料理ノート(仮)は思い出づくりではない

料理ノート(仮)はすっかり習慣になっている。セブンで写真をプリントアウトするのにも慣れた。Wi-Fiでデータを送信するのに妙に時間がかかることがあるので、おうちプリントに変えるかもだけれど、今のところはセブンで。

 

しかし、献立を考えるのが相変わらずしんどい。色々考えた末に「いつもの○○」になってしまう。この、「いつもの」「また」っていうフレーズがよく浮かんでしまうのだけれど、実際同じ献立をどのくらいの頻度でやっているのかを客観的に観たことはない。

 

料理ノート(仮)を作っていけば、そういうことも可視化できてスッキリしそう。

 

夜、ottoにこれまでかいた料理ノート(仮)を見せたら、楽しそうに感心して見ていたのだけれど、その後に言った言葉が

「いい思い出になるね」。

 

うむ。

私は思い出づくりでこれをやってるんじゃなく、結構切実な思いで始めたのだが。

これは毎日料理を作って人に食べさせている人にしか分からないのかもしれない。自分も実家にいる時には料理することがこんなに大変だなんて考えたこともなかった。

 

形に残らないお給料が発生するわけでもない家事っていう仕事。料理っていう仕事。

どうやら私はするするっとこなせる人ではない。

 

(もしかしたら、私は料理を初めてやったのが家庭ではなく「仕事」で、だった影響もある・・・?)

 

一人暮らしでの家事や料理は、自分ひとりだけの事なので、全く負担にならなかった。これが、2人分になるだけで、こんなに重さが違ってくるとはなぁ。

 

もちろん、喜びもあるんだけど。ottoは私の料理は最高だと言ってくれるし、概ね美味しそうに食べてくれるので作り甲斐もある。

それでも、なんだよね。

 

 

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意外とこういう料理がいちばん美味しそうに映る・・・