象が転んだ

たかがブロク、されどブロク

リーダーなき闘い、前編〜”今そこにある”香港デモに明日はあるのか?〜

2020年03月25日 05時22分21秒 | アジア系

 先日、NHKBSスペシャルで「市民が見た、香港“時代革命”」が放送されていた。意外な事だがとても懐かしく思えた。今は世界中が新型コロナ一色だから、あれ程までに暴動化し激化した香港デモですら、風化しそうな勢いでもあった。
 しかしこの番組を見て、パンデミックとまではいかないが、ある種の紛争と言ってもいいレベルだ。いやこれこそが立派な市民革命だとも思う様になった。
 それに比べ、何だか日本人はやけに大人しい気がする。政治家がいくら不正や汚職に塗れようが、話題にすらならない。たとえ議題になったとしても、農耕族の平和な民はまともな議論すら出来ない。
 これも、周りを海に囲まれ外敵の侵入がない島民族の、”革命なき民主主義”が故の悲しい性だろうか。

 ”昨年6月に始まった香港の若者による抗議活動。民主化を求める若者が警察の銃弾に倒れる瞬間や大学に立てこもり抵抗する学生など衝撃的な映像が世界へ発信された。
 その多くが市民自らが撮影したものだ。新型コロナ感染拡大の影響などで様変わりしつつある、抗議デモの半年間と揺れる香港人の本音に迫る”

 事実、私もこの香港デモには胸を打たれる思いで注目してはいた。今日書くブログは昨年末に書き上げ、機会を見て投稿するロングランの筈だったが、新型コロナのお陰ですっかりお宮入りにしそうになったものだ。
 昨年12月に書いた”香港デモの真相”では、米中代理戦争の安易な視点で眺めましたが。今日は”香港デモのそのままの姿”を2回に渡り、紹介します。


そもそも香港デモは何故起きた?

 まず、香港デモの背景を軽くおさらいする。広さは東京都の半分で約750万人が住む、金融や貿易の拠点となってきた都市。
 つまり、香港は中国の金融&貿易の窓口なんですね。日本人も26000人近く住み(世界9位)、1400社程の日本企業が拠点を構え、日本の農林水産物の輸出額も断トツで香港がトップです。
 日本への旅行者は229万人で、香港の3人に1人が日本に来た事になる。つまり、日本にとっても非常に重要な国。
 以下、”一から解る香港の混乱”から一部抜粋です。

 でも、一番の問題が中国共産党が掲げる”一国二制度”だ。アヘン戦争(1842)の後、150年以上もの英国統治の後、1997年に中国に返還された香港だが、英国と中国は文書間で”一国二制度を(2047年まで)50年間続ける”と決めていた。
 ”一国二制度”とは、香港が中国に属しながら、”特別行政区”として外交と防衛以外は”高度な自治”が認められてる制度だ。
 つまり、自分たちの政府があり、資本主義や司法の独立などが保障される。”高度な自治”とは、外交と防衛は中国が、それ以外は香港がやるって事。

 しかし、中国は共産党の一党支配の国。憲法上は共産党が人民を指導する。
 でも香港は、民主主義•言論の自由•集会の自由•報道の自由などが全て認められ、教育システムも通貨もパスポートも別だ。
 故に、一国二制度が認められた香港は”国家に準ずる”と言える。
 わざわざ複雑な形をとったのは、”激変緩和措置”によるもので、民主主義の香港が共産主義の中国に完全に戻る(慣れる)までの50年間で、一国二制度を分かり合うという考え方だ。
 これも中国が苦難の中で捻り出した知恵と工夫ですが。


香港デモの起源と雨傘隊

 でも何故、これが香港デモに繋がったのか?それは、”自由と民主への危機感”である。
 まず、香港が中国に返還された後の2003年、国家を分裂させたり扇動したりする行為を禁止する”国家安全条例”に反対する50万人デモが起きた。一国二制度で認められてる”表現の自由や民主主義が損なわれる”と、50万人が怒った。
 しかし、2008年の北京五輪では”強い中国”のスローガンの元、香港でも親中派が一気に増えた。
 だが今度は、2012年”愛国教育の必修化”というのがあり、小中学校で”共産党は素晴らしい政党だ”と教えようとしたら、家族連れや中高生を含め、大勢の人が抗議した。
 アグネス•チョウ(周庭)さんらも、この時の抗議活動に参加してたんです。

