リスナーのみんなへひかりです
いつもたくさんの応援ありがとうございます
今日はみんなに伝えたいことがあるのでお話したいと思います
長くなりますが最後まで読んでいただけたら嬉しいです。
今、配信を始めてから半年経って、S帯まで連れて行ってもらえて専属ライバーになることができてこの数ヶ月は目まぐるしい変化だったように思います。
そして、今月いっぱいでずっと続けてきたOLのお仕事を卒業して芸能のお仕事をしていこうと思います
私が今日まで半年間OLしながらも、毎日配信し続けた経緯について、そして、これから目指す夢のことについて話したいと思います。
私は配信ではちょくちょくお話したことがあったのでうっすら話しを聞いたリスナーさんもいらっしゃるかと思いますが
遡ること昔に戻ります。
幼少期の私はというと、教育熱心な家庭だったので学校も大学までのエスカレーターで習い事なども自分で決めたことがありませんでした
小さい頃から受験などの競争社会で生きてきて、様々な期待やプレッシャーが常にあったので自分の好きなもの、やりたいこともなかったんです
なかったというより、ただ目の前に出されたこと、用意された環境や期待に頑張って応えて生きていました。
自分が好きなこと、やりたいことではなくて、両親や先生、大人が偉いって褒めてくれる生き方を選んで全て選択してきたんです。
なので、常に周りからの評価が自分の価値だと小さい頃から思っていました。
そこから周りの目を気にする生き方をずっとしていました。
当時はコンプレックだらけで自分のことが大嫌いでした。
過程ではなくて結果が全てという教えが小さい頃の私にとって辛かったですね
もちろんこのような環境に置かれたことに感謝の気持ちなのですが、当時の幼少期は
【自分ではない誰か】
を生きているような気がしていました。
そんなこんなで中高の時にストレスから病気になりました。ここが人生の転換期でした。
5年間くらいでしょうか。
今ではそんなに分からないかもしれませんが顔から全身目に見て分かる疾患だったので将来、人前に出ること、就職することも全て諦めてました。
私の顔を見て、見知らぬ人から可哀想だと言われることも何度も経験しました。
私が配信で
『優しい人なら年齢も見た目も何も気にしない。みんなひかり枠はウェルカムよ』
と言い続けるのもこの時の昔のこの時の想いがあるからです。。
嘘のように思うかもしれませんが、大人になった今でもこの過去のトラウマがあるので自分の顔を大きな鏡で見ることができません。
人の目を気にして外に出られなかったこと、電車に乗るのさえ拒んだ時もありました。
そんな日々だったので未来に何も希望がなかったんです。
ただただ毎日1日を生きることに必死だった数年間がありました。生きることを諦めて、何度も助けられたそんな日がありました。
そんな日々を過ごす中、当時私は入院しており寝たきり状態でした。その時に横になりながら動画でたまたま観てたアイドルにはまってその後、私にとって生きがいになりました。
自分より少し年上の女の子がキラキラ画面越しに歌って踊っていました。
未来に希望がなかった、生きる希望がなかった私を画面の向こう側の世界で輝いている女の子が救ってくれたんです。。
↓高校生の時の私🤣若い。笑
AKBの佐藤亜美菜ちゃんが好きでした。
アイドルの女の子が頑張ってる姿を見て、どんな状態になっても毎日1日1日を頑張って生きよう、と思えたんですね
その頃からいつか必ず元気になって、アイドルになりたいと夢を持つようになってました。
その夢ができてからどんなに辛い治療も心身の痛みも和らいでいったんです。
少しずつ体調が良くなってきた大学生の頃アイドルになりたかったのでオーディション色々受けたりしてました。
ただ、両親が厳しかったので説得が難しく、チャンスがやってきたことがあっても白紙になったことも何度もありました。
実家にいるうちには難しいと諦めましたが
それでも諦められなかったんです。
ただ見えない未来に希望を持って、大学生の頃に夢に繋がることをしたいと思って内緒でバーのシンガー枠、仮歌の音楽事務所に登録してお仕事をしていました。
実は私が懐メロを少し知っていたのもこのお店のマスターが若い頃に元歌手をしていて私の声に合う歌を教えてもらっていました。
私が聖子ちゃんの歌をよくBGMで流しているのはこの時に教えてもらっていた思い出深い曲だからでした。
自分が歌うことで誰かを喜ばせられた時に
【自分という存在で生まれてよかった】
そう思える瞬間でその時間がかけがえのなく楽しい時間でした。
唯一本当の自分になれるような気がするひとときでした。
なりたい夢と全く別ではありましたが、世間や周りの評価を気にして就職活動を頑張ってなんとか就職しました。本当は一人暮らしをしたいという口実で就職しただけでした。。
晴れて社会人になりましたが、本来目指していたこと、やりたかったこととは違うことに耐えきれず2ヶ月で辞めてしまいました。。
この時ももちろん辛かったのですが、肉体的、精神的に大変だった頃の過去を比べると健康上の悩みなのでなんとか耐えられました。
この頃からこのままぼんやりと時間が過ぎたらきっと人生を後悔するであろうと思い始めました。
ふと気づくとなりたかったアイドルの年齢制限はギリギリになってました。
ただ、社会人になって敷かれたレール、守られた環境の生き方から外れたことで世の中の様々なギャップ、社会の壁、様々な人がいることを思い知りました。。
ですが自分を生きると決めたことから、
今できることを一つ一つ頑張るしかないと思いました。
その後転職し、日中OLしながら終わった後に歌のお仕事を平日両立していました。隙間時間にオーディションを受けたりしてました。。
