損とか得とか、失敗とか成功とか、

 

 

これは、どれ位の時間に対する判断なのか? 

 

 

『損して得取れ』とは、

 

 

損をしたその後の過程に、

 

 

得をする機会がある事を意味する。

 

 

『失敗は成功の母』なる言葉も、

 

 

失敗後の過程次第では、

 

 

成功と言う道が開ける可能性も存在する。

 

 

だが、どちらも挑戦が必要なのだ。

 

 

何故なら、どちらも得をする保証も無ければ、

 

 

成功する確証も無いからだ。

 

 

しかし、あなたがその先の結果を

 

 

どうしても手に入れたいのであれば、

 

 

リスクを負っても前進しなければ

 

 

その先には辿り着けない。

 

 

獲得したい熱意が、

 

 

それらのリスクを上回る時、

 

 

あなたの情熱が挑戦を後押しする。

 

 

どうしても人生において

 

 

損得を判断したいのなら、

 

 

一生を通して判断すると良い。

 

 

何故なら、あなたの損得が、

 

 

最終的に判断されるのは、

 

 

あなたが死ぬ時ではないだろうか?

 

 

人生というトータルで損か得か? 

 

 

お金だけで判断したら、

 

 

借金が無く大金を残したら損はしていないとなる。

 

 

しかし経験ではどうだろう?

 

 

お金を使って多くの経験をした人と、

 

 

消費を控え節約と同時に経験を制限した人では

 

 

どちらが神の本質から見たら、

 

 

人生を有効に過ごしただろうか?

 

 

多くの経験をしたとしても、

 

 

その質はどうだろうか?

 

 

過去の経験の域を出ない

 

 

経験を繰り返すだけでは、

 

 

あなたの質は上がらない。

 

 

質を上げる、未知を既知にする経験は、

 

 

挑戦を必要とする。

 

 

死んだらこの社会の損得は通じない。

 

 

死んでから後悔する時、

 

 

それは神の本質による損得を判断したからだ。

 

 

その判断は死んでから出来るが、

 

 

死んでから後悔しない生き方をするのは、

 

 

生きている今だけだ。

 

 

未知を既知にするには、

 

 

泣いても笑っても、

 

 

感情と関係なく挑戦が必要不可欠である。

 

 

まずは、真の損得に挑戦してみては。