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自分で守るしかない。命は役所は守ってくれない

関東の台風19号の被害は凄まじいものですね。

河川の氾濫が至る所で。

民主党が政権を取った時に無駄な象徴としていたが、その後民主党政権下で掌返しで工事を再開して完成した八ッ場ダムが災害の減災に大きな貢献をしたとか。

また、中止に追い込まれた400年安心をうたい文句にしてたスーパー堤防が完成していたら。。という話もあるようですけど。

災害に対する備えはどこまですれば良いのかは誰にもわかりません。

私も土木の仕事をしていますが、土木の大きな項目は排水計画です。国の指針で30年に一度の大雨に耐えれる排水施設、50年に一度の災害に耐えうる排水施設という計画をしますが、

その基準値を遥かにオーバーする雨が毎年のように降っているような。。

技術者としては、国や県が定めた基準値をギリギリでクリアーできる施設を計画します。

なぜギリギリかと言うと、大きな設備は費用も大きくなりますから、基準値を大幅に超える施設を計画するのは過大設計になり、施主に対して不要な費用負担を強いることになりますから。

過大設計は公共工事なら、税金の無駄遣いとして会計検査院に指摘を受けることにもなります。

何が言いたいかと言うと、その基準値を決める人の責任が如何に重要かと言うことです。

安全性のみを考えて必要以上のスペックを要求する基準値にすれば、経済負担が大きくなり過ぎ、費用対効果を考えて設備を作る企業が減るか、施設の使用料に建設費が跳ね返り割高な施設費になるかと思います。

だけど、基準値が低すぎると災害での被害が大きくなり逆に費用がかかることに。

災害の規模を考え、死者数が何人以下なら許容範囲という決め方をするしかないのかもしれません。

難しい問題だと思います。

そんなことを考えていたら、先日の九州旅で特攻兵器の回天や桜花を見てきて、当時の指導部も、死者数がこの程度なら許容範囲と判断したのかも。

役所は全体の死者数は出すかもしれないけど、誰が死ぬかは出せない。それは私かも、あなたかも。

例えば交通事故死者数を何人以下という目標を出したりしますが、誰が死ぬか、誰が死んでも良いけど、何人以下なら問題なしという指数です。

死者の中にあなたやあなたの大切な人が入っても何人以下なら成功なんですよね。

やはり、自分の命は役所に守ってもらうのではなく、自分で守るべきものだと。

 

自民の幹事長発言が、口には出せないけど政治家や役人の本音だと思いますよ

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