職場でスピリチュアルに生きる | 無言歌 songs without words

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自分解放。素の自分で生きていく。

このブログにお越しくださって

ありがとうございます。

 

今日の写真は蓮の花。

スリランカのお寺で撮影しました。




泥の中で芽吹き成長し、

美しく咲く花です。

 

前回の投稿で、

ここ数年スピリチュアルカウンセラーの方に

定期的にセッションをしていただいていると書きました。

そのことについてまた少し。

 

私がセッションを受けている理由は、

「嫌なこと」をなくして

心穏やかに生きたいからです。

 

セッションでは、毎回、

これまでに起こった「嫌なこと」や

「ちょっとひっかかったこと」や

「もやもやしたこと」「不安になったこと」

などを話します。

 

そして、それがどうして

私の人生で起こったかを、

カウンセラーさんの導きで、

ひとつひとつ紐解いてきました。

 

よく言われたのは、

仕事を持っている人は、

自分の魂の課題をまず「職場」という環境で

取り組むことになる、ということ。

 

はじめに取り組むことになるのが、人間関係。

 

嫌なことを言う人、高圧的な人、

カチンとくる人、感情的な人、

見ているとイライラする人・・・などなど。

職場には、自分の感情を揺さぶる

多種多様な人がいます。

 

はじめは、

「あの人が悪い」

「あの人にこんなことを言われた(された)」

「あの人のせいで嫌な気持ちがする」

・・・などと、”他責”から始まります。

 

そして、セッションでは、

”他責”と”自責”は必ずセットになっていると

何度も教わりました。

 

”他責”するポイントは、

”自責”するポイントでもあり、

”自責”、つまり自分の側にある責任を

直視しないために

他人に責任を求めます。

 

例えば。

 

次から次へと仕事を振ってくる人がいたとして、

その人を「図々しい人」

「厚かましい人」と思い、

「自分でやってよ」

「人のことも考えてよ」などと思う。

そしてストレスがたまっていってしまう。

これは、”他責”で止まっている状態。

 

では、自分の責任はどこにあるのか。

 

「断らない自分」

というところです。

 

もしくは、

「自分の状況を伝えない自分」。

 

そして、

なぜ断らないのか?

なぜ伝えないのか?

を自分に問います。

 

私の場合は、

次のように気づきにつながりました。

 

断らない⇒

断れない⇒

断ると相手ががっかりするから⇒

断ると相手に嫌われるから⇒

嫌われると無視される(昔のいじめの名残)⇒

嫌われると自分の評判が下がる⇒

嫌われる自分は価値がない・・・

 

「自己価値」

という根本的な問題に突き当たりました。

 

さらに、自己価値の下落を思うと

そこに大きな恐怖や悲しみが

あることにも気づきました。

 

セッションでは、

私が持っている自己価値感や恐怖が

どのように根付いてきたかを教わり、

心の奥の方に蓋をした感情と向き合いました。

(主に幼少期、インナーチャイルドの問題です)

 

次第に、他責だけの視点だったのが、

自責も一緒に考えるようになってきます。

 

すると、嫌なことが起こったときの

「自分の在り方」を

常に意識するようになってきます。

 

それは、自分の考え方の癖や、

相手への自分の応答パターンに

気づくことにつながりました。

 

自分がこれまで持っていなかった

発想を得ることで、

自分の応答パターンが増え、

すると相手の応答や行動・態度も

変化してきました。

 

そのうち、

高圧的だと思っていた人は、

口調が強いだけで、言っていることは

なんでもないことだったと気づいたりします。

 

仕事を振ってくる人は、

断られても全然気にしない人だと

わかったりします。

 

そう気づくだけで、

「怖いな」と思うことが減ります。

「怖いな」は私の思い込みだったとわかります。

 

こんな風に、

職場で起こるいろんな不快な出来事は

「気づき」の種であり

職場はその気づきの種の宝庫だと

思うようになりました。

 

すると、

誰と、どんな仕事をするか、

ということは二次的なことに思えてきます。

 

私にとって今大事なのは、

職場で、人や出来事に対して、

「自分がどう感じるか」

「自分がどのように応答・対応するか」

「自分がどのように存在するか」

ということになりました。

 

何度も辞めようと思った職場ですが、

「気づき」にフォーカスすると、

とても「居甲斐」のある職場だなと、

思うようになっています。

なぜなら、職場で起こるすべてを使って、

自分の気づきを進めていくことができるからです。

 

最近、人間関係の嫌なことがなくなってきたので、

セッションでも話さなくなってきました。

すると逆に、人の優しさや

気づかいに気づけるという

嬉しい結果がついてきました。


他責も自責もなくなってくると、

誰も責めることがなくなり、

ネガティブなことを

受け取らなくなってきます。

そして、かわりにポジティブなことを

受け取ることが増えてきます。


そして次に私が取り組むために

現れてきた課題は、

「自己認識」

という課題なんだそうです。

 

まだ始まってきたばかりで、

これからどんな自分が出てくるのか

楽しみなところです。

 

他責と自責の課題は、長かった。

でも取り組んできてよかったと思っています。

 

他責と自責の課題の中には、

「自我(エゴ)」の課題など、

いろいろ含まれます。

 

そしてパブリックな職場での課題が進むと、

次はプライベートな環境、

つまりパートナーシップや

家族との課題に移っていくそうです。

人によっては、同時に進んだりするようです。

私も、家族や元夫との関係を行き来しながら

セッションしてきました。

こちらは私には本丸で、

まだまだ課題が残っています。


進んだり戻ったりを繰り返しつつですが、

私なりのペースで気づきを求めながら、

心穏やかに生きていきたいなと思っています。