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リーマン予想と素数の謎、2の11(’20/9/27更新)〜チェビシェフの初等的な素数定理と、その長い道のりと〜

2019年06月26日 04時43分17秒 | リーマンの謎

 さてと、前回”2の10”の最後では、改訂版素数定理について述べましたが。今日はチェビシェフの初等的素数定理です。初等的と言っても、これも現代数学を大きく変革させ、リーマン予想に繋がる偉業と言っても大げさではないでしょうか。 
 数学者になる事を決心させたとされる、サンクト•ペテルブルクの科学学士院に当時20歳のオイラーは赴任し、この地でダニエル•ベルヌーイの同僚となり、バーゼル問題(1735)を解決した事でオイラーは有名になります。
 そしてその約110年後、同じサンクト•ペテルブルク大学にいた若い講師が素数定理に関する特筆すべき2つの論文を生んだ。

 この若き数学者こそが、パフヌティ•リヴォヴィッチ•チェビシェフ(露 Пафну́тий Льво́вич Чебышёв、英 Pafnuty Lvovich Chebyshev、1821〜1894)である(イラスト)。


チェェビシェフの偉業

 この数学の偉人は、1837年にディリクレが黄金の鍵を拾い上げ、1859年にリーマンがそれを回すに至るまでの間、素数定理の証明に向かう唯一の前進という偉業を成し遂げた。
 ただ奇妙な事に、チェビシェフの独自の研究が素数定理の主流に沿う事なく、100年間も地中に埋もれたままだったのだ。
 彼が素数定理について書いた2つの論文のうち1つは、「与えられた限界より小さい素数の全体を決定する関数について」(1848)という題目の論文である。
 リーマンの10年後の論文「与えられた数より小さな素数の個数について」とよく似てる事に注意しよう。

 この論文でチェビシェフは、オイラーの黄金の鍵を拾い、12年前のディリクレ(算術級数の素数定理、1837)と同じ様にそれを少し弄って、次の様な結果を得た。
 「ある定数Cに対し、π(N)〜CN/logNならば、Cは1でなければならない」
 これを”チェビシェフの第一の結果”と呼ぶ。但しC=1の時に、後に素数定理となるπ(N)~N/logNを証明する事は、流石のチェビシェフにも出来なかった。
 素数定理が証明されたのは、皮肉にもこの約50年後の事であった。もし、”π(N)~N/logN”が素数定理と呼ばれてたなら、チェビシェフこそが素数定理の第一人者となってただろうか。


チェビシェフの第二の論文

 チェビシェフの第二の論文は、1850年に発表された。彼は確率論や統計学および数論における業績で知られ、”チェビシェフの不等式”は非常に有名である。
 ここでチェビシェフは、黄金の鍵を用いるのではなく、”スターリングの近似”(大きな数の階乗の挙動値を得る公式、1730年)を用いた。このスターリングの(第1の)公式とは、n→∞の時、n!~√(2πn)(n/e)ⁿで示され、不等式で表せば、√(2π)<n!/√n(n/e)ⁿ<eとなる。
 因みに、上述の”チェビシェフの不等式”とは、標準偏差ρを持つ確率変数xに対し、xの実現値とxの平均値のずれがaρ以上になる確率は、決して1/a²を超えない事を示している。
 これは大数の法則(極限定理)を証明する為に用いられ、サイコロを繰り返し振り続けると、出た目の標本平均は平均に収束する。

 チェビシェフは上述した”第一の結果”である素数に関する不等式と階段関数の変換式を使い、次の2つの重要な結果に達した。
 まず最初に得られたのは、「ベルトランの仮説」(1845)である。これは仏の数学者ジョセフ•ベルトランが発表した、”自然数nに対し、n<p≤2nを満たす素数pが存在する”という命題。判り易く言えば、”任意の数とその2倍の数の間には、必ず素数が見つかる”
 この命題は、1850年にチェビシェフによって証明され、素数定理の証明よりも前に得られていた。現在では「ベルトラン=チェビシェフの定理」又は、「数論におけるチェビシェフの定理」とも呼ばれます。
 これは、x以下の素数の数π(x)に関するチェビシェフの不等式”π(x)はx/logxの漸近的挙動(ランダウ)である”事から導かれる。より正確な形は素数定理により与えらますが。

