眠れない夜の言葉遊び

折句、短歌、言葉遊び、アクロスティック、夢小説

詰将棋反省会

2020-09-26 07:52:00 | 将棋の時間
「詰将棋を終わらせるには」

 詰将棋は解いて終わらせるのが望ましい。しかし、わからない問題を眺めていると、頭痛がするという時もあるだろう。だんだんと嫌になってきたり、自分の無力さを呪いたくなったりもする。
 事が渋滞した時間を、そう悲観する必要はない。「問題」は決して人類の敵ではない。問題があるということは、そこに時間があるということだ。「無」が広がっていること思えば、希望だってある。
 解くよりもあきらめた方が早く終わると考えることもあるだろう。だいたいの場合、途中でやめた方が物事は早く終わる。しかし、それでは何事からも達成感が得られない。始めたからには、作者が用意したゴールにたどり着くことが理想と言える。
 すぐに解けないとしてもそう焦る必要はない。詰将棋は実戦と違い、相手からこちらの玉を詰まされるということはないのだ。どれほど熟考しようと、問題図はいつまでもじっと待っていてくれるのである。


「詰将棋は解いて終わりではない」

 詰将棋が解けた時には爽快感が得られる。
「さあ次だ」いい気分で次に進みたい気持ちは理解できる。しかし、詰将棋を解いた後にも、実は上達のヒントは残されているのだ。
「詰将棋に無駄駒はない」
 それを思い出して初形の配置と正解手順を見直してみよう。
 気になる駒はなかったか?
 作家でもなければすべてを検証しなくてもいい。気になった1つの駒に着目して考えてみる。詰みに直接的に関わらなかったようだけど、もしもこの歩がなかったら……。そうして研究してみると、歩1枚も重要な変化に関与しており、歩がない形では不詰めになることがわかる。(解いたことに満足して次の問題に進んでいたら、見過ごしていた発見)
 このような学習/発見も詰将棋/終盤の力となり、次回は似たような図式を見た時に、1つの歩の存在に着目してそこから詰み筋を類推することができるようになる。複雑に見える駒の配置にもパターンがあり、多くの図式を経験する内に、この形はこうだという急所/狙い筋が見えるようになってくる。
 一度解いた問題も、忘れた頃に再度解いてみるといい。前よりも解くスピードが速くなっていれば、学習が身についている証拠だ。









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