3月15日22:30 やや繁忙期気味の仕事を終えてコーヒーを飲みながら一息ついた。あと2週間ちょっとで後輩ができる。初心にかえって気合いをいれなくちゃな。
さて、今日の昼頃Twitterを見ていると中々に面白い投稿をみかけた。
肥和野 佳子@lalahearttwit@satoshi07qb あの写真は即消してください。馬にも基本的馬権あると思う。
2021年03月13日 15:59
一目見て、思った。「考え方は1ミリたりとも合わないけれど、とても興味深い!!」と。
まず、馬(に限らずその他の動物)にも人間と同様に一定権利を認めるべきだという考え方は存在しないではない。動物や植物にも感情があって、生命がある以上守るべきだという考え方はあっても良いと思う。その点について真っ向から否定しおちょくるつもりは全くない。
その上で、なぜ私がそのような立場を取らないのか。これは、単純で「なら、どこまで認めるべきなのか。」という議論に明確な答えを誰も出し得ないからだ。
人間ともっとも近いチンパンジーまでなのか。魚類はどうか。同じ水生でも哺乳類であるイルカはどうなのか。生命というなら、ミジンコにも認めるべきなのか。動かないけれど分類上刺胞動物であるサンゴならどうか。
このような問いを繰り返していったとき、多分、というか間違いなく「生命である以上、人間と同様に権利を認めるべきだ」という立場の中でも意見が分かれると思う。この時点で、議論する立場として破綻していると言ってよい。
一定の目安として「動物愛護法」の範囲内なら認めうる。という考え方もできる。上記の馬はもちろん犬や猫も含まれる辺り、共感する人も多いと思う。が!例えそうであったとしても、動物愛護法の適用範囲は「脊椎動物」が前提にある。「命として平等だから。」という理由で支持する立場の人ならば、残念ながら「脊椎動物」という範囲を前提としている時点で「平等」に疑義が生じるからやはり矛盾してきてしまうだろう。
こうしたことも一因(あくまで“一因"であって、勿論これ以外にも理由はある!)で、私は“人間”と“人間以外”に明確に線を引くことにしている。我々が“人間以外"を一定保全しなくてはならない理由は、“人間”が過去-現在-未来にわたって利用する為であって基本的馬権という馬の為ではない。というのが私の考え方なのだ。
と、ここまで書いて思った。そもそも、あの投稿をした人は“馬の為”を思って投稿したのかなぁ!
あ、炊飯器がなった。久々にアメブロを書いたら楽しいな。また、ちゃんと書こう(笑)