 それともう一つの結果は、”チェビシェフの第2の結果”と呼ばれるもので、「π(N)はN/logNから±10%以上離れる事はない」


素数定理の初等的な証明 

 この第2の論文は次の2つの点で重要である。一つは、チェビシェフが用いた階段関数を、リーマンが1859年の論文で同様の関数を使ったかもしれないという事。リーマンは当然、1850年のチェビシェフの実績を知っていた。リーマンのノートの中には”Tschebyschev”の綴りが見つかってる。
 そして、2つ目こそが最も注目に値する。チェビシェフはこの(第二の)結果を複素関数の理論を全く使わずに得た。つまり、チェビシェフの素数定理は”初等的”なのだ。
 しかしリーマンは、1859年の論文では自ら取り組む研究(ゼータ関数)の為に、初等的な方法は使わず、複素関数論を全開にした。勿論リーマンの得た結果は顕著であり、他の数学者も後に続いた。
 素数定理が最初に証明されたのも、リーマンの初等的でない方法を用いての事であった。

 結局この素数定理が、初等的な方法を用いて証明できるかどうかは、未解決のままになった。大方の見解でも初等的な証明は無理だという事になった。
 事実、1932年に発刊された、アルバート•インガムによる「素数の分布」では、”複素変数による解析的関数との概念を含まない証明は見つかってないし、何故そうなるのかも理解できる”と書かれてた。 


セルバーグの素数定理

 しかし、”歴史は時に意外性を見せる”ものだ。1949年に、ノルウェー出身のアトレ•セルバーグが、その初等的な証明を発見した。
 当時、”素数定理とゼータ関数がRe(s)=1上に零点を持たないとの同値性”がすでに確立されてた為に、この初等的な証明は大きな驚きをもって迎えられた。事実1896年に、プーサンとアダマールは、”Re(s)=1⇒ζ(s)≠0”を証明し、素数定理を証明していた。
 但し、この結果を巡り、大論争が起きる。セルバーグは、自身の漸近式をハンガリーの奇人数学者パウル•エルデシュに知らせ、エルデシュはこの漸近式を使い、初等的な方法で”ベルトランの仮設”を証明し、一般化した。

 一方セルバーグは、このエルデシュの功績を使い、一人で素数定理を証明してしまう。その後セルバーグは、エルデシュのアイデアを回避し、素数定理の初等的証明を発表した。怒り心頭のエルデシュは、これとは独立して素数定理を証明した。
 勿論、先取権でもめた。結局この証明は、ハンガリーでは「エルデシュ=セルバーグの証明」と呼ばれ、それ以外の国では”セルバーグの証明”と呼ばれる。
 事実セルバーグは、自ら編み出した”漸化式”から出発し、素数定理を導いたんですから、エルデシュの無念の理解できますが、セルバーグが優先されるのもやむ終えないですかね。エルデシュの奇抜で奇怪な数学人生は「放浪の天才数学者エルデシュ」に詳しく書かれてます(追記)。

 故にセルバーグが、チェビシェフの初等的な素数定理を証明したとされますが、リーマン予想は、彼が思ってた以上に先を進んでました。つまり、初等的に証明したといっても、弱いリーマン予想の証明しか出来ませんでした。因みに彼は、リーマン予想の解決に一番近い”セルバーグ•ゼータ”の発見者でもある。
 因みに、セルバーグゼータ関数(1956)とはリーマンゼータ関数の類似物で、行列式表示を持ち、リーマン予想を満たすという意味では理想的なゼータ関数とされます。アトレ•セルバーグに関しては、”リーマン予想って解けるの””セルバーグがリーマンに取って代わる日”も参考にです。


チェビシェフの”偏り”

 ”2以外の素数Pを4で割ると、余りは1か3になるが、何れかに偏る”
 数学的に言えば、”あるNまでの素数Pには、4k+1の形をした素数(ピタゴラス素数)が4k + 3の形をした素数(非ピタゴラス素数)より多い”という現象で、1853年にチェビシェフが発見した。
 因みに、ピタゴラス素数と非ピタゴラス素数が共に無数に存在する事の証明は、素数が無数に存在する”ユークリッドの背理法”を少し工夫する事で、初等的に証明できます(Wiki)。

 では、このチェビシェフの”偏り”を実際に計算すると、P=101までは余りが1の素数は12個で、余りが3の素数は13個。P=1009なら、それぞれ81個と87個。P=10009なら、それぞれ609個と620個。僅かではあるが、余り3の素数が多いのが判る。これをチェビシェフは1853年の手紙で指摘した。
 しかしこの”偏り”は、P=26861の所で破れるのだ。そこから一時的に余り1の方が上回る。最初の580万個の素数の内、1939個がこのケースになる事を、「素数に憑かれた人たち」の著者であるダービーシャーは自身の計算で確認してる。

