吹替
ずーっと一緒に映画観てたのに
ていうか、まだまだあなたたちの観たい映画に喜んでついて行くつもりだったのだから
当然一緒に観るもんだと思ってた映画、
子供たちに振られてしまってしょっくな人Σ( ̄ロ ̄lll)
え!誰も行かないの!
あっさりそんな日が来るんだなあ。。。
じゃあね
1人で気ままに
自由に観よう
つい習慣で吹替、選んでて苦笑い(笑)
やだもー
字幕でいいんじゃーん
って内心笑いながら
字幕選んで
(この映画館の発券はタッチパネル)
しばし思案ののち。。。
結局、吹替に戻しちゃった
あと何回、 “吹替” で観れるかわかんないんだもんなあって
そんなこと思ってたら寂しさに苛まれて苦しくなっちゃったりして(笑)
自由が嬉しくないわけじゃないんだけど、
寂しいな
自由が増えてくことが、こんな風に少しだけ切ないなんて
上映時間の少し前に、
『海』からLINE、来たから。
これから映画観るから返事出来ないよ~、伝えたら、
「〇〇で観てるの?」
(〇〇は彼の勤務地)
ほんとは迷ったんだよね、〇〇で観ること。
ひとりで観るの寂しい。
どうせ自由なら、
『海』と観れたら、なんて、思わないわけない。
でも、彼は家族で観るはず間違いなく。
「☆☆で観たの」
「こっち来れば良かったのに~」って言うけどさ
「『◇◇』観たの?」って言うからさ
「俺も観たんだよ~」って言うからさ
やっぱりそうだよねって思って
〇〇に行かなくて良かった
「そしたら少し逢えたのに」って言うけどさ
私の寂しかった土日に私が寂しく観た映画、
家族で観てたんだって
思ったら、複雑、限りない。
吹替か字幕か、
なんて些細な、
ことで簡単に、
複雑に陥るって
覚悟しなきゃあ