「ある」というより「ない」という価値を考えないと人生は幸せになれない?

今日の日経新聞に故人と会話出来るデジタル空間に再現された「デジタルツイン」というのが書かれていました。昔でいうイタコみたいなものに思えますが、全く違うもので、生前の故人のデータを集め、話しぶりをAIで再現するのだそう。これが技術が進めば人格が意思を示すことが可能性としてあるという。何て空恐ろしい。

 

これをブラホスさんという方が創業したヒアアフターという会社がやっていて500人以上が予約を取ったそう。AIの時代はこういうことが起きる。ここで思ったのは価値とは何であろうか?ということです。今の時代は「ある」ことに価値を置きすぎではないでしょうか?私には「ない」ということに価値があると思っています。

 

「ない」または「なくなる」、そこに感性がしびれるように反応するのです。物、人、時間。これらに「ある」ということだけに着目するだなんてナンセンスで、「ない」から「ある」が際立つのです。今はデジタルで何でも出来る空間があります。そこにデジタル依存に陥るととんでもないことになるのではないかと危惧します。

 

その記事にはDNAデータで結婚相手を診断し、相性が悪ければ即離婚、または出会いすら操作するということも書いてあります。ただ間違いのない人生は偶然の出会いや発見もなく、計算された人生は本当に幸せか?と警鐘をならしています。私は幸せには思いません。ここにも決められた人生という「ある」があります。私には決められてない人生「ない」でもって人生を生きたいと思います。