風天道人の詩歌、歴史を酒の肴に

短歌や俳句の鑑賞を楽しみ、歴史上のエピソード等を楽しみます。
比べて面白い 比べて響き合う 比べて新しい発見がある

西郷隆盛(映画用脚本)

2020年05月22日 | 歴史

暇なので、映画用の脚本を書いてみました。

今まで、脚本なんて書いたこともありません。

そんな素人が書いた作品ですが、御用とお急ぎのない方は、どうぞお付き合いください。

原作は、芥川龍之介です。

主人公の老紳士は北大路欣也、本間さんは神木隆之介、ナレーターは小日向文世。

そうそう、食堂車に居合わせた芸者は、吉田洋が友情出演ということで。

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西郷隆盛

 

明治末、三月下旬 

 

七条の停車場(京都駅)

神戸発の最急行(D12形蒸気機関車→後の国鉄6400形蒸気機関車)

午後九時頃京都ステーション着を待つ人々。

独りの帝大生(和服の制服、角帽姿)が窮屈そうにその中にいる。

列車が到着する。

二等列車は身動きができないほどの混雑。

駅員がやっと空席を見つけてくれて着席。

隣席、酒臭い陸軍将校。

前席は、眠りながら歯ぎしりする令夫人。

 

ナレーター「このお話は本間さんの西郷隆盛と言って、当時の帝大生の間では有名だったそうです。 本間さんが春期休暇中に独りで、

維新前後の史料を研究かたがた京都旅行の帰りに乗車した汽車の中から物語は始まります。」

本間は、取り合えずほっと一息つくが、周囲の状況にいたたまらず食堂車へ移動。

食堂車は客が一人しかいない。

本間は、客が座っている席から一番遠い席に座る。

白ワインを一杯注文。

不愛想なウエイタアが白葡萄酒を持ってくる。

本間さんは白ワインをちょっと飲むと煙草(エジプト産紙巻き煙草 M.C.C.)を取り出す。

煙草の煙が小さな青い輪を重ねて明るい電灯の中へのぼって行く。

本間はテーブルの下に長々と足を伸ばす。

始めて楽に息がつけるような心持。

車窓から外を覗く。激しい雨が窓をたたいている。

車内に目を転じる。

白いテーブル・クロスの上に行儀よく並んでいる皿やコップが一斉に滑り出しそうに感じる。花瓶に菜の花の一輪挿し。

物に脅かされたように眼をあげて食堂車の中を見回す。

 

向こうのテーブルに肘をついてウィスキーの杯を嘗めているたった一人の客(白髪まじりの老紳士、口髭(ちょび髭)をたくわえている)。

古びた安物の洋服。低い詰襟。黒いネクタイ。チョッキの胸に懐中時計の銀鎖が見える。

 

その老紳士を見て、本間さんはどこかで見たことがあるようで驚く。

老紳士汽車の揺れに抵抗しながら歩いてきて、本間さんの席の向かいに無造作に座る。

 

老紳士「やあ、失敬」

本間は、意味のない笑いを浮かべながら、ちょっと頭を下げる。

老紳士「君は僕を知っていますか。なに知らない。知らなければ知らないでよろしい。君は大学生でしょう。

しかも文科大学だ。僕も君と似たような商売をしている人間です。何です、君の専門は。」

本間「史学科です。」

老紳士「ドクター・ジョンソン曰く、歴史家は事実を並べたてた年鑑を作る人にすぎない、とね。」

老紳士は、首を後ろへ反らせながら、大きな声で笑いだす。

 

本間さんはただ微笑みながら、相手の身の回りを注意深く観察する。

老紳士「君が特に研究しようとしているのは、何ですか。」

本間「維新史です。」

老紳士「すると卒業論文の題目も、やはりその範囲内にある訳ですね。」

本間、白葡萄酒にちょっと口をつける。

本間「西南戦争を問題にするつもりです。」

 

老紳士、体を後方に捻じ曲げ、大きな声で

「お~い、ウィスキーを一杯。」

 

老紳士、体の向きを直す。

老紳士「西南戦争ですか。それは面白い。僕も叔父があの時賊軍に加わって、討ち死をしたから少しは

事実の穿鑿をしたことがある。あの戦争に就いては間違って伝えられたことが沢山あって、その間違い、

誤伝ですな、その誤伝が立派な正史として通っています。だから余程資料の取捨選択をしないと、思い

もよらない誤謬を犯すような事になる。君も第一にそこに気をつけた方が好いでしょう。」

 

ウェイターがウィスキーと水を持ってくる。

老紳士は、そのウィスキーで喉を潤すと、ポケットから瀬戸物のパイプを出して、それに煙草をつめる。

 