 つまり、ここが実質の香港デモのスタートだった。お陰で、彼ら抗議活動を受けた香港政府は愛国教育の必修化を撤回した。
 その後の2014年、黄之鋒や周庭などの若者のリーダーや市民が、民主的な選挙を求める抗議活動「雨傘運動」を展開。
 1200人の代表が間接選挙で選ぶ香港トップの行政長官を市民が直接選べる様にとの運動だったが、当局に強制排除された。
 更に2016年、中国共産党に批判的な本を扱っていた香港の書店の関係者が相次いで失踪し、中国当局に拘束されてた事が判明(”習近平お前もか”もClick参照)。一国二制度を無視し連行されたのでは?という懸念が一気に強まった。

 そんな中、2019年香港政府が”容疑者引き渡し条例の改正案”を議会に提出し、香港で中国に批判的な活動をした人が中国側に引き渡される可能性が出てきた。
 つまり、まさに一国二制度が脅かされる非常事態に、みな一斉に”マジかよっ!”ってなった。
 その上、中国は裁判所も共産党の指導下にあるから、罪をでっちあげられたら終りだ。
 香港政府や中国に反発する若者の民主派だけでなく、経済界も困惑した。故に今回、長期にわたり抗議活動が続いたのは、市民や企業関係者などが反対したからとされる。
 その上、中国に連れていかれ、自由が奪われる事への恐怖心や危機感から、200万人の暴動化したデモに発展した。
 以上、長々とNHK就活ゼミからでした。


”今そこにある香港デモ”の危機

 アメリカABCが流した香港デモの現場は私が思ってた以上に、不可解で生々しく暴力的なものだった。まるで、ゾラ「壊滅」に登場する”パリコミューン”(1871/3/18〜5/28)を目の前で見てる様な錯覚と恐怖に襲われた。
 彼らは本気だ。引き下がるつもりは毛頭ない。

 そこで今日は、米中代理戦争の視点ではなく、今そこにある”香港デモのありのままの姿”を描いてみたい。
 若者理念や政治思想とか、歴史的背景や中国政府の駆け引きとか、香港警察の対応や米中の代理戦争とか、そういう理屈っぽい事はどうでもいい。
 香港の若者がいま何を考え、何を目的に行動してるのかって事も、もはやどうでもいい。全ては起きてしまった事なのだ。

 というのも彼らはもう引き下がれないのだ。逮捕されるか?死ぬか?国外へ逃亡するか?それとも中国から独立し、新しい香港を作り出すのか?
 どっちに転んでも、困難な道のりは長く続くのだから。
 

民主派圧勝後もデモは続く

 半年以上続く香港の暴動と騒乱。当初、平和的に始まった市民によるデモはいつしか、街の破壊を伴う警察との暴力的な衝突にシフトした。
 一方、昨年11月末の区議会選で市民は体制側にノーを突きつけた。
 今回の民主派の圧勝を受け、若者の暴動は落ち着くのか?ルポライター安田峰俊氏は、選挙後もデモの継続はほぼ確実と訴える。
 以下、”劇薬に爆弾、香港デモ「全共闘化」の先に起きる事”から抜粋&編集です。

 香港全体の政治状況の大きなターニングは先の区議選だが、デモ現場レベルでの一番の衝撃は、11月第3週におこなわれた”大学占拠”事件だ。
 従来、デモ隊は”水になれ”を合言葉に、勇武派(武闘的過激勢力)が匿名化されたSNSで連絡を取りながら、各地で流動的に蜂起を実行。拠点の確保に拘らず、人数の多さを背景にゲリラ戦で警官を翻弄してきた。
 また、”仲間割れしない”等の方針を掲げ、平和的なグループと勇武派の共闘関係の構築に成功してきた。

 だが、11月第3週の”大学占拠”で、勇武派が拠点確保戦略をとった為に、武力にまさる警官隊との正面衝突を余儀なくされ、ゲリラ戦の優位を発揮できなくなった。
 特に、都市部の理工大は逃げ場が少なく、結果的に大量の投降者を出し、約1200人が逮捕された(うち数百人が18歳以下で、他の逮捕者も理工大生はかなり少なかった)。

 一方、中文大では自分たちのキャンパスの防衛に拘る大学学生会系のグループと、理工大への救援出動や政府に対する区議選実施要求を掲げた勇武派グループ(学生会に属さない中文大生や中高生も含む)の意見が対立。デモ開始以来、最も大きな”仲間割れ”が起きた。
 結果、中文大を離れ理工大に向かった武勇派が警官隊との激闘の末に惨敗と大量逮捕に繋がった。
 この仲間割れは、区議会選によりクールダウンし、現在は顕在化していないが、勇武派グループの側に禍根を残した。

 
香港デモは辛亥革命か文革か?天安門か?

