象が転んだ

たかがブロク、されどブロク

「あめりか物語」〜永井荷風の若々しい情熱と水々しい感性の発露の物語〜

2020年02月29日 05時59分17秒 | 読書

 「あめりか物語」は、永井荷風がほぼ5年に渡るアメリカ•フランス滞在を終え、明治41(1908)年7月に帰国したその翌月に出版され、荷風の名を一気に高めた。
 自然主義文学の隆盛に新鮮な一撃を加えた短篇集だ。文明の落差をみつめる洋行者や異郷にある日本人の胸底の思いが、シアトルやセントルイス、そして首都NYの描写に明滅する。
 「林間」「酔美人」「夜半の酒場」「支那街の記」など、近代人の感性に胚胎した都市の散文はやがて、「ふらんす物語」に花開く聖地巡礼の記である”

 
 ボンボン育ちの荷風が、親の金で24歳から28歳という血気盛んな時期に滞在(遊学)した、アメリカという見知らぬ且つ底知れぬ新大陸の地。
 荷風はこのアメリカ滞在で、いきなり底知れぬ失望と深い屈折を味わうも、4年後には、アメリカは”第二の故郷だ”と言い切るまでになる。
 日本の息の詰まる様なタテ構造を基盤とした儒教道徳社会と大きく異なり、自由に溢れ、個を尊重し、全てが対等で、明るく乾いた多種多様な社交性など、日本から来た世間知らずの芸術家肌でエゴイストな若者にとって、魅力が充填したアメリカであった。

 明治末期のアメリカの風俗•風物•風景•人物の描写は、若い感性と巧みさもあり、”絵葉書をそのまま詩にした”様な、荷風独自のユーモラスな描写には思わず見とれますね。
 日本から逃げる様にアメリカに来た犯罪者に加え、労働者や女衒や騙され売られた日本女性など、様々な事情の日本人がアメリカに棲息していた。
 特にシアトルには、既に日本人街があり、夜な夜な三味線が聞こえるホットスポット的な賑わいであったが、ここら辺のナイーブで詳細な描写も実に見事です。


若々しい情熱と水々しい感性

 直感的かつ直線的な表現が目立つ「あめりか物語」の"若々しい情熱と水々しい感性"が、次第に"感情に裏付けされた思想"へと近付いていく想いがした。
 直線的かつ抽象的な荷風の感性が、多感的思想的な豊かな感性に渦巻く様に昇華していく。厳格無比な父親に対する荷風の反発こそが、"日本への嫌悪と西洋への憧れ"を芽生えさせ、まるでカンバスに殴り描きした様な作風の「あめりか物語」を生み出し、後の聖地パリへの巡礼(「ふらんす物語」)への道を切り開いたと、いったら大袈裟だろうか。

 その中でも「支那街の記」は超の付く傑作だ。まるで狂気の詩人が書き殴った様な死と貧困と絶望の描写は、解説の川本皓嗣氏をして、"近代的感性を持って都会の憂鬱を描いた、初の日本語の散文として特筆すべき"と大絶賛している。
 荷風によれば、究極の欲望はこの”支那街”に登場する様な、”悪徳と汚辱と死の堆積物”と評した絶望の中にあるとする。

 ”官能的色彩”の濃い「ふらんす物語」(Click)とは異なり、"抽象的な感想"と揶揄されがちな作品だが、ボードレールに傾斜する事で、描写そのものが感情と思考の表現となり、近代人の一心象風景となりうるのは、非常に興味深い。

 この作品は、「ふらんす物語」の序曲的扱いにされがちだが、"出来合いの観念と烈しい好悪の感情で色分けした"前半部の浮かれた描写こそが、私にとっては実に繊細で華麗に映る。
 好みは別れそうだが、荷風の若々しさや思想や哲学に囚われない自由で自己陶酔的な美の大胆な描写が大好きだ。
 特に娼婦との一夜を、"屍の屍に添いて横たわる"という冷笑的な表現は、実にアメリカ的なユーモアとユニークさに加え、荷風独特の自虐的感性と純朴な美学とを見事に融合させてる点も注目に値する。


妄想か幻想か?それとも現実か?

 ”この上ない美人娼婦(アメリカ)と程々の処女(日本)とを比べ、何れが強い幻想を起こさせるのか?”
 これこそ荷風が、アメリカに対して抱いた妄想であり現実であろうか。
 真のフランス紳士なら、白人女の洗練された虚飾の美よりも、動物の血を沢山受け継いだ黒人女の不器用で獰猛な魅力に見とれてしまうだろうか。
 荷風は、NYをアメリカを”晴れ晴れしい大きなパノラマ”と評した。しかし、目に入る物は当初大変驚かされた高層ビル群ではなく、弛んだ胸を持ち上げ、胴を縛り上げた、デカい尻の女の姿ばかりであった。
 彼女たちは日本人と見れば、蔑視し威圧し、と思いきや誘惑な視線を投げ返す。

 それでも荷風は、曲線美の著しい腰、表情に富んだ服、彫像の様な滑めかな肩と豊満な胸、踵の高い足先までを愛するばかりか、彼女らの巧妙なる化粧の流行の機敏さに無常の敬意を払うと吐露する。
 しかし、こうした大都会を一歩離れると、そこで見えにするのは、異郷の寂寥にも似た無人の大国という隠れ家なのだ。

 荷風はアメリカに酔った。新大陸という未知の幻に酔った。酒•詩•女•歌など何でもよい、時代の奴隷になりたくないなら、絶え間なく酔えばいい。
 幻想に酔い、妄想に酔い、そして絶望に酔う。これこそが荷風が”あめりか”で体得した、崇高で純朴な人生観なのかも知れない。