本間、意を決したように発言する。

本間「しかし私には、現在流布している史料に、おっしゃるほど警戒する必要があるとは思えませんが。

あなたはどういう理由で、そうお考えになるのですか。」

老紳士「理由?理由はないが、事実がある。僕は唯西南戦争の史料を綿密に調べて見た。そうしてその中

から、多くの誤伝を発見した。それだけです。」

本間、むっとする。

本間「では一つ、そのご発見になった事実を伺いたいものですね。」

老紳士、パイプを咥えたまま、しばらく口をつぐむ。

そして、徐に

老紳士「政治上の差し障りがさえなければ、僕も喜んで話しますが、万一秘密の洩れたことが山県公爵に

でも知れて見給え。それこそ僕一人の迷惑ではありませんからね。」

老紳士、本間の顔を探るような目つきで眺める。

そして、残っているウィスキーをぐいっと飲み干す。

 

「もし君が他言しないいう約束さえすれば、その中の一つ位は洩らしてあげましょう。」

本間「では他言しませんから、その事実というのを伺わせてください。」

老紳士「よろしい。」

老紳士、一しきり濃い煙をパイプからあげながら、じっと本間の顔をみる。

 

老紳士「では、一番大きな誤伝を話しましょう。それは、西郷隆盛は城山の戦いでは死なな

かったということです。」

本間、笑いがこみ上げてくる。その笑いを紛らわせる為に、新しい煙草に火をつける。

本間、強いて真面目な声で

「そうですか。」

老紳士「しかもあの時、城山で死ななかったばかりではない。西郷隆盛は今も生きています。」

老紳士、昂然と本間を一瞥する。

 

本間「私が調べた限りでは、明治十年九月二十四日の城山の籠城戦で、西郷隆盛は島津応吉(しまつおうきち)

邸門前で 股と腹を敵弾に射抜かれると、負傷して駕籠に乗っていた別府晋介を顧みて『晋どん、晋どん、

もう、ここでよかろう』と言い、将士が跪いて見守る中、跪座し襟を正し、遙かに東方を拝礼した。

遙拝が終わり、切腹の用意が整うと、別府は『ごめんなったもんし」と叫ぶや、西郷を介錯した。』

ということが真相だとなっています。」

 

老紳士ニ、ヤッとして

「で、西郷どん(セゴドン)の首は?」

本間 驚いた表情で

「それは・・・、見つかっていないとのことですね。確かに、山野田・河野主一郎が、密かに西郷さん

の助命の為、政府軍へ出向き捕縛されていますね。だから、薩摩軍内に何とかして西郷さんだけには助

かって欲しいという者は大勢いたことでしょう。ですが二十二日に、西郷さんは『城山決死の檄』を起こ

し、河野主一郎、山野田一輔の両士を敵陣へ送ったのは、味方の、薩摩軍側ですね、決死を知らしめるこ

とが目的であり、『後世に恥辱を残さざる様、覚悟肝要に可有之候也(これあるべくそうろうなり)。』

と結んでします。状況証拠かもしれませんが、この檄を読めば、西郷隆盛が城山から逃れたなどと信じられないのですが。

 

老紳士「加治木常樹(かじきつねき)城山籠城調査筆記とか、市来四郎(いちきしろう)日記とかいうもの

の記事を間違いのない事実だとすれば、君の説は正しいでしょう。だから、そういう史料は始めから否定し

ている僕にとっては、君の名論も徹頭徹尾ナンセンスというよりほかはない。」

 

老紳士、またしてもニヤッとして

「それは西郷隆盛が僕と一緒に、今この汽車に乗っているということです。」

 

本間、狼狽して煙草を吸う。

本間「さあ、生きていると言われても、私が見たのでなければ信じられません。」

老紳士「見たのでなければ?」

本間「そうです。見たのでなければ。」

 

老紳士「同じ汽車に乗っているのだから、君さえ見ようと言えば、今でも見られますよ。尤も南洲先生

もう眠ってしまったかもしれないが、なにこの一つ前の一等室だから、無駄足をしても大した損ではない。」

老紳士は、パイプをポケットにしまいながら、来たまえという合図をすると、大儀そうに立ち上がる。

 

老紳士と本間は、一緒に一等室へと向かう。

 

一等室の鶯茶かかった腰掛と同じ色のカーテン。

そこに山のような白頭の肥大漢(西郷隆盛の相貌)が居眠りをしている。

本間、子供の頃から見慣れた西郷隆盛の相貌を目の前にしたため、大いに驚く。

老紳士に促されて、食堂車へと戻る。

 

食堂車の中ほどの席に、和服を着た紳士と芸者が座っている。

老紳士、本間、元居た奥の席に戻る。

 

老紳士「どうですね。これでもまだ、君は城山戦死説を主張しますか?」

本間は当惑して返事ができないで、もぞもぞしている。

 

老紳士「君の信じたがっている史料とは何か、それからまず考えて見給え。城山戦死説は暫く

問題外としても、凡そ歴史上の判断を下すに足る程、正確な資料などというものは、どこにだって

ありはしないのです。誰でもある事実の記録をする際には自然とディテールの取捨選択をしながら、

書いてゆく。これは、そうしないつもりでも、事実としてするのだから仕方がない。という意味は、

それだけもう客観的な事実から遠ざかるということです。」

 

