修善寺から土肥金山にまっすぐ向かうのでもよかったのですが、夫の思い出の戸田を経由することにしました。
戸田と書いて「へだ」と読み、伊豆半島の西海岸にあります。
夫は3歳のときにお父さんが亡くなり、お母さんもそのあとすぐ訳あって去ってしまい、3歳で両親ともにいなくなってしまいました。
叔母に育てられた彼は、去ったお母さんのことを悪く聞かされていましたが、30数年後にお母さんと劇的な再開をします。
その時になぜ彼のもとを去ったのか、本当の理由も知ることができました。
その時お母さんが住んでいたのが戸田。
当時戸田を何度も訪れたそうですが、その後お母さんも亡くなってしまい、さらに30年ぐらいの年月が流れ、今となっては戸田に行っても思い出の地がどこなのかもわからない。
それでも、彼が戸田に行ってみたそうだったので、戸田を目指して車を走らせました。
戸田港は静かな漁港でした。
夫は記憶の中の戸田を見つけることはできなかったものの、来てよかったと言いながら、海岸沿いに南下し土肥金山までドライブしました。
土肥金山は、江戸時代には佐渡欽金山に次ぐ生産量を誇った、伊豆最大の金山(伊豆には金山がたくさんあったようです)。
人の手で掘り進めて、金鉱石を掘り出し、その石を砕いてすりつぶし、その後さまざまな工程を経て金を抽出する様子も展示されていました。
坑内は細く天井が低かったのですが、昔の日本人は背が低いからこれくらいで良かったのかもしれません。
私は洞窟好きで、訪れた地に鍾乳洞があれば絶対行きます。
だからここ、土肥金山もとても楽しかったです。
坑道を出たところに、こんなものが展示してありましたよ。
ケースの横に手だけが入れられる穴が開いていて、もちろん私も触ってみました(笑)。
まあ、触ったからご利益があるってもんでもないでしょうけどね。
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