 荷風は娼婦を屍とみなし、その娼婦と添い寝する自分をも屍とみなした。つまり、それだけの覚悟がなければ女を買う資格はない。
 女が性の悦楽を武器にし、男がその快楽を求めるなら、それは”愚”そのものであるが、”屍”と割り切れば悪いものでもない。
 荷風が一生を独身で過ごしたのも、そういった割り切りに負う所が大きいのだろうか。
 ”私は結婚を非常に厭み怖れる。恋は求めるが、その恋が失敗する事を願う。恋とは成就すると烟の如く消えてしまうからだ。故に、僅かな生涯を真の恋の夢に明かしてしまいたい”
 美を追求する程に、現実は醜く忌嫌うものになるんですな。


最後に

 ”日本人への嫌悪と西洋への憧れ”という自己の置かれた現実を憎み、まだ見ぬ美しいものに憧れる。
 こうしたロマンチックな”祖国亡命者”のパターンが、これ程までに純粋な形で描写された事はかつてなかった。
 気難しくも浮ついた調子も前半部には見られるが、机上の西洋感と実物の等身大の西洋との間で困惑し、観念的な日本的な感傷に浸る。
 しかし、”絵葉書に書いた”様なこの頃の作風は、自己陶酔的で自虐的な詩人ぶりを遺憾なく発揮している。

 後半に入ると、モーパッサンに加え、ボードレールの味読と試訳、そしてそれらの活用を通じ、文筆を磨き感覚を養うという熟成し洗練された作風が読み取れる様になる。

 確かに、詩人の様な官能的表現の中には露骨な”抽象的な感想”も見られるが、読者に重くのしかかる文脈は、”感情に裏付けられた思想”の域に達してるとも言える。
 つまり荷風は、自分の感覚に触れたものをそのまま自分の言葉で語ったに過ぎない。その描写そのものが、同時に感情や思考の表現となり、近代人の心象風景となりうる点にて、彼がボードレールから学んだものが、ここにて鮮やかに定着してるのだ。

 お陰で、荷風はボードレールとパリとフランス文学に憧れ、耽美派の作家として熟成され洗練されていく。
 しかし、決してそれだけではない。不馴れな初の外国での生活、それもアメリカという新大国のそれも自由の象徴であり、地球の半分を支配する超未来国家の多様性社会にどっぷりと浸かってしまう。
 その上で、単調で茹だる様な下働きに明け暮れ、勉学に勤しむのだ。

 荷風は人間としても大きく成長した。厳格な父親が荷風をアメリカへ修行させたのは結果的には正しかったし、それこそが本当の狙いではなかったか。
 ボンボン育ちの彼は、アメリカの無限の自然と大地からありとあらゆるものを吸収する。丁度アメリカが、独立し世界の超大国に昇華していく様に、作家としての荷風も大きく成長する。アメリカでの4年間の修行が、作家としての大きな礎となってる事は疑い様もない。

 荷風の描く世界が読み進むにつれ、タフに深くきめ細かく且つ堅固に柔和に、私の心に浸透していく。
 そういう意味でも非常にユニークな一冊だ。長々と偉そうな事を書いたが、世代や好みを問わず十分に耽読し、堪能できる文豪傑作だと思う。



6 コメント

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荷風 (平成エンタメ研究所)
2020-02-29 12:25:52
「晴れ晴れしい大きなパノラマ」
「弛んだ胸を持ち上げ、胴を縛り上げた、デカい尻の女」
「巧妙なる化粧の流行の機敏さ」
荷風がアメリカをこのように表現し、賛美していたのを知りませんでした。

一方で、荷風には『江戸趣味』もある。
明治の風景は西洋のモノマネだから嫌悪していたが、明治の社会が奪った江戸の風物には郷愁を抱いていた。

僕は明治という時代を嫌った荷風に共感するのですが、荷風はもっと論じられてもいい作家ですよね。
Unknown (lemonwater2017)
2020-02-29 12:48:24
象が転んだです。
荷風の奇抜で繊細で自由な表現が、当時の閉鎖的な日本人には受け入れ辛かったみたいです。
そういう時代遅れな所はアホな安倍シンパとよ〜く似てますね。
コメント有難うございます。
黒い女 (hitman)
2020-02-29 13:06:12
転んだサンは動物的な女が良いんだな(^^♪
大坂なおみとかウィリアムスとか
オイラはやっぱシャラポアがいい。
どうもブロンドの優雅さに弱いんよ〜

荷風はアメリカで西欧の全てを知ったから
フランスは憧れではなくなり、退廃的になったのか
快活でエネルギッシュな性の表現から暗く官能の表現に落ち込んだ様だ
Unknown (lemonwater2017)
2020-02-29 16:00:53
hitmanさん、象が転んだです。
大坂なおみもウィリアムズも好みじゃないんですが、性の基本は有色女ですね。
バルザックもクレオールにはゾッコンでした。
画家寄りの人種は野性味に幻想と憐れみを感じるんですよ。
純朴の水彩画 (HooRoo)
2020-02-29 20:18:31
Zolaがポスターカラー風なら
Balzacは質朴のオランダ調で
そして、Maupassantや荷風は
パステル系水彩画ってとこなのかな👋👋
Unknown (lemonwater2017)
2020-03-01 00:11:44
象が転んだです。
Hoo嬢も、文学となるとかなり詳しいですな。
パステル調の水彩画とは見事な表現です。
自由度の高い荷風の描写は、明治の日本では刺激が強過ぎたかもです。
今の日本も少しハミ出た事を書くと直ぐに炎上します。文学と言えど芸術ですからね。日本人も少し大人にならないとね。

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