 因みにこれを”堅く”言えば、π(x;4,1)を、xまでの4k+1形の素数の個数、π(x;4,3)を、xまでの4k+3形の素数の個数とすると、ディリクレの算術級数の素数定理より、π(x;4,1)〜π(x;4,3)~x/2logxである。
 故に、素数の半分は4k+1の形で、残り半分は4k+3の形である。すると、共に50%ずつ存在すると推測できるが、実際には、π(x;4,3)>π(x;4,1) となる区間がはるかに長く、xが5,17,41,461において、π(x;4,3)=π(x;4,1) となる4個を除いた、26833未満の素数に対しては、π(x;4,3)>π(x;4,1)が成立し続ける(Wiki)。
 故に、このチェビシェフの”偏り”こそが算術級数定理の初等的考察と、「素数とゼータ関数」の小山信也氏は呼ぶ。

 因みに、割る数が3の時はもっとこの”偏り”がはっきりとしている。余りは1と2のみで、偏りは2の側にある。これはP=608,981,813,029まで破れない。ただこれも成り立たないケースが、カーター•ベイズとリチャード•ハドソンにより発見された(1978年)。
 以上、チェビシェフの”偏り”について寄り道をしましたが、”ロシアの数学の父”と称された彼は、初等的素数論ではなく、確率論や統計学における業績の方がずっと有名です。
 但し、チェビシェフがゼータ関数を使って素数定理を研究しようとしてたのは、リーマンもディリクレを通じて、知ってたらしいです。そういう意味ではチェビシェフの偉業もリーマン予想には負けてません。

最後に〜ディリクレからチェビシェフへ

 こうして見ると、オイラーやガウスが発見した”素数の鍵”は、ディリクレに受け継がれ、チェビシェフを経由して、リーマンが複素解析に繋げ、大きく飛躍させたとも言えます。
 つまり、チェビシェフもリーマン予想には大きく貢献してんです。
 以上、チェビシェフの初等的素数定理について大まかに簡単に述べましたが、ホントはもっともっと難しいものです。
 初等的といっても簡単とか基本的とかいう意味ではなく、想像を超える程の凄まじい難しさです。
 次回ではその一部を紹介したいと思います。少し覚悟をです(笑)。



4 コメント

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補足です (paulkuroneko)
2019-06-26 16:51:29
素数定理の証明には、リーマンゼータの複素関数論的解析法を使った証明と、チェビシェフが行おうとした初等的証明があります。

事実1896年にプーサン&アダマールは、Re(s)=1ならばζ(s)≠0(零点を持たない)を証明する事で素数定理を証明しました。

セルバーグは自ら編み出した漸化式を初等的に証明し素数定理を導いたんです。

故に、初等的と言っても制限が掛かったとてもややこしい証明という事ですね。
paulさんへ (lemonwater2017)
2019-06-27 07:35:18
いつもいつもナイスでタイムリーなアドバイス本当に助かります。

セルバーグの初等的な証明は、PDFとかで数多く公開されてますが。時間を掛けないと無理っぽですかね。でもイメージ的には何となく掴めそうですが。

コメント遅れてスミマセン。
素数の偏り? (HooRoo)
2019-06-30 10:45:39
素数ってバラバラに存在するのよね。

だったら、それを解析学的に調べ上げたのがディリクレやリーマン達なんでしょ?

そしてそれを複素関数論を使わずに証明しようとしたのがチェビシェフで、実際に証明したのがセルバーグって事よね。

でも元々バラバラにあるらしいものに法則性を見出そうとする数学者って、やっぱり変わってる(@_@)(?_?)

数学者ってそういうもんよ (lemonwater2017)
2019-06-30 12:48:05
数学ってそういうもんです。

リーマンだって、数学の全てを解析学へと導こうとしたんです。だってその方が楽しいし、夢がある。

素数ってまだまだ解明されてない所が沢山ある。素数定理なんてその一部なんです。

素数の謎が全て解明されたとしても、何がどうなるって事はないんですが。数学はその過程がとても必要なんです。

でもリーマンが数学を解析学に結びつけようとした努力は、現代の自然科学に大きく貢献してんですよ。

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