏羲の末裔の奴(ナーガ)国王族ということでした。



前述のとおり、日本での最初の龍蛇神(ナーガ神)は吉武高木遺跡に降臨した天御中主だということもすでに述べました。中大兄でも述べましたが、「中」は那珂、那賀などと書かれ、ナーガ神(龍蛇神)を意味するのです。出雲は越人の文化が残っている場所で、トビと呼ばれる龍蛇神大国主が佐太神社の祭神サルタヒコのことなのです。


通説と違うので、いろいろと疑問点をお寄せください(^◇^)
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