私は、

 

 

アメリカの人種差別問題と、

中国の人種差別問題と、

日本の人種差別問題はそれぞれ全く異質なものだと思っている。

 

 

 

 

 

アメリカの人種差別問題は奴隷制度の歴史が関係している。

 

 

この問題は時間がかかるかもしれないがデモが活発に行われ、収束するのを繰り返すことで解決すると思う。

 

 

ただし、時間はかかる。

 

 

 

 

 

中国の人種差別問題は、そもそも中国の歴史が異民族との戦いの歴史でもある側面がることから生じている。

 

 

私は毎月「項羽と劉邦」の小説を書いているが、この作品で描かれているのは2000年ほど前の時代だ。

 

 

この時代よりももっと前から中国は異民族との戦いを繰り返してきた。

 

 

世界遺産の万里の長城など、ある意味中国の異民族に対する差別の象徴と言えるかもしれない。

 

 

今話題のディズニー映画『ムーラン』だってもともとは中国の異民族との戦いの話だ。

 

 

だから中国の人種差別問題にはアメリカの問題よりも他国が干渉するのが難しいと思う。

 

 

 

 

 

じゃあ日本はどうなのか。

 

 

日本での人種差別は排他的な国民性と劣等感から生じている。

 

 

私は人種差別に関しては特に歴史性を感じない(他の差別には歴史が関わるものもあるが)。

 

 

例えば日本では宗教の話題は避けられる。

 

 

何かの宗教に入っていることを話した瞬間に「うげぇ」という顔をする人は少なくない。

 

 

ネガティブな方向だけでなく、表面的にはポジティブな方向でも同じことが起こる。

 

 

何かの能力を持っている人間に対して、口では「すごい」などと言ってみせるかもしれないが、本心では相手に対して「近寄りたくない」「別世界の人」と思っている人は多い。

 

 

これは宗教に対して「うげぇ」と反応するのと本質的に同じだ。

 

 

自分とは異質なもの、つまり自分よりも劣っている・優れているものに近寄りたくないという気持ちが日本人は強い。

 

 

もっと言うと自分よりも劣る方向に異質なものに対する優越感よりも、自分よりも優れたものに対する劣等感の方が、なぜかこの日本では攻撃的なものになる。

 

 

結局のところ日本での人種差別問題は、昔話でよく語られる「貧乏なおじいさんは最後に幸せになって、金持ちじいさんはバチが当たって死ぬ」という考え方から生じているのだ。

 

 

貧乏なおじいさんには優越感か同類の安心感を覚えるが、金持ちじいさんには劣等感を抱き憎む。

 

 

それが人種差別を生む。

 

 

 

 

 

アメリカ・中国とは異なる複雑な背景が、日本の人種差別問題にはある。

 

 

ただ複雑な背景ではあるが、日本の人種差別問題は決して解決できない問題ではない。

 

 

下手をしたらアメリカ・中国よりも解決が簡単かつ短期間で解決できるかもしれないとも私は思っている。

 

 

今後日本では、自分の能力を生かして突き抜けようとする人が人種差別の、そしてその他様々な問題を解決する。

 

 

突き抜けた人間が増え、そこで共感を呼べる人間の存在が日本人の排他的な劣等感を変える。

 

 

……私がそう思っていなければ、「文章が書ける美女」の存在意義も、私が作品を執筆する意味もないではないか。

 

 

少なくともこの文章を最後まで読んだ人は、人種差別を解決できる素質がある。

 

 

モデルもやっている私がこうした内容の文章を書くことに対して「うげぇ」などと投げ出すことなく、最後まで読んでくださったのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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