 そこで、安田氏は過去の歴史から類似したケースを探し考察する。
 例えば、北京の野蛮な異民族の専制支配に対し、彼らと異なるアイデンティティを持つ南方の華人が蜂起したという点では、1911年の”辛亥革命”とある部分は似ている。
 この辛亥革命は清朝の満洲族で、今回の香港デモは北京語を話す中華人民共和国の中国人に対する「駆逐共党」「光復香港」を掲げた”民族主義の反乱”という共通点にある。
 因みに、辛亥革命の精神的指導者だった孫文は、香港で欧米式教育を受けた広東省出身で現代香港人の祖先に近い。

 運動の中心組織が弱く、革命の着地点が不明確な点も香港デモと辛亥革命と似ている。故に、香港ではモヤモヤした混乱が長く続くという予測は容易だ。
 体制が崩壊状態だった1911年の清朝と違い、現在の中華人民共和国は安定してる。香港デモは辛亥革命よりも範囲がずっと狭く、拡散の可能性も低いので、北京の政権に与える打撃は限定的になる。

 一方で、激しいスローガンを叫ぶ群衆が”革命の敵”だとみなした公共施設や商店を叩き壊し、反対派にリンチを加え歓声を上げる光景は、1966年の”文化大革命”を連想させる。
 大規模な反体制デモという点では、1989年の”天安門事件”との類似もある。
 ”文革”の場合、革命運動の先端に立って暴れた紅衛兵世代は、情勢が沈静化して年配世代に嫌われ、中国版”失われた世代”になった。
 この失われた世代の冬の時代は、文革世代の習近平が政権を握るまで続く。

 今回の香港デモでは、現地の若者世代が大量に犯罪者になってる事件でもある。香港経済は中国への依存性が非常に高く、今後、香港のデモ世代は大規模に海外に流出すると見られる。

 少し長くなったので今日はココマデです。次回”その2”では、日本の全共闘と香港デモの類似点について、同じ学生の反乱として日本人の視点で見つめていきます。
 香港デモも様々な視点から見つめる事で、単なる暴動や騒乱が様々な要素から成り立ってる事が伺えますね。



4 コメント

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Unknown (mainichiblog)
2020-03-25 08:38:49
可愛いなあ
武闘派の暴走と雨傘隊 (tokotokoto)
2020-03-25 12:19:22
民主的運動の雨傘隊と過激な暴動の武闘派の対立が大きな問題になったけど、区議会選の勝利で致命傷にならずに済んだ。
でも理工大の占拠はヤッパリ拙かった。でも暴動が過激化し世界のメディアによって発信されるとこれまた追い風になるから不思議だ。

勿論暴力はいけないけど先に暴力を振るったのは香港警察の方だから?逆に収まりがつかなくなった。お互いに引くに引けない事態に追い込まれたのかな。

新型コロナも長引くし、香港デモも沈静化しそうにもないし、米中の対立もますます激化しそうだし、全ての面でパンデミック状態なのだろうか。
tokoさんへ (象が転んだ)
2020-03-25 17:17:11
今更香港デモされど香港デモって感じですが。新型コロナの感染も衰え知らずですが、香港デモも若いのが主導権を握ってるだけあって、勢いが増してる感じがします。
勿論、アメリカや経済界のバックアップもあるんでしょうが。

普通なら、武闘派の暴動で一気に鎮圧されるパターンでしたが、全く逆の様相を呈してきました。
逆に穏健派の雨傘隊が意気消沈したかのようです。時には腕力に任せるってのも有効ですか。
権力には腕力で対抗する事を教えられた気もします。日本人もお手本にしたいですね。
mainichiblogさん (象が転んだ)
2020-03-25 17:18:44
可愛いんじゃなくて、本当に怖いんですよ。
香港の若者は本気ですから。

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