知識と技術で教える演技講師タツミです!
才能がなきゃプロになんてなれないでしょ!
僕はそう考えている、あなたに向けてこの記事を書いています。
「才能がない」「センスがない」と声優の道、俳優の道を諦めてしまった仲間を数多くみてきました。
僕から見たら「素晴らしい才能」を持っているように見える人も同じの理由でやめていきました。
この記事を読めば、あなたが演技を学ぶ上で何を意識すれば良いかがわかり、「才能」「センス」についての間違った認識を変えることができます。
あなたが望んでいるプロの声優という道を少しでも進みやすくなるように、是非一度読んで見てください。
演技に才能はいらないってどういうこと?
実は、ツイッターで回答している質問箱にこんな質問をいただきました。
タツミさんの仰る演技に才能はいらないことについて語れるだけ語ってください。
というご質問でした。
質問というか要望ですね。
質問箱にも長文回答したのですが、それに加筆修正する形で、今回ブログとして書かせていただきます。
この記事で書いていることは、僕が実際に感じていること、思っていることであり、自分が演技指導するにあたって一番意識していることでもあります。
あなたがもし「演技の才能がないのではないか」と悩んでいるのであれば、参考になるのではないでしょうか。
才能やセンスという言葉の意味すること
「才能」「センス」という言葉には、先天的な能力で、「後から身につけることができないもの」という意味合いが強く見られる言葉です。
「特に学んだこともないのに、スムーズにできる」という場面を見ると
「才能がある!」
「センスがいい」
などと言われることがあるでしょう。
それを人は才能だとか、センスだとかと呼びます。
誰しもがそういうものに憧れることもあるでしょう。
では、演技にそういう意味での「才能」や「センス」は必要でしょうか?
もちろん、あるに越したことはないかもしれません。
ですが、それがなければ絶対に演技はできないのでしょうか?
答えはNOです。
そういう意味で僕は「演技に才能はいらない」と伝えています。
演技は「演じる技術」と書きます。
つまり、技術が身につけられさえすれば、演技は誰にでもできるのです。
才能やセンスがなくても活躍できる
例えば、サッカー日本代表の本田圭佑選手ことはご存知ですか?
サッカーの最高峰とも言われるセリエAの名門ACミランで10番を背負ってプレイしていたこともある有名な選手です。
彼は小学生のころから「セリエAで10番」と将来の夢の作文に書いていたことは有名です。
さて、彼は今でこそ世界的なプレイヤーですが、当初から「天才」「神童」ともてはやされていたのでしょうか?
いいえ、彼はガンバ大阪のジュニアユースチームに所属していましたが、ユースに上がることができませんでした。
サッカー選手のエリート街道ではなく、地道な努力であの地位まで上り詰めたのです。
将来の夢には、彼はこう書いています。
「僕はヘタだから、世界一になるには、世界一練習しないとダメ」
そして、インタビューでは
「俺なんて全然天才タイプじゃないし。
それで才能がないから諦めろなんて言われたらどれだけの人が一瞬で諦めなきゃあかんねん」
という言葉も残しています。
彼は才能やセンスではなく、たゆまぬ努力でプロになったのです。
演技は特別なものではない
演技をするということは、別に特別なことではありません。
例えば、日常生活の中で誰でも「演技」をしています。
好きな人の前では
・かっこよく見られたい
・可愛く見られたい
という意識が働いて、いつも以上によく見せようとすることもある種の演技です。
演技をするのに特別なことは何もありません。
「演技は日常の延長」です。
つまり、普段の生活で行なっていることを演技で行えれば、それで良いのです。
そこに演技の基本があります。
日常生活をちゃんと生きていること。
そこに特別な才能などいりません。
生きていくのに特別なセンスなどいりません。
僕が演技に才能はいらないと言い切る理由
僕が「才能はいらない」という言葉を使う理由は
「俺には才能がないから」
「センスがないと無理なんだ」
と諦めてしまう人が多くいるためです。
そういう人たちは「才能」や「センス」という言葉を免罪符にでもするかのように「諦める言葉」として選択します。
本人からしたらそれで良いかもしれませんが、僕自身「才能がない」「センスがない」「諦めろ」と言われてきた人間ですから、そうやって諦めていく人を放っておけないのです。
才能やセンスがなくても、知識と技術があれば、誰でも演技ができるのです。
それは僕が身をもって知っています。
なぜそうなるのかを知り、どうしたらそうできるかという技術を身につければ、才能やセンスがなくても、カバーできるのです。
だから僕は「知識と技術」に頼るべきで、「才能やセンス」はいらないといっています。
センスは知識でカバーできる
「センス=知識」です。
センスでわからなくても、知識で理解できればよいのです。
そして、その知識を実行するだけの技術があればよいのです。
例えば、色彩コーディネーターの仕事をしている方がいるとします。
ある人は色彩感覚に優れていて、特に難しい勉強はしませんでした。
ですが、彼が直感で色を選ぶとそれが見事にハマり、そのセンスを褒められるのです。
別のある人は色に関する知識をしっかり勉強して身につけました。
センスがなくても、色の組み合わせによって得られる効果や、状況に合わせた色の心理的効果など、知識を総動員して色を選んびます。
それがハマって素晴らしい出来栄えなのであれば、一緒なのです。
それは一朝一夕でうまくいくものではありません。
努力は必要です。
本田圭佑も、ヘタだと認めた上で努力して世界的プレイヤーになりました。
知識だけ詰め込んだ「評論家」は演技できません。
演技をするには、知識を技術へと昇華するまで努力はしなくてはなりません。
「才能はいらない」ということは、「知識と技術を使って、努力でカバーする」
ということでもあります。
僕はそうやって役者を続けてきました。
多くの人が感覚で行なっている演技を、なるべく知識として共有できる形に組み立て、それをレッスンでお伝えしています。
知識を得れば、理解できます。
知識を組み合わせれば、考えることができます。
知識を得るということは、視野を広げるということでもあるし、
別の視点から考えるということでもあります。
そこまでできれば「評論家」にはなれます。
演出をすることもできるかもしれません。
ですが、演技では「技術」としてその知識を使いこなす必要があります。
技術は努力して、努力して、努力して身につけるものです。
一朝一夕で身につけた「つもり」になっている技術は、すぐに錆びつきます。
磨いて磨いて磨き続けることで、技術の精度も、練度も上がっていきます。
技術を身につけるには努力が必要です。
その技術を高めていくためにも努力が必要です。
それはガムシャラな努力ではなく、きちんと計算された、正しい方向性の努力が必要です。
そうやって技術を身につけ、技術の精度と練度を上げていくことで、「才能」や「センス」に頼らず、演技ができるようになります。
それが僕の目指しているところであり、指導の根幹としている理念でもあります。
誰でも演技はできます。
才能やセンスはいりません。
ただし、正しい努力をきちんと継続できる人に限ります。
それが僕の考えです。
僕のレッスンに興味がある方は、
グループレッスンの体験にいらしてください。