象が転んだ

たかがブロク、されどブロク

強者の幻影に狂わされた栄光の巨人〜強者が強者に敗れ去る時、屈辱は憐れみに変わる

2020年11月27日 04時12分28秒 | スポーツドキュメント

 別に、ソフトバンクのファンでもないが、勿論巨人のファンでもない。
 今年の日本シリーズには、栄光の巨人軍の”本気度”を見たかった。いや、日本プロ野球の新旧盟主対決という”素手の殴り合い”が見れる筈だった。

 しかし蓋を開ければ、結果論だがソフバンと読売との戦力の差は明らかな様に思えた。それ以上に、コーチ陣のヘッドの差が歴然としていた。
 故に、昨年よりも差が広がったような印象を受けた。第二次世界大戦のアメリカと日本という程まで極端ではないが、ナチスドイツと大英帝国ほどの差は確かにあった。
 しかし、戦力的に優るとされたソフバンは、このシリーズも”石橋を叩いて渡った”様に思える。
 巨人の自慢の豪打を支える坂本・岡本・丸の主軸には、内角を丁寧に且つしつこく抉った。
 特に、第一線で先発した千賀の岡本のバットをへし折った内角154kmのストレートは圧巻で、そして絶品すぎる程だった。それ以上に、甲斐のリードが冴え渡り続けた。

 岡本を潰した時点で、満潮が引くように巨人打線が沈黙していくのが、手に取るように感じられた。
 千賀のこの一球が巨人打線を衰弱させ、日本シリーズの流れをSBに引き寄せたというのは、メディアの共通した意見でもある。
 確かに、超攻撃型のチームというのは、うまく機能してる時はとても強く派手に映るが、主力を封じ込められれば、いとも簡単に衰弱する。


巨人はけっして弱くない

 しかし、ソフトバンクが強くて巨人が弱かった、という単純な縮図でもなかったように思う。
 セリーグにはDHがないが故に、投手は1/9だけ楽が出来る。しかしパリーグは、投手が打席に立つ所に4番が待ち構える。
 故に、パリーグにはハードピッチとパワードロップが要求される。その流れで、強打と巧打を備えた質の高い打者が育つ。
 確かに、セとパでそこまでの差があるかといえば、そこまでは極端じゃないが、短期決戦となるとそれに近い差が出る傾向にあるのも事実だろう。

 原監督はシーズンが始まる前に、”セリーグもDH制を”と訴えた。そして、日本シリーズも自慢の超強力打線を活かす為に、敢えてDH制を受け入れた。
 これは間違ってはいなかったと思う。
 事実、初戦の千賀を粉砕してれば、全く逆の展開もあり得たはずだ。しかし、粉砕されたのは岡本のバットだった。
 そういう意味では、短期決戦というのはヘビー級のボクシングと同じで、殴りかかった方が勝ちだ。同じ力量なら、最初に牙を剥いた方が絶対に有利である。
 V9時代の巨人は満遍なく称賛され、様々に揶揄されるが、ONという2つの強力な牙が剥き出しだった。お陰でパリーグは9年間、王者巨人にシリーズ前から背を向けざるを得なかった。

 今年の日本シリーズはスコアで見れば、5−1、13−2、4−0、4−1と4試合とも一方的に見えるが、第2戦以外は、見方によれば接戦だった。ただ、パワーピッチ&ハードヒットでプレスを掛け続けるソフトバンクに対し、巨人は常に防御に立たされた。 
 V9時代の巨人を知ってる私からすれば、悲しい限りだが、逆を言えば、V9時代の巨人はパリーグの弱点を既に見抜き、万全をもってシリーズに臨んだ。特に、正捕手の森は祝賀会も参加せず、パリーグの打者の研究に没頭したという。


頑張れジャイアンツ

 確かに昨年も今年も、ソフバンは明らかに巨人の弱点を見抜いてた。
 事実、昨年は坂本を封じ込み、今年は岡本の”牙”を抜けば、自慢の強力打線が機能不全に陥る事も見抜いてた。
 つまりソフトバンクにしては、勝つべくして勝ったシナリオ通りの展開でもあった。

 勝負というのは強い者が勝つものだが、弱い者でも勝てるのも勝負である。
 長らく強者の歴史を持つ巨人だが、強者が強者に敗れ去る時、そこにはっきりと脆さと致命傷が露呈するのも事実である。
 弱者が強者に打ち負かされるのはとても非情だが、強者が強者に粉砕されるのはもっと哀れである。 

 今年の日本シリーズを見てて、生まれて初めて読売巨人軍という強者に憐れみを感じた。私が子供の頃は、巨人と言えば卵焼きと大鵬に並ぶ、日常の王道であり、絶対権力でもあった。
 強者や権力に同情を感じるというのも変な話だが、これも一種の”大衆の反逆”なのだろうか?



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