本間、目を丸くして老紳士の言を聞いている。

老紳士「そこで、城山戦死説だが、あの記録にしても、疑いを挟む余地がある。成程、西郷隆盛が

明治十年九月二十四日の城山の戦で、死んだということだけはどの資料でも一致しています。

しかしそれは唯、西郷隆盛と信じられている人間が、死んだというに過ぎないのです。」

本間「しかしですね。西郷隆盛の死体は確かにあったのでしょう。そうすると・・・」

 

老紳士「似ている人間は、天下にいくらでもいます。右腕に古い刀傷があるとか何とかいうのも

一人に限った事ではない。首のない死体を西郷どん(セゴドン)ではないという異説も多々ある

わけです。疑えば疑えるはずです。

現に君は今この汽車の中で西郷どん(セゴドン)・・・と言いたくなければ、西郷どん(セゴドン)

に酷似した人間に遭った。それでも君は史料なるものの方が信じられますか。」

本間、俯いて考えこんでしまう。

 

老紳士「君は狄青(てきせい)が濃智高(のんちこう)の屍を検した話を知っていますか?」

本間「知りません。」

 

老紳士「宋の仁宗皇帝の時、濃存福(のんぞんふく)が反乱を起こした。宣撫使に任命された狄青は、

濃存福率いる反乱軍を大いに破った。濃存福軍は、広州から雲南省大理へと敗走した。

狄青は五十里を追いに追った。大理に入った時、敵の死体を見ると、中に金竜の衣(い)を着ているも

のがある。衆は皆これを 濃存福の息子である智高だと言ったが、狄青は独り聞かなかった。

『安(いずく)んぞその詐(いつわ)りあらざるを知らんや。寧ろ智高を失うとも、敢えて朝廷を誣(し)

いて功を貪らじ』

これは、道徳的に立派なばかりではない。真理に対する態度としても、望ましい言葉でしょう。

所が遺憾ながら、官軍を指揮した諸将軍は、これ程の思慮を欠いていた。そこで歴史までも『かも知れぬ』を

『である』に置き換えてしまったのです。」

 

本間「しかし、そんなによく似ている人間がいるでしょうか。」

老紳士、瀬戸物のパイプを口から離して、煙草の煙にむせながら、大きな声で笑いだす。

向かいのテーブルの芸者がわざわざふり返って、怪訝な顔をしながらこっちを見る。

老紳士は笑いやまない。

本間は、訳がわからないまま、白葡萄酒の杯を見ている。

老紳士「それはいます。・・・今君が向こうで居眠りをしているのを見たでしょう。あの男なぞは、あんなに

よく西郷隆盛に似ているではないですか。」

本間「ではあれは・・・・あの人は何なのですか。」

老紳士「あれですか。あれは僕の友人ですよ。本職は医者でかたわら南画を描く男ですが。」

本間「西郷隆盛ではないのですね。」

老紳士「もし気に障ったら、堪忍してくれ給え。僕は君があんまり青年らしい正直な考えを持っていたから、

ちょいと悪戯をする気になったんですよ。しかししたことは悪戯でも、言ったことは冗談ではないさ。」

 

老紳士、ポケットをさぐって、一枚の名刺を本間へ渡す。

老紳士「僕はこういう者です。」

本間、名刺を見て驚く。

本間「先生とは実際に夢にも思いませんでした。私こそいろいろ失礼なことを申し上げて、恐縮です。」

 

老紳士「いやさっきの城山戦死説なぞは中々傑作だった。君の卒業論文もあゝ言う調子なら面白いものが

できるでしょう。・・・まあ、ひとつ大いに飲み給え」

本間、白葡萄酒を勢いよく飲み干すし、窓に目をやる。

霙まじりの雨も小やみになっている。

和服姿の紳士と芸者が席を立ち、食堂車から立ち去る。

ガラスの花瓶に挿した菜の花が揺れる。

 

本間「先生はとても懐疑的なんですね。」

老紳士「ピルロン、古代ギリシアの懐疑派の元祖ですね。まあ僕はピルロンの弟子で沢山だ。」

老紳士、人懐っこそうな笑顔で本間を見つめる。

老紳士「我々は何も知らない、いやそういう自分自身のことさえも知らない。まして、西郷隆盛の生死おやです。

だから、僕は歴史書を書くにしても、嘘のない歴史なぞを書こうとは思わない。唯如何にもありそうな、美しい

歴史さえ書けばそれで満足する。積極的な主張を断念し何事が起ころうとも平静を保つことだけが幸福をもたらす。

僕にも、僕の本の読者にも。兎に角僕は懐疑派で沢山だ。君はそうは思いませんか?」

 

ナレーター「これで、本間さんの体験談はおわりです。本間さんは史学に携わる者の心得のレクチャーを受けたのか、

酔っぱらった学者の茶番に付き合わされたのか、どちらにしても風変わりな体験をさせてもらったことは確かなようです。

まさに、一期一会ですね、皆さんにもこんなことが訪れますように、では、さようなら」

 

夜明けに最急行が新橋駅に到着する。《終》

 



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