ひとつの寓話を聞かせよう。
今はもうない、あの蛇行する川のほとりでの少女たちの日々。
誰も知らないある物語を、
今、あなただけに。
恩田陸本『蛇行する川のほとり』です。
『蜜蜂と遠雷』が第156回直木三十五賞 及び 第14回本屋大賞に輝いたのも2017年(平成29年)。あれからだいぶ月日が流れた気がしますね。
当時恩田陸で僕が読んだ事のあったのは『六番目の小夜子』と『夜のピクニック』のみ。
『六番目の小夜子』の印象があまり良くなくて恩田陸作品はちょっと敬遠気味だったのですが、『夜のピクニック』で大きく評価を覆し、『蜜蜂と遠雷』で完全に引っくり返った、という経緯を持ちます。
以降、『ドミノ』『チョコレートコスモス』『ネバーランド』『光の帝国』と読み、今回が『蛇行する川のほとり』。すっかりファンの一員と言ってようかもしれません。
正直なところ、やはり作品によって当たりハズレ、完成度に大きく差があるのは否めないのですが。。。
詳しいところは下記より過去のブログをご参照ください。
少女マンガ的世界観
第一部ハルジョオンの主人公は毬子。
高校一年生の毬子は、中学校時代から演劇部の大道具係として活躍していた縁から、美術部の先輩である香澄・芳野の二人から一緒に演劇部の背景を描こうと誘われます。
夏休みに入り、訪れた香澄の家は蔦の絡まる煉瓦塀に囲まれた洋館。
両親も出かけて不在となる中、毬子・香澄・芳野の三人に、さらに香澄の従兄弟である月彦や暁臣も加わり、5人の男女による合宿生活が始まります。
この主人公の毬子というのが、(一昔前の)少女マンガの主人公としてよく登場するいわゆる「平民出のお嬢様」というタイプ。おしとやかで純粋でどこかか弱い雰囲気のする女の子です。
一方香澄と芳野は根っからの「お嬢様」タイプ。洋館の庭でお茶会をするのが似合う二人組、という感じ。
暁臣は顔は女の子みたいに綺麗で人懐っこく、明るい反面どこか影のあるような男の子。
月彦は常に斜に構えていて毬子の言うところの「なんだかごつごつしてて、おっかなくて、いきなり変な方向からゴツンとぶつかってくる」という暁臣とは対照的に男っぽさを前面に押し出したタイプ。
そんなわけで夏休みに男女五人での共同生活……と言っても好いた惚れたの恋愛感情が軸となる事はなく、(一昔前の)お嬢様・お坊ちゃまたちのあくまで爽やかな青春が描かれていきます。
ところが香澄をはじめ、集まった四人には何やらモヤモヤした歯切れの悪さが感じられます。
月彦は毬子に対し「帰ったほうが良い」と忠告し、やがて訪れた夜、その昔、香澄の母親はボートの中で遺体となって発見されたと知らされます。同じ日に、暁臣の姉も転落事故で亡くなった、と。
戸惑う毬子に、暁臣は「毬子さんが、僕の姉貴を殺した」と告げます。
主人公の変わる三部構成
第二部ケンタウロスでは視点が芳野に変ります。
芳野は自らも過去を知る者でありながら、他の三人が何をどこまで知った上で、一体何をしようとしているのか探ります。
さらに物語が急展開を迎える第三部サラバンドでは、毬子の親友である真魚子が外部の人間として、彼らの間に起った出来事に対峙します。
とまぁ、本書は描き下ろしの三部作として元々計画されていたそうで、視点が変わる度にそれまでの視点では知る事の出来なかった真実や思惑が明かされていくのが一つの醍醐味だったりもするのですが。
ただやっぱり残念ですね。
第一部の最後、身に覚えのない殺人を告げられた瞬間で毬子の視点からは外れてしまうので、その後の毬子がおざなりになってしまうのです。
そこまでは綾辻行人の『囁き』シリーズを読んでいるようで、もやっとした霧のような謎に包まれ、翻弄されていく儚い少女の雰囲気が非常に良い感じだったんですが。
第二部に入り、視点が芳野に移ってからは、芳野自身が何をどこまで知っているのか読者にはわかりませんし、そんな彼女がけん制し合うように他のメンバーと相対していく様はどうにも感情移入しにくいものでした。
それに加えて第二部のラスト……僕、あんまりこういうの好きじゃないんですよね。
第三部に入り、真魚子が主人公に移ったのは驚きでしたが、どうにも第二部のラストが引っかかってしまい。。。
そこから真魚子が真実を掴んでいくわけですが、それぞれが隠していた秘密だったり、秘密にしていた理由だったりが非常にあいまいで、到底理解できるようなものでもなく。
はっきり言って、尻すぼみです。
腐女子向け・百合
基本的に本書には恩田陸の悪い所が出ていると思います。
いわゆる“腐女子向け”というやつです。
(一昔前の)少女マンガ的世界観といいキャラクターといい、そもそもがそれそのものでしかないんですけど。
登場人物にはどうやらイケメンらしい男子が二人登場するにも関わらず、彼らの心情はどちらかというと女同士で揺れ動くもののようです。
渡しは、暫くじっと彼女の部屋の雰囲気を味わっていた。
彼女はここで勉強し、ここで本を読み、ここで眠っている。
そう考えると、彼女のオーラが満ちているような気がして、落ち着かなかった。
ぬいぐるみの類は一切見当たらない。ベッドカバーやカーテンを見ても、花柄や、動物など、具体的な模様もない。色彩を最小限に抑えた、シンプルな部屋だ。
ここがあの人の部屋なのだ。私は感動に似た興奮を覚えた。
はい、確定―
いわゆる“百合”ってやつですね。
“百合風味”ってとこでしょうか。
そんなわけで本書はたぶん、そもそもがこの(一昔前の)少女マンガ的キャラクターや舞台設定ありきで作られた物語なんじゃないかという感じがしてしまいます。「美少女達の幼少期の秘密」という王道のネタもまさにそのもの。
ミステリ的な要素はありますが、基本的に雰囲気重視なので謎の整合性や精度は二の次三の次、という感じです。
とはいえ以前読んだ『ネバーランド』によく似た物語ではあります。
あちらは男の子たちを主人公にしていますが、「子どもたちだけ」で「限られた期間」の「共同生活」に「秘密」を軸としているという点では、ほぼ同じ種類の作品と言えるでしょう。
腐女子風味なのも一緒です。
あちらの方が謎の提示やその後の展開に一貫性があって、最終的に回収されない伏線が点在されていたとしても、それなりに面白く読めてしまいます。
ほぼ同じ時期に発表された作品なんですけどねー。
やはり本書の場合、章ごとに視点を変えたのも完成度を大きく下げた一因でしょう。
毬子視点のまま最後まで貫いていたら、大きく様ざわりしていたかもしれません。
恩田陸の場合、特に初期作品は当たりハズレもありますからねー。
これはこれ、という事で。
で、それはそうと『蜜蜂と遠雷』の映画は10月でしたか。
松岡茉優に森崎ウィンとなると、大好きな役者さんたちなので公開が待ち遠しいです。
もうすぐ平山夢明原作の『ダイナー』も公開されるし。
監督蜷川実花は想像以上にカラフルでアーティスティックな映像になりそうですね。
下期は面白そうな映画がいっぱいで待ち遠しい。