私が配信でギャグのように言っていたことを覚えていた方がいるかもしれません
36秒で制服を着替える、会社の飲み会の全てを断っていたのも全部これが理由でした。
限られている人生、いつ何が起こるか分からない時間を自分の一番大切なものに使いたかったのです。私にとってそれが夢を実現することでした
ただ、チャンスが巡ってくることは少なく諦めかけていた時に芸能事務所に声かけられて、ライブ配信の紹介をされました。
それが、私がライブ配信との出会いでした。
何か芸能のお仕事のチャンスを増やせるのでとりあえずやってみたのが最初でした。
何かきっかけに繋がるかもしれないという希望からライブ配信に挑戦してみました。
最初は人見知りで緊張して、うまく話せなかったことを覚えています。私は内気な性格だったんです。
最初はリスナーさんもくるはずがなく、ひたすら耐えてました。ただ、固定時間で毎日毎日とりあえず毎日同じ時間に配信し続けたら少しずつ来てくれる人が増えていきました。
ただ、私は特に取り柄もないので雑談だけでリスナーさんを楽しませる自信がありませんでした。
その時に思いついたのが大好きな歌と、少しだけ知っていた懐メロでした。
よく来てくれるリスナーさんのターゲット年齢層を絞って、この曲聴きたいというものを毎日メモし続けて覚えました。
今歌える90%の曲はリスナーさんが教えてくださった曲です。
ただ私の場合日中OLしていたので、
常に時間との戦いでした。
配信時間が取れない、おしのびができない、リス活ができないということですごく悩みました。
ただ、歌は通勤中や休憩中に覚えられるので助かりました。
一人でも二人でも増えたらという想いから
5時半に起きて朝の出勤前のおしのび30分、
休憩時間に星特典の色紙とメッセージを書いて通勤時間や買い物中にイヤホンで歌を覚えること、
帰宅後の1時間を夕飯と明日のお弁当を作ることを兼ねてお料理配信という名のおしのび配信の後に通常配信。
歌のお仕事がある時は日中OLの仕事終わりに走って移動場所から配信してそのあと日付が変わって帰宅
という3つの仕事のルーティンを半年以上毎日続けてきました。どんなに眠くても疲れても毎日頑張れたのは諦めたくなかったからだと思います。
いつかを必ず現実にするという気持ちでした。
私は決して順調にここまで上がってきたわけではないです。。自分の取り柄も少ないです。リスナーさんに伝えたり何かをお願いすることも苦手です。
そして、今まで歌のお仕事してたのを隠していたのも自分で歌が上手いと思ってるわけではないからです。
ただ、私の声が好きだと言って下さるリスナーさんがいることが嬉しかったんです。
それは顔や声や歌も同じです。
人それぞれの好みであると思ってます。
もちろん配信していると色々なコメントが飛び交います。時に心ないコメントで落ち込むこともあります。
それでも私のどこかの部分を気に入ってくれて、好きでいてくれるリスナーさんがいること、毎日支えてくれるリスナーさん、優しい言葉をかけてくれるリスナーさんの顔を思い出すと疲れも嫌なことがあっても忘れられるんです
上に上がるのがひかりちゃんの性格だときっと厳しいと聞くことがすごく悔しかったんです。
社会の厳しさを知り、会社での大変だった(ほうれん草上司のこと)ことすべて受け入れて割り切って耐えられたのは目標があったからでした。
その時の目標はライバーとして事務所の専属になること、Sに達成することにひたすら夢中でした。
それが達成した今次のステップに進みたい想いが日に日に強くなって、頑張りたい気持ちがすごくあるんです。
今の夢は芸能界で活躍するライバータレントになることです
大好きな歌を歌うこと、たくさんの人を笑顔をすること、ライブ配信の魅力を伝えたりメディアに出て、マルチに活躍できる人になりたいです。
(鴨南蛮を食べてる姿の写真集も出すのが夢です)
諦めていた夢をもう一度力に変えてくれたのも、この素敵なリスナーさんに出会えたのもライブ配信をしていたからです。
ライブ配信で培った力をもっと羽を伸ばして活躍できるチャンスを増やしたいと思っています。
そのためにトップまで上がりたいです。
私の夢を応援してくれる方を今後たくさん増やしていけたらと思っています。
私をここまで繋いで背中を押して下さったリスナーのみんなには感謝の気持ちでいっぱいです。
ただ、その先の景色を応援してくれているみなさんと一緒に見たいんです。昔の私がずっと憧れていた世界に入れるなら自分のできる精一杯の努力をします。
なので、これからもずっと見守っててくれたら嬉しいです。自分から自分のことを応援してくださいと言うのは本当に苦手です。。
私は毎日生きることが当たり前でなかった日々からしたら毎日幸せです。ただ、欲を言えば一度きりの人生で諦めた夢をもう一度叶えたいんです。
こんな私ですが、
もしよかったら応援してください。
↓入院中に必死に看病してくれた、姉。
『この先どんなに辛いことが何があっても生きる、幸せになる』
そう5年前に約束した姉です。姉がいたので今私は生きてます命の恩人です。感謝の気持ちでいっぱいです。
そして、みんなに報告があります
来週6月19日〜23日に開催するこちらのイベントに参加したいと思います
実は父の誕生日が近いことがあり、仕事で父がゆかりのある北海道の木製カップを父のお誕生日プレゼントにプレゼントできたらいいなと思ってます。
専属になることができたこと、大変だった時に何度も反抗してしまった私をこれまで育ててくれた感謝の気持ちを伝えたいと思います。
また、私のお気に入りのギャグのパンパンパンプキンポタージュをゲットして配信でみんなと一緒に味わいながら喜びを共有できたら嬉しいです。
イベント、ひかり枠のみんなと一緒に楽しみながらできたら